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三番勝負__一乗寺下り松 〈参〉

高野川を西に望む白川通りを北へ進むと、詩仙堂へ続く通りの傍らに一乗寺界隈を見下ろす大きな垂れ枝の松の木が佇んでいる。平成の今日、あたり一面にはせせこましく住宅が立ち並び、白川通りも交通分離帯の設置された舗装道路に姿を変え、当時の面影をしのぶ事は困難では有るが、この場所こそが吉岡一門が指定した決闘の舞台、後世名の知られた一乗寺下がり松であった。

“ここが一乗寺下がり松__”

稲田の間の畦道を歩くのは、この決闘に臨むもう一方の雄、宮本武蔵であった。

“この一乗寺が、俺の運命を決する一大舞台__”

確かに舞台であった。元来寡黙なこの武蔵は、一面では奇妙に詩情的な感覚の持ち主で、自分では気付いていないが非常に自己劇化と言うか、何かというと物事を大袈裟に、深刻に受け止める所が有り、その劇的性格ゆえ何をするにしても異様に没頭し、引き返せなくなる場合が多かった。今回もそのでんであるらしい。地形を検分し、必勝の策を練る武蔵の中でふつふつと湧き上がって来る物があった。彼は今、叙事詩に登場する英雄のように悲愴美とも言うべき輝きを放ち、その際立った特性である自己埋没の極致へと入り込みつつあった。

田の畦道は狭く、集団で一人を押し囲むには不向きでは有るまいか。

“わざとそうしたのか”

吉岡方にしてみれば、まず相手が出て来てくれなければ話にならない。武蔵に少しでも勝つ可能性を匂わせる為に、集団の利点が生き難い地形をわざわざ選び、引っ張り出すつもりなのだろう。

“要らぬ小細工をする物だ”

(あたか)も劇中劇の人物のように、史上最強の剣客は不敵な笑みを浮かべた。ゆったりと自己陶酔に満ちた、ヒロイズムの権化のような笑みであった。



「そうか、武蔵めは下がり松まで下見に来よったか」

報告を聞いた又左衛門老人は上機嫌であった。相手はこの勝負を、少なくとも最初から放棄するつもりではないらしい。

「しかし、来るでありましょうか?」

門人の一人が不安そうに言った。当然の疑問である。もしも武蔵が現れなければ、吉岡一門は只無意味に人数を繰り出して騒動を起しただけの道化になるのである。

「それは分からぬ」

老人は事も無げに言った。

「だが考えてみよ。あの武蔵の為に清十郎殿は腑抜けに成り果て、伝七郎殿は無残にも斬り裂かれた。その挙句京流宗家吉岡一門の名誉が地に落ち、貴公らは京洛は元より畿内一円、いや、六十余州の全てから嘲りを受けて居るのじゃぞ」

又左衛門は大袈裟な言い方をした。少しでも不安を煽り立て、こちらの有利にもって行かねばならない。

「しかし、武蔵が来なんだ時は世に恥を曝す事に……」

「されば何もせずに手を拱いて居ると言うのか」

老人は語気を荒げた。

「良いか、わしは十六で初めて槍を取り初陣を飾って以来無数の合戦に参加してきた。その中で敵に肩透かしを食う事などざらに有ったわ。実戦とはそういう物よ。そうそうこちらの思い通りになどなるものではない」

「……」

「それに名目人の名は明かして居らぬ。皆にも他言を禁じて居るわ」

名目人が子供とわかれば武蔵も来ぬかも知れないからだ。というか、恐らくは来ないだろう。

「しかし……」

「良いか、武蔵が来なんだその時は彼奴めの臆病を思い切り笑うてやれ。武蔵はその方ら吉岡の武勇に恐れを成して逃げたのじゃ」

老人は必死の思いで門人を励ました。何でも良いから景気をつけて彼らに優越感を与え、気分良く事に当たらせねばならない。

「もし、おことらが何もせず、只指を加えて武蔵をやり過ごしたとあらば、吉岡一門はたった一人の剣客を恐れて手を拱いていると世間は益々主らを見くびろう。何でも良いから行動を起す事じゃ、吉岡の武辺を天下に見せ付けてやるのじゃ」

又左衛門は気が気で無かった。もしも武蔵が姿を現さなかった場合、吉岡一門は無意味な空騒ぎで世間を騒がした道化と為り、門人の怒りはこの騒動を企画した老人に向けられるであろう。当然孫の又市郎の立場も更に悪くなる。しかし、今更辞める等と言い出す訳にも行かなかった。

武蔵の方はと言えば気が楽である。こんな非常識な申し出に応じる必要などはまるで無い訳だし、もしもこの決戦に勝利すれば彼の評判は益々上がる。

名利を求める訳ではない__それはその通りだったが、今のこの安楽な暮らしはどうであろう、これまでの浪々の日々に比べれば夢のようであった。思えば彼の武者修行の日常は食い扶持を求めて日々を生き抜く貧乏行脚であった。冗談事ではなく、空腹の余り行き倒れて野垂れ死ぬのではないかと思った事も数え切れない。いや、毎日のようにそう思った。死んだ方がましだと思った事も。ひもじかった。食う為にはなんでもやった。辻強盗など殆んど習慣であった。一時は新免一党として宇喜多家に属し、それなりの扱いを受けた事も有った。しかし、世の中の動きに翻弄され、その安定した生活も関ヶ原の敗走と共に露と消えた。彼は再び浪々の身となり、その日の糧を求めて歩く餓鬼道へと舞い戻ったのであった。

“何時の日にか”

武蔵は屈辱と闘志を胸に秘め、何が何でもこの惨めな境涯から這い上がらんと歯を食いしばり、時に歯茎から血を流すほどに噛み締めた。それは食うに困った経験を持つ者にしか判らぬ陰惨な苦痛であった。涙さえ涸れるほどの思いに耐え抜いて、上方の兵法の総本山とも言うべき京流宗家吉岡一門に挑戦し、遂にこの名誉と生活を手に入れたのであった。しかし、武蔵は今の自分にふと疑問を感じるのである。

“こんな事で良いのか”

当然である。空腹に耐えるだけで精一杯の時には兎も角も我武者羅に食を得る為、前に進んでいくだけだったが、腹が満ちれば己を省みて、疑問を抱くのである。だが、生活さえ安定すれば武蔵は再び己に厳しい “独行道”へと踏み出すゆとりを取り戻す。何時までも安楽な生活に満足出来るほど正常な男ではないのだ。あれほど苦労したにも拘わらず、咽喉元過ぎれば性懲りもなく同じ事を考え始めるのである。時に路傍の屍までも物欲しそうな目付きで見詰めていた苦労が、まるで生かされていない。

“俺はやる、三度吉岡に勝利して見せるぞ”

そうとなれば、日々の言動もこの“合戦”においては重要な駆引きであった。彼は取り巻きの若者に対して、

「吉岡の空騒ぎなど取るに足らぬ宣伝である」

とか、

「どうせ口だけだろう」

などと挑発的な発言で相手を煽ったり、

「馬鹿馬鹿しい、俺は相手にせぬぞ」

と言った感じで相手を煙に巻くような発言をしたり、これらの言葉が人の噂を介して吉岡方に届き、彼らも武蔵が本当に来るのかどうか随分不安になっている。

本当に武蔵は来るのだろうか。もしかしたら自分達はこの宿無しの老人に踊らされて、とんだ大恥をかかされるのではないだろうか。

「皆の者、武蔵は我らを恐れておる。それ故言辞を弄して貴公らを惑わせようと企んでおる」

又左衛門は必死だった。彼らの不信感を拭い、統率を乱さぬよう必死になって門弟たちをおだてようとした。

「怖れて来ぬのではありませぬか?」

「だからどうだというのじゃ。今更あれは取り消すなどと言えば矢張り吉岡は口だけよ、武蔵を恐れて何もできなんだと言われるだけじゃぞ」

追い詰められ、焦燥に駆られた又左衛門に救いの手を差し伸べるように又も武蔵のコメントが届いて来た。

「仮に吉岡が百人、千人を揃え様と何ほどのことも有るまい」

この武蔵の大口が__本当に武蔵がこう言った物か、取り巻きが言った物かは判らないが__再び門人達の闘志に火をつけたのであった。

虚々実々、駆引きが応酬されいよいよ決戦を明日に控えたその日、吉岡一門から武蔵の元に訪れた使者によって、名目人の名が告げられた。

「佐野又市郎?」

武蔵は勿論、その取り巻きたちもそのような名前の剣客が吉岡一門にいたとは聞いた事がない。

「あ、それはもしや」

吉岡道場の事情に詳しい者が心当たりのある所を言った。

「祖父の佐野又左衛門と共に吉岡家に寄寓している当主兄弟の縁続きと言う少年では?」

「何?」

それを聞いた武蔵の顔色が変わった。

「子供だと?」

武蔵はまるで、今言った男がそれを決めたかのように凄まじい顔で言った。

「……その様に聞いておりますが……」

物凄い表情のまま、武蔵は押し黙った。周りの誰もが武蔵の凄まじい怒気に呑まれたまま口をつぐんだままであった。


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