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七番勝負__巌流佐々木小次郎 〈五〉

このような状況の中でいよいよ試合前日となった。この試合は各地に噂が飛び交い、評判が高くなって小倉一円はその話題で持ちきりである。余りに騒ぎが大きくなった為、長岡興長は試合の見物は禁止すると言う触れを出した。

そんな騒ぎの中で武蔵が突然姿を消した為、細川家では大騒ぎとなり方々に人をやって探索させたが、杳として行方は掴めなかった。武蔵は廻船問屋の小林太郎左衛門の所に身を寄せていた。家老の長岡興長には、自分は佐々木小次郎と試合を行うが、小次郎は細川公忠興の船で試合場の船島に向うのに、その敵対者である自分が家老の船に乗って行ったのでは都合が悪い云々と歯切れの悪い手紙を書いて寄越したが、真実は立身欲を剥き出しにした新免六人衆と顔を合わせるのが堪らなく不快だったのである。

その新免六人衆である。彼らは家中に於いて、益々自分たちの立場を磐石の物とする為、何が何でも小次郎を抹殺すべく、あらゆる手配りに怠り無かった。仮に武蔵が敗れても船島において小次郎を仕留めるように人数を繰り出す手筈を整えたのであった。武蔵が姿を消した時には皆慌てふためいたが、いよいよとなれば替え玉を出して、大勢で小次郎を仕留めようかという案さえ出た。新参者の彼らの焦りを感じさせるエピソードではないか。

領内における小次郎の人気は大した物である。家中の士分は兎も角、領民たちはこぞってこの地元の英雄を支持している。第一細川家という連中自体が彼らの目から見て余所者なのである。小次郎も、別に地元出身ではないが、既にその名は九州一円に轟き小倉の英雄として親しまれており、何処の馬の骨とも判らぬ浪人剣客に対して余り良い印象を持たないのは当たり前と言えるだろう。言わば領民と御家中の気分は相反している訳だ。

そして迎えた慶長十七年四月十三日__

船島、或いは向島と呼ばれた小さな孤島に、兵法日本一を決めると銘打たれた大試合を行うべく、細川家中の面々が様々な打算を胸に秘めつつ陣を張り、その時を迎えたのである。


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