七番勝負__巌流佐々木小次郎 〈四〉
宮本武蔵と佐々木小次郎の試合は、細川家中で評判の悪い兵法指南を何とか葬る事が出来ないかと言う家臣の気分から計画されたものであった。忠興の嫡男、忠利もまたその一人で、長岡佐渡守康之の息子、現筆頭家老、長岡興長も父とは違い小次郎が嫌いであった。そこに口を挟んだのが新参者の新免六人衆である。彼ら六人は関ヶ原の後小倉に流れ着き、乞食同然の暮らしをしていたが、細川忠興に気に入られて先に述べたような待遇で召し出されたのであった。
「どうじゃ、武蔵。自信の程は」
新免六人衆の一人、香山半太夫は上機嫌で武蔵に話し掛けた。
「かの佐々木小次郎めは性驕慢、家中ではその横柄な振舞いを憎まれての、是非にあ奴を打ち負かして欲しいとの事じゃ。武蔵、出来るか?」
そんな半太夫を武蔵は黙って見返しただけであった。
「はははは、済まぬ済まぬ。我が新免の血を引くお主が佐々木小次郎如きに遅れをとるはずが無かったのう。いらぬ事を聞いたわ、許せ」
武蔵は無言で席を外した。その態度に、矢張り新免六人衆、木南加賀四郎は眉をひそめた。
「ふん、相変わらず愛想のない奴じゃ。子供を斬るような男じゃからな。人の情も知らぬと見える」
六人衆の一人、井戸亀右衛門が吐き捨てるように言った。
「元々あ奴を推挙する時、その悪行のせいでわしらは何とも肩身の狭い思いをしたものじゃ。佐々木小次郎を必ず倒せると公言したは良いがもし果たせなんだら我らは家中の物笑いとなろうわ」
「まあ、御家老が熱心に武蔵めを推してくださったお陰で何とかなったがな」
長岡康之の息子、興長は武蔵の父、平田無二斎の弟子であった為、数々の悪評、批判が有る中で皆の反対を押し切って武蔵を推挙したのであった。
彼らの勝手な打算と思惑に、武蔵は付き合ってなど居られなかった。
“小次郎__”
武蔵はふ、と七年前のあの日を思い出していた。吉岡伝七郎を倒し、一気に名を上げた武蔵の元を連日尋ねて来る物見高い好事家の中に、木村小次郎と名乗る若者があった。
「宮本先生」
小次郎は真っ直ぐな眼差しを武蔵に向けて、真剣な言葉を送った。
「先生はどのような修行を持って今の如き境地を身につけられましたか」
小次郎の一本気な態度に、武蔵も気圧されるような思いであった。
「どのようなと言われても答え様も無いな。幼き頃より只一人で、無我夢中で修行に励んできた。只それだけであった」
「一人で__」
小次郎の双眸に、激しい輝きが漲った。
「判り申した」
小次郎が武蔵に頭を下げた。
「拙者、武蔵先生の教えを賜らんとこうして参ったので御座りまするが、それは甘えで御座ったようじゃ。この小次郎、不肖ながら武蔵先生を見習うて只一人にて己を磨く所存に御座る」
あの、どこかちぐはぐなほどの糞真面目な志に、武蔵も引き込まれそうになったほどだった。佐々木小次郎とは、あの木村小次郎なのだろうか。しかし、彼はどこか自分とは違うと武蔵は思った。そう、どこか危なっかしい、一旦歯車が狂うと何もかもが崩れてしまいそうな脆さがあった。透明で澄み切った水は、僅かな不純物で台無しになってしまう。武蔵も一念を貫く一途さがあったが、それはそう、執念と呼んでも良い、根の生えたような強かさであった。少々の混ざり物くらいでは染まる事などない、雑然とした粘り強さである。
“小次郎、お前が佐々木小次郎なのか__”
武蔵はふっと思いを馳せるのであった。
“俺たちの勝負が”
このような、外野の打算によって演出された権勢争いの道具として執り行なわれるのは何とも不快であった。