零番勝負__神子上典膳 〈壱〉
「うおりゃあー、とおーう、キエーイ!」
立ち木に向って木刀で、凄まじい気合を込めて一人打ち込みを続ける少年を、先程から一人の侍が眺めていた。少年は、それに気付いていたが、武士を無視して打ち込みを続けた。いや、寧ろ少年は武士を意識して、いつにも増して気合を込めて木刀を打ち下ろしていた。彼が普通の侍ならば、少年もここまで剥きになる事は無かったろう。だが、少年を見物する侍の全身からは、只ならぬ存在感が漂い、少年の気持ちを昂ぶらせている。男は只の侍ではなさそうだった。明らかに兵法者__回国修行中の武芸者に相違なかった。
「ふふふ」
冷たく、鋭く、しかし重々しい気配を漂わせながら、武士は少年の稽古を眺めていたが、打ち疲れたのか木刀を手に持ったまま汗だくで立ち尽くす少年に声を掛けた。
「わっぱ、見たところ兵法の稽古と見たが、中々に見所があるのう。幾つになる」
少年は無言のまま武士を見返した。子供とは思えぬほどの迫力に満ちた佇まいと面魂を目にして、武士は益々小気味良さげに口の端を吊り上げた。
「十二」
つっけんどんに少年が答えた。その不適さを武士は面白がっていた。
「ほう、見たところ十四,五には成るかとも思うたが、それ程の歳か。お主の太刀捌きは実に鋭いが、如何にも荒削りじゃな。誰に習うた。何流の剣じゃ」
「誰にも習うておらん」
少年がまたもや吐き捨てるように行った。どうもこの侍が気に食わぬらしい。いや、気に入らぬと言うよりも、気持ちが昂ぶってそれを押さえられないらしい。恐らく、侍の発する剣気が少年を刺激し、気を急かせているのだろう。
「わしには師などは居らん。全て一人で身に付けて居る。誰にも教わる事など無い。己だけが頼りじゃ」
少年の言葉に武士が声をあげて笑い出した。
「はははははは、師など要らん、己一人が頼り、か。気に入ったぞ、わっぱ」
武士の言葉を、少年は相変わらず厳しい表情で聞いていた。
「男たるものその位の気概無くば世の争いに勝ち残ってゆく事はできぬ。兵法修行と称して幾つかの型を覚え、人ではなく藁束や青竹を切って事足れりとしておる兵法者どもに聞かせてやりたいわい。だが__」
武士が凄味のある笑いを向けた。いや、凄味と言うならば今までも相当に強烈だったが、それは意識しての事ではなく、普通にしていて自然と周りに漂う威圧感であったが、今度のそれは始めて意識的に向けた物であった。
「如何に己一人で修行してみた所で、動かぬ立ち木を叩いただけでは人は斬れんぞ。どうじゃ、わっぱ」
だが、少年も武士が発する威圧感に必死で対抗していた。彼もまた尋常の少年ではない。
「その修行の成果、試しては見ぬか?」
少年は無言だった。
「貴様が何処まで習得したか、このわしを相手に試しては見ぬか」
「試合をするのか?」
「試合ではない、稽古をつけてやろうというのよ。師も居らず、立ち木ばかりを相手にしていたのでは己の腕がどのくらいの物かが判るまい」
武士の言葉に少年は答えず、じっとその目を見詰めていたが、やがて硬い声で答えた。
「良かろう」
その答えに、武士が苦笑いした。既にそのつもりで用意していたのだろう、どこかで拾ったらしい手頃な長さの棒を構えると、少年に向き合って構えた。
「手加減はせんぞ、それでも良いな」
少年の不敵な言葉に、武士は平然と答えた。
「わしは手加減してくれるからの、安心して掛かって来るが良い」
武士の侮辱__別に侮辱ではないのだが、少年はいたく誇りを傷付けられたらしく、険しい表情で睨み返した。
武士は冷ややかとも言える表情で少年を見下ろしている。別に悪意は無かったが、相手が子供である為、どうしても見下ろしたような形になってしまうのは致し方なかった。少年は無言のまま、物凄い目付きで武士を睨みつけている。やにわに少年が打ち掛かった。型も糞も無い、真っ向からの大振りであったが、子供とは思えぬほどそれは恐ろしく鋭く、凄まじい速度の太刀行きであった。並の侍ならば、あるいは一撃で倒されたかも知れない。だが、彼は並みの武士ではなかった。少年の一撃を余裕を持って受け止め、軽く流して捌いた為に、少年は足をもつれさせてつんのめるように前へよろけた。
「大したものよのう、わっぱ」
侍が面白そうに声を掛けたが、少年は益々目を血走らせて打ち掛かって行った。矢張り同じように簡単に受けられ、今度は跳ね飛ばされた。後に飛ばされ尻餅を着いた少年は、最早なりふり構わず木刀を振り回して襲い掛かった。しかし、結果は同じであった。
そうして、どの位この仕太刀打ち太刀が繰り返されたであろうか。少年はぜいぜいと息を荒げながら、未だ闘志を燃やして武士に戦いを挑んでゆく。対する武士の方は、平然とそれを受け、息一つ乱れていない。
「わっぱ、ここら辺で良かろう、もう止めにせんか?」
「まだじゃ、まだやれるわい。さあ、来い」
少年は、息を切らして吠えながら、打ち掛かった。武士はまたもそれを受ける。しかし、今度の受け方は今までとは違っていた。少年の木刀を受けると同時に思い切り打ち返し、その衝撃で少年の手から木刀が弾き飛ばされた。
「ここまでじゃ」
無手になった少年はそれでも諦めず、武士に掴みかかると武士は少年の額を一撃し、とうとう少年は気を失ってその場に倒れた。