七番勝負__巌流佐々木小次郎 〈完結〉
「やったぞ、我ら新免一族の兵法者、宮本武蔵が佐々木小次郎を倒した。これで殿のおぼえも目出度く、御家中における我らの名も上がるわい」
武蔵の勝利に浮かれ、皮算用に酔い痴れる新免衆の目の前で、倒された筈の小次郎がむくりと身体を起した。
“馬鹿な”
新免六人衆の一人、船曳杢右衛門の顔がさあっと蒼褪めた。
“武蔵め、しくじったのか”
しくじったのではない。それが武蔵の意図であった。だが、新免衆達は目の前が真っ暗になるような思いであった。
「殺せ__」
杢右衛門が傍らの若者たちに命じた。
「殺せ、佐々木小次郎を殺すのだ。このまま奴を見逃せば、新免の名折れじゃ__」
若者達は異様な物を見る目付きで杢右衛門を見返した。何故今更__誰がどう見てもこの勝負は武蔵の勝ちではないか。その上まだ小次郎の息の根を止めねば成らぬのか。
「何をしておる、貴様らの師匠である武蔵の恥と成るのだぞ。今ならやれる、早うせぬか、小次郎めを討つのじゃ」
彼らは新免一族の若者で、別に手を取って教えられた訳ではなかったが、一応武蔵の目の前に進み出て師弟の契りを結んだ、別に武蔵にしてみれば意味も無い事だったが、名目だけは武蔵の“弟子”と成り、それを誇りに思ってもいた。彼らも理不尽だと思ったが、師匠の恥になると言われて、無我夢中で小次郎に殺到し、全員で斬りかかっていた。
「なにを__」
小次郎は、事態を把握する事も出来ずに滅多切りにされ、船島に若い命を散らせたのであった。
後日これを聞いた武蔵は言葉にならぬほどの衝撃を受け、その悔いと失望の為、とうとう船島、後に巌流島と名付けられたこの孤島での一戦を最後に全ての試合から手を引いたのであった。
“所詮、この世は畜生道か__”
これ以降、彼が試合を遠ざけ“剣禅一如”なる衒学的精神主義に救いを求めたり、絵や彫刻に没頭するようになったのは、このような言葉に尽くし難い人間の業を嫌と言うほど思い知らされたからではなかろうか。
彼は苦しんで生きてきた。
この世に生きることは戦いであり、戦いとはあらゆるしがらみの付き纏う、生臭い現実なのである。
剣の世界もまた、業苦の道である。
彼はその中で足掻いた。生涯足掻き続けた。
「我、事に於いて後悔せず__」
それは恐らく、後悔の連続の果てに辿り着いた、残酷な言い方だが負け惜しみではなかったか__
宮本武蔵__
その名は日本のみならず、世界にまで轟き、これからも語り継がれる事であろう。
ここまでお付き合いくださいました読者の皆様、心より御礼申し上げます。