二番勝負__吉岡兄弟 〈弐〉
試合当日__三月八日。約束の刻限も間近に迫った蓮台野には、既に門人に周りを固められた吉岡憲法清十郎直綱が床几に腰掛けて対戦相手の到着を待ち受けていた。名高き吉岡憲法の公開試合とあって、京洛の人々も我先に観戦を望んだが、吉岡の門弟たちによって試合場に入る事を阻まれていた。
“虚しい……”
凡そ剣客とは思えぬような涼やかな風貌の清十郎は何ともいえぬ虚脱感を抱きながら宮本武蔵の来着を待っていた。
“俺は一体何の為に戦わねばならぬのだろう”
この所、清十郎の胸中に去来しては答えも出ずに空回りする疑問である。彼は今まで死に物狂いで闘って来た。
何の為に?
答えは出た事が無い。と言うよりもそんな疑問にかまけている暇など彼に与えられなかったのだ。吉岡の門弟達、京洛の庶民、権門の貴顕紳士__彼等は一様に名門吉岡兵法所の総領息子である清十郎を褒め称え、彼が次期吉岡憲法としてそれに相応しい剣客たる事を要望した。事実彼にはそれだけの天分も備わっている。穏やかで実直な性格だった清十郎は物心付いた頃から周りに言われるままに木太刀を握り、祖父直光、父直賢、古参の門人等の手ほどきを受け、一心不乱に兵法の修行に打ち込んだ。だが、彼は兵法、後の江戸時代の、作法化した所謂“剣ノ道”ならいざ知らず、殺人が日常的に行われる戦国終盤のこの次期における殺人剣法を生き抜くには繊細すぎる性格であった。この時代、木刀を用いて、試合と言えば死人が当然の如く続出する殺伐とした時代にあって、どちらかと言えば穏やかな文人型の性格の清十郎は、旧名家吉岡の栄誉を守る為、我を忘れて一心不乱に兵法に打ち込んだ。来る日も来る日も厳しい修行に精を出し、家名や一門の弟子たちの期待を背負い、群がり来る一旗組の野良剣客たちの挑戦に応じ、先代直賢の代から命懸けでこれを撃破して来た。にもかかわらず、時代の覇者信長、秀吉は彼らを無視し続け、家康に至っては吉岡の代わりに他流派を新たな将軍家兵法指南として定めたのである。元々柳生家も小野家も以前からの徳川家の家臣で、偶々主家が征夷大将軍に任ぜられたから、彼等の地位も当然といえば当然なのだが、吉岡一門ではこれを大いなる侮辱と受け止め、門弟一同総立ちに成る程激昂した。中でも清十郎の弟伝七郎直重の怒りは凄まじく、ここの所の何試合かは清十郎に代わって彼が出向いていたほどであった。しかし、清十郎だけは新幕府が別の流派を将軍家師範としたと聞いた時、正直な話ほっとしたのである。何故かは理由は分からないが、これで何かから、幼い頃から自分の両肩に圧し掛かっていた重荷から、漸く開放されたように思えたのだった。時代は確実に動いている。最早吉岡兵法所は消え去ろうとしているのではないかと彼は何となく思ったのだ。しかし、そんな清十郎の思惑とは無関係に、吉岡一門ではこれまでにも増して過重な期待を清十郎に課したのである。時代の流れに抗し、何とか名門吉岡家の栄光を取り戻さんと彼らはいきり立ち、清十郎はそれに追い立てられるように血腥い修羅場へと引き戻されたのであった。
“もう良いではないか”
正直な所、清十郎は逃げ出したかった。何から逃げるといって、別に何も無かったが、あえて言えば自分の置かれた全ての状況、周りの人々のプレッシャー、はっきり言ってしまえば自分自身から逃げたかったのかも知れない。
“これから、自分は何の為に、いや、何と闘うというのだろう”
答えは見つからない。
清十郎は、ふ、と溜息をついた。