二番勝負__吉岡兄弟 〈五〉
「引き分けじゃ、この勝負引き分けじゃ」
板倉勝重が沈黙から這い上がるように狼狽した声を上げた。
「何と」
「馬鹿な」
吉岡の門弟たちが口々に喚きだした。それを遮るように板倉が勝負の結果を宣言した。
「京都所司代板倉勝重、審判官として只今の試合を裁く。この勝負、引き分け__」
「所司代はどこを御覧になっておられる。あれが見えられませぬか」
門弟が指差したその先には__額から血を流した武蔵の姿があった。
「あれを見てもまだこの勝負が引き分けと申されるか」
「い、いや、しかし__」
板倉は追い詰められたように言葉を濁した。
「所司代は兵法者ではござらん。剣の事はお分かりに成られぬ」
「口を慎まんか」
いきり立つ門弟を窘めながら、清十郎が屈辱を噛み締めていた。
“馬鹿め”
彼は忌々しげに舌打ちした。
“今の試合は俺の負けだ”
武蔵の額には確かに赤々とした鮮血が滴っていた。だが清十郎の木太刀が彼を打ったのは、武蔵の木刀が相手の頭上で寸分の狂いも無く止められた後であった。武蔵の凄まじい気に囚われた清十郎は手元を狂わせて武蔵の額を誤って打ったのである。乱れた気持ちを沈めるように、清十郎が一つ大きく深呼吸をした。
武蔵は何も言わなかった。だが、その双眸には揺ぎ無い自信と押し殺した怒りが炎のように渦巻いている。その目を清十郎はその目を直視する事が出来ない。
「吉岡殿、異存は御座らんな」
板倉が清十郎に声を掛けた。
「お心遣い痛み入る」
清十郎のこの言葉は、吉岡家の対面を慮って引き分けと言ってくれた事に対するものだが、果たして板倉に何処までこの皮肉が通じたものか。
「宮本殿も当然承知しておろうな」
「申し立てた所で詮の無い事でござれば」
そう言うが早いか武蔵は一礼すると足早にその場を立ち去った。その後を追おうとする門弟を清十郎が制した。呆然とする一同を置き去りにするように武蔵が姿を消した。