表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/42

三番勝負__一乗寺下り松 〈弐〉

「伯父上、良く思案なされよ。このような馬鹿げた話に応ずる者が居る筈が御座らん。仮に来たとして、このような手段で武蔵を討ち取ったとて何の意味がありましょう。増してや討ち洩らせば吉岡家は天下の物笑いになりましょうぞ」

「譬え討ち洩らしたとて名目人さえ守らば合戦はこなたの勝利じゃ」

「その名目人です」

清十郎は一層厳しい顔で答えた。

「成人の大人ならばいざ知らす、まだ少年の又市郎殿を名目人とは、正気の沙汰とは思われませぬ」

「故太閤もまだ幼少の織田右府の嫡孫三法師君を立てて柴田修理との合戦に臨んだわ。名目人は幼子でよい。その方が一門の者共も奮い立とうて」

「しかし__」

清十郎は不安の面持ちで言った。

「先方も真っ先に名目人を狙ってくる筈。その様な危険な役目に幼子を据える等断じて有っては為らぬ事です」

「いや」

佐野又左衛門老人は悦に入った表情で清十郎を見返した。

「幼子なればこそ安全なのじゃ」

その意味は分からぬでもない。相手が子供ならば斬れまい、そう思うのは当然ではあるが__

「しかし、万が一と言う事が」

「いや、その心配は無い。宮本武蔵と言う男、吉岡に挑むにあたっても所司代を引っ張り出すなど中々智謀に長けて居る。斯様に冷静な男が、血気に逸って幼童を斬れば天下にどのような評を生むか、分からぬ筈があるまい」

清十郎は沈黙した。

実際に武蔵と向き合った事のある彼の感覚からすれば、到底この老人の言葉に頷く気にはなれない。あの宮本武蔵と言う男はその様な名利の全てを捨てて掛かっているような気配がある。凄まじい狂気と恐ろしいまでに冷徹な頭脳が同居した、不気味な能力が有るのだ。

「万が一と言う事が御座る」

清十郎は繰り返し言った。

「名目人には自分がなりましょう」

「馬鹿な、吉岡憲法ともあろう仁がたった一人の浪人を恐れて門弟の後に隠れ、名目人に立ったなどとあっては天下の物笑いの種じゃ。貴公は黙って見て居ればよい。伝七郎殿の無念はここに居る吉岡の門弟衆が必ず晴らしてくれよう」

「又市郎どのがその伝七郎の如き死に様を曝しても良いと申されるのか」

「その様な事は断じてありえん、何故なら」

又左衛門は居並ぶ門弟に目をやった。

「ここにおる吉岡一門が必ずや又市郎を守り抜いてくれるからじゃ」

老人の芝居がかった台詞に一同がどよめいた。その場の雰囲気に推され、清十郎にはそれ以上の抗弁は致し難かった。

「仮に又市郎めが討ち死にし様とも」

老人は見得を切るように言葉を続けた。

「何の又市郎は死等怖れはせん、何故ならば」

更に場を高揚させんと又左衛門老人は言った。

「又市郎の身体には、おことと同じ吉岡の血が流れて居るからじゃ」

座の盛り上がりは頂点に達した。最早何を言った所で無駄であろう。清十郎は退かざるを得なかった。

“あの老人は”

清十郎は自室に篭りながら考えてみた。

“吉岡家を乗っ取るつもりかも知れぬ”

乗っ取るとは大袈裟では有るが、今回の騒動を利用して一門における自分の、と言うよりも孫の又市郎の存在を強く誇示し、印象付けよう言うのであろう。清十郎、伝七郎兄弟には子供は無い。この先清十郎に男子が生まれるかもしれないし、吉岡家には分家もあることで、そこから後継者を選ぶ事も考えられるが、こういった騒動に乗じて取敢えず又市郎の地位を確保しておこうと言うのだろう。吉岡家にとって降って湧いたような、この一門一党の危機にあって門弟全員が団結するとなれば、その中心に据えられた又市郎少年の存在は参加したメンバー達の胸中に強く印象を残し、感情的な一勢力が出来上がるであろう。集団を率いる人間は必ず実力がトップである必要は無い。寧ろ、自我の強い人間集団の大半は自分が実力に見合った待遇を受けていないとの不満があり、彼等を実力で押しのけて口を封じるよりは感情を和らげる人格者の方が良いであろう。この場合は人格者と言うよりも年端も行かぬいたいけな少年であるが、それはそれで寧ろ感傷的な悲壮感を与え、一対多数と言ういわば卑劣な行為に対する後ろめたさを逆に払拭してくれる筈だった。無論この先又市郎の剣の腕が上がり誰もが認める実力者になってくれれば祖父又左衛門としては言う事は無いが、世の中そう上手くはいかないし、仮に又市郎に実力が着いたとしても果たしてそれだけで後継者として皆が立ててくれるかどうか判らない。門弟達が又市郎と共に吉岡一門にとっての脅威とも言える宮本武蔵に立ち向かい、この危難を乗り切れば門弟たちの間に自然に連帯感が生まれ、その中心となった少年には未来の当主への道が自ずから開けるのだ。無論、そう上手く行くかどうかは判らないが、少なくとも只黙って居候の位置に甘んずるよりは可能性が有ると言うものである。戦国乱世を生き抜いて、無数の離合集散を垣間見てきた老人の自然な知恵であった。南国土佐の覇王長宗我部元親の下で苛烈な権謀術策の駆引きに生きてきた又左衛門から見れば、如何にここ数年泡を食って権力闘争に名乗りを上げたと言っても所詮吉岡の門弟衆等は世間知らずのボンボンであった。四十年以上を乱世の興亡に生き、つい最近も関ヶ原の直後の長宗我部家改易騒動で血の雨を潜り抜けてきた老人の目には千載一遇の好機に見えたのかもしれない。

乱世の混乱に乗じて一時、土佐はおろか、四国全土を手中に収めた長宗我部一族も関ヶ原では西軍に属したと言う事で取り潰しの憂き目に遭ったのである。先代元親の死後、ろくに権力政界に顔も知られていない新領主盛親は、秀吉の死によって起きた混乱の中でどう対処してよいか判らず、関ヶ原では全く戦意も無く、あれよあれよと言う間に西軍が敗れた為に、家康によって所領を没収され、訳もわからぬままに出家させられて今では寺子屋の師匠になっていた。しかしその時の長宗我部家臣の抵抗は凄まじく、家康にこの土佐をあてがわれた山内一豊は余りの困難に音を上げて土佐を返上するとまで言い出した。元来この伊右衛門こと一豊は、誠実な事以外何の取り得も無い男で、以前は鬼国とまで言われた土佐のような荒国を宰領出来る器量ではなかったのである。“一両具足“と呼ばれた土佐っぽうどもの反撃に右往左往した挙句、家康配下の四天王といわれた伊井直政が乗り出して漸く鎮静化したのであった。

話は逸れるがこの直政は若い頃家康の衆道、つまり男色の愛人であった。家康と言う男は、何人もの側室に数多くの子供を生ませた途方も無い精力漢だが、武士の嗜みとされる男色の方はこの直政以外、手をつけていない。本来好みでもないためにすぐ止めてしまったのだろうか。それともこの直政が余程いとおしくて操を立てたのだろうか。

「わしは生涯そち以外の男は愛さん」

「殿」

長宗我部侍の興廃を賭けた決戦を控えていたにも拘わらず、佐野又左衛門は中風を患い身体の自由が利かなくなった為、その孫又市郎と共に嫁の実家である吉岡家に身を預け、居候の肩身の狭さを味わいながらこの騒動の中で今回の提案を申し出たのだ。中風病みの身体を引きずった又左衛門老人としては恐らく人生の終盤に当たって訪れた最後の機会に思えたのであろう。

“孫の又市郎を思う余りの事なのであろうが”

清十郎は、武蔵のあの形容し難い狂的な闘気と凍りつくように冷酷な眼光を思い出し、少年の身を案じるのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ