三番勝負__一乗寺下り松 〈壱〉
「お主等、正気か?」
狐憑きか何かのように目を吊り上げた異様な形相の門弟たちに向って、清十郎は信じ難いといった声音で問うた。元当主の問いに彼等は無言で頷いた。
「馬鹿な真似は止せ、何を考えているのだ」
「譬え先生の仰せでも我ら一党の決意は、動かす事叶い申さぬ」
「吉岡家の当主が命じてもか?」
「御恐れながら、清十郎直綱様は最早御当主に有らず。我々門弟一同の評議による決定を止める事は出来ませぬぞ」
まだ正式には申し渡してはいないが吉岡清十郎直綱が京流宗家吉岡家の当主を降りると言う話は門人一同は勿論、京洛の端々まで知れ渡っている。
「もしも、清十郎先生が飽くまで止め立て致すなら、我ら一同、一門を離れてでも私闘としてやり遂げる所存」
清十郎は言葉を失って息を呑んだ。
「しかし」
苦り切った顔で清十郎は言葉を吐き出した。
「その様な馬鹿げた話に応ずる者がいるのか?」
全く馬鹿げている。
吉岡一門は、吉岡憲法清十郎直綱と引き分け伝七郎直重を打ち破った宮本武蔵に対し、事もあろうに名目人を立てた上で一門総掛かりで挑戦すると言うのである。常識で考えても凡そ信じ難いような話で、これを聞かされた清十郎は思わず声を失った程である。こんな申し出に乗るような異常な人間がいるだろうか。
「来るものか」
清十郎は頭を振って否定した。
しかも、その名目人たるや当年とって十一歳、清十郎兄弟の従姉の息子、佐野又市郎少年であるとの事である。話の異常さに清十郎は正直混乱しかけていた。
「仮に武蔵が来るとして、まだ年端も行かぬ又市郎を名目人に仕立てるとはどういう事だ」
「その事はわしが申し出た」
「伯父上」
清十郎に伯父上と呼ばれたこの老人、長宗我部家元家臣佐野又左衛門こそがこの騒ぎの張本人であった。正確には清十郎の“伯父”と言う訳ではないが、吉岡の当主兄弟はこの老人を伯父と呼び、立てている。
「伯父上、どういう御了見です」
「どうもこうも、不甲斐無いそなたに代わって伝七郎殿の弔い合戦に参じようとしたまでじゃ」
「伯父上、何を」
「清十郎殿、悔しうは無いのか?昨日までは名さえ聞いたことも無い浪々の兵法使いと引き分け、弟は討ち死に、兄として、吉岡家の当主としてあの宮本武蔵なる青二才を放っておいて良かろう筈が有るまい。今や吉岡家の命運は風前の灯火じゃ。あの武蔵めは洛外に堂々と居座って我らを嘲笑って居るのじゃぞ」
吉岡憲法清十郎直綱と引き分け、伝七郎直重を一刀の元に切り捨てた流浪の兵法者宮本武蔵の評判は瞬く間の内に、京洛はおろか畿内一円に鳴り響いた。流石に洛中では名家に対する敬意と親しみ、と言うよりもっと素朴な地元贔屓の感情から武蔵に対する評判は必ずしも芳しいものでは無かったが、それ以外は殆んどがこの新たなヒーローの誕生に沸き返り、畿内のええし達が争って彼を招いたのである。武蔵はこの時京都と大阪の境目、現在の八幡市辺りの廃寺に居を構えていた。一時は堺の富商に招かれて数日逗留していた事もあったが、元来人付き合いが悪く孤独癖があるこの男は煩わしさからすぐに撤退し、人気の無い破れ寺で雨露を凌ぐだけの生活を営んでいた。武蔵が京洛近郊に留まっているのにはさしたる理由は無い。強いて言うならば何処と言って行く当てが無かっただけなのだが、吉岡一門の報復の恐れもあるような場所に堂々と腰を落ち着けている姿は、確かに相手を食った太々しさも極まれる態度と言えるだろう。無論武蔵自身もその覚悟の元に居座っているのである。本人は嘲笑っていると言う程に意地の悪いつもりではなく、言ってみれば修行の為、己自身を鍛える為の試練だと思っているのだが、相手にしてみれば何処までもこちらを虚仮にした態度と思えるし、第三者の目から見ても、当然吉岡一門は浪人剣客一人に侮辱され、押し黙ったまま泣き寝入りしているように見えるであろう。現に老人の言う通り、口さがない連中はこの旧名家に起きた、降って湧いたような不幸が面白くて堪らず、寄ると触ると話のネタにしては幸福に酔いしれていた。吉岡一門の方でも手をこまねいて見ている訳ではなく、そんな武蔵に二人ほど血の気の多い門人が挑戦したが、一人は唐竹割りを喰らって即死、今一人は左腕を切り落とされて追い返された。
清十郎に再び武蔵と立ち会うように懇願する者も有ったが、
「さほどにまで申すのならばこの命、捨てても構わん。ただし、その時吉岡家は世に更なる恥を曝す事になるが」
こうまで言われては引き下がるほかは無い。
そんな中で、一門総掛かりによる武蔵討戮を提案したのが佐野又左衛門老人であった。