三番勝負__一乗寺下り松 〈結〉
「誰じゃ」
「何者じゃ」
門人達の間で騒ぎが起こった。
「一体何事じゃ」
折角勝ち名乗りを上げた直後に何やら可妖しな事になって、又左衛門老人が何とも言えぬ感じで聞いた。誰もが事態を把握できずにいる中で、一人が叫んだ。
「貴様、よもや宮本武蔵__」
一同がどっとどよめいた。
「間違いない、こやつ、武蔵だぞ」
清十郎、伝七郎に付いて、武蔵の顔を見知っている門弟が声を上げた。その場にいる全員が蜂の巣を突付いたように騒ぎ立てる中で、門弟ではない一人の侍が、別に刀を抜くでもなく、只一直線に名目人目指して進んで行く。この時武蔵が抜刀し、闘気を滾らせて暴れ込んでいたならば門人達の対応も違った物になっていただろう。だが武蔵は腰に刺した大小を抜きもせず、無言で下がり松の根方目指して進んで行った。
「今更何をしに来た」
「勝負は終わったわ」
「その通り、貴様は逃げたのじゃ、貴様の負けじゃ」
門弟たちは口々に喚き散らすだけで、得物を腰に収めたままで誰一人臨戦体勢に入らなかった。もう終わったと言う安堵感から一日の疲労がどっと出て、誰もが咄嗟に反応する事が出来なかったし、武蔵の異様な気合に呑まれて自分から仕掛ける事も躊躇われ、取り合えず刀も抜いていない相手の進路をあえて阻もうとしなかった。
「何をして居る、武蔵じゃ、武蔵が来おった。皆の者、腰の物を抜け、獲り篭めて討ち果たせ」
又左衛門老人が怒号した。自分の孫が名目人なだけに真っ先に危険を感じ、火が着いたように慌しく叫んだ。しかし、誰もが刀を抜かず、武蔵の進路に居た者も、近付いてくると思わず身を引いて道を空けるような形に為った。武蔵は見る間に門弟たちの群れから抜け出て、真っ直ぐに名目人の目前に迫った。武蔵が間近に立つと、又左衛門老人でさえ口をつぐみ、思わず引き攣ったような愛想笑いを顔に強張らせていた。少年は目の前に立ちはだかった男に対し、血の気を失った怯えた表情で儚い眼差しを向けていた。
その場に居合わせた誰もが息を殺して自分達が守るべき名目人と、その前に立ちはだかった男を凝視していた。これから何が起こるのか、誰にも予測できなかった。いや、漠然とは感じているのだが、恐ろしくて誰一人それをハッキリとした形で図や言葉にする事が出来ないでいる。異様な沈黙が見守る中で、武蔵はその場に居合わせた全員に聞こえるような声で叫んだ。
「これは播州浪人宮本武蔵、只今推参致し候、吉岡一門名目人佐野又市郎殿、約定により御首頂戴仕る、御免」
その言葉が終わらぬうちに武蔵は刀を抜いた。少年は恐怖の余り全身が竦んだまま動けなかった。一瞬沈黙が弾けた様であった。それでも誰一人声を発せず、固く口をつぐんだまま眦が避けんばかりに目を見開いて成り行きを見守っている。
それでもまだ信じていた。何を信じていたのかは判らない。只、幼少の名目人が殺されるなどと言う事は、誰がどう考えても思いもよらぬ事であり、想像の埒外であった。しかし__
“まさか”
誰もがそう思って見つめる中で、それは起こった。起こってしまった。
武蔵の一刀が見事な弧を描いて一閃し、少年の首が宙に舞った。
誰もが身動ぎもせず、そこに展開された悪夢の一瞬を目の当たりにしていた。
横薙ぎの一刀を右手に残心の構えを取る男と、血を噴き出しながら倒れた少年の胴体、そして怯えた表情のまま天を仰ぎ見る生首。
凍りついたままの光景の中で又左衛門老人が膝から崩れ落ちた時、漸く各人の中で事態を把握する機能が蘇ってきた。
「それがしの勝ちに御座る」
低い、無感動な武蔵の宣言を聞いたとき、門弟たちの怒りが地を揺るがした。
「己が、それでも人かア」
「何が勝ちだ、ふざけるな」
「外道め、貴様だけは生かしては返さぬぞ」
口々に怒号する門弟たちの只中へ、二刀を手にした武蔵が踊り込んだ。真っ先に抜刀した男を斬ると、左手に持った脇差で別の一人を刺した。相手の生死も確かめず、武蔵は進路をふさぐ敵を斬り払い、全力で疾走した。
そこに集う吉岡の門人達は、怒りに我を忘れて武蔵に斬り掛かった。同僚が斬り捨てられた事に幾らか怯んだものの、少年を無慈悲に斬殺したこの極悪人を何としても許す事は罷りならなかった。名目人は討った。勝負は既に武蔵の勝ちである。否、こんな勝負に勝ちも負けもない。最初から全員で吉岡の当主兄弟を事実上連破した宮本武蔵を殺し、その口を封じる事が目的であった筈だ。だが、そんな事は最早思慮の埒外であった。誰も彼もが理屈以前の怒りと憎悪に激情に身を任せて、この非情な浪人剣客を倒すべく、利害も名誉も、生死さえも忘れて剣を抜いて挑みかかった。一人、又一人と仲間が倒れていくのも構わず、いや余計に吉岡方の闘志は燃え盛ってゆく。門人全てが怒りに狂乱し、悪鬼のように武蔵目掛けて襲い掛かって行く。それに対して武蔵は、二刀を自在に操って斬り払い、血路を開いて一散に駆け抜けてゆく。幾人かを倒して包囲網を突破した所で、武蔵は両刀を捨て、身一つで走り出した。そうでなくとも空身の人間に得物を手にした人間が追い付くのは難しいのに、山野を居として野獣の如き修行を積んだ武蔵の烈脚には、道場剣法しか知らぬ吉岡の門人等誰一人追い付く事は出来なかった。逃げる武蔵の後方から、銃声が聞こえた。彼らは武蔵を殺そうと、火縄銃まで用意して待ち受けていたのだ。だが、その弾丸は頭の脇をすれすれで掠めると虚空に貫けて行った。更にもう一丁用意していたらしく、続けざまに一発放たれた。今度は肩に当たったが、この頃の火縄銃は有効射程距離が短い為、ここまで離れるともう貫通するほどの威力はない。それでも肩の骨が砕けるかと思うほどの激痛を武蔵は感じた。もし頭にでも当たっていれば下手をくれば死ぬか、衝撃で気を失ったかも知れない。そうなったら最後、吉岡の門弟に追いつかれ、膾になるまで切り裂かれるであろう。恐るべき強運が、武蔵には憑いている。痛みに耐えながら武蔵は走った。走って走って何処までも駆け抜けた。そのはるか後方で、吉岡の門弟達が息を切らせて座り込んでいたが、武蔵は後ろを振り返らず、只ひたすらに逃走した。
佐野又左衛門は虚脱状態のまま、その場に座り込んで何事かを口走っていた。それはハッキリとした言葉にはならない、うわ言のような言葉であった。
「申し訳御座いません、御大将、武蔵めを取り逃がしたる模様__」
門人の一人が身を震わせながら、涙を流して報告したが、最早老人の耳には届いてはいなかった。
胴と首とが泣き別れに為った少年の屍に泣きながら詫びる者、剣を抜き放って意味不明の叫びと共に訳も判らず辺りに斬りかかる者、傷付いた同門を介抱する者、怒声を放って走り回る者、虫の息でうめく重傷者、斬り捨てられて既に事切れた死体__
収拾のつかぬ惨劇に取り囲まれた一乗寺下がり松の周囲に夜の帳が静かに降り始め、芝居の幕は無情に下りて行った。
因みに、これだけの騒ぎを起したにも拘わらず、吉岡兵法所は即座に閉鎖される事はなく、この後十年家業の憲法染めを本業としながら一応存続している。この騒ぎの、言わば発端となる試合の了承を下した張本人とも言うべき京都所司代板倉勝重が自らの軽率な決定に責任を感じ、何とか四方を奔走してこの度の騒動を最低限の処置で収めたのである。当主清十郎直綱は予てからの噂通り隠居、分家から新たな当主を招いて道場は続けたものの、昔日の勢いを取り戻す事は遂になく、威望は日に日に衰え周囲からも侮られるようになり、吉岡一門と幕府直属の役人の間には小競り合いが絶えず、それが一気に吹き出したのが十年後の慶長十九年六月二十二日であった。禁裏の御能興行の際、権高で意地の悪い警護役の侍を一刀の元に切り捨てた剣客が有った。元より禁中での抜刀は御法度である。死を覚悟したらしいその下手人は、役人たちを相手に大奮戦、六,七人を斬った所で太田忠兵衛なる兵法使いに仕留められたと言うのだが、この時の犯人の名前が今ひとつハッキリしない。記録によってまちまちで、吉岡又三郎という記述もあれば、清次郎と言う名前だったと言う説もある。また、別の記録によれば「この狼藉者の名は建法」というのもあり、一定していない。どうやら清十郎直綱の隠居後、分家から呼ばれて事実上の当主として吉岡一門を支えていた人物らしい。正式には吉岡憲法を襲名してはいなかったが、周りの町人がそれまでの習慣から、憲法さん、と呼んでいたのでは無かろうか。話の辻褄を合わせようとしたらこんな所であろう。因みに清十郎はその後三宿長則の食客になり、ひっそりと、割合気ままに余生を送ったらしい。
清十郎と武蔵の接触を匂わせる記述としては、後年大阪の陣が勃発した際、両名とも浪人として大阪城に入っているが、その折両者が再び顔を合わせたかどうか、記録の上には詳らかではない。
最後に、佐野又左衛門老人は、自らの失策により孫を死なせてしまった心労から中風が悪化し、数日後に衰弱死した。