天使の噂
「あのー」
「なんだ?」
「あのふたり、外に出しちゃったりなんかして良かったんですか?」
「放っておくよりはマシだろう。あんな感情的になられては困る。はぁ……結局ここを荒らされただけだったな」
なんとも言えないような表情をルシカはしていた。苦虫を噛み潰したような、なにも感じていないような。平静を装っている感じなのだろう。
ルシカはアークのことが気がかりらしい。
アークはさっき、ゼルが考察した結果を聞いて大分落胆していたようだった。それ故、感情的になってゼルに掴みかかっていた。
そんなことでは色々と迷惑だ。この空間は天界では最上級に大切な場所。アークの肩を掴んで「外に行け。迷惑だ、頭を冷やしてこい」とこの資料室から追い出したのだ。
アークはここを出て行くとき、今のルシカと同じように複雑な顔をしていた。悔しさに満ちている訳でもなく、しかし平常でもなく。
ゼルがついていったのは、あの人の勝手だ。個人的にはひとりで放っておいた方が、整理もつくと思うのだが。
アークの事情など私の知ったことではない。本を手に取って、原状復帰をしようとする。
そこに声がかかった。
「グリウ」
「はい?」
声のした方へ顔だけ向ける。が、そんな無礼な姿勢はやめて、体ごと彼に向けた。抜けた気を引き締め一気に自分を緊張させる。
「ハイン様、お疲れ様です」
「うむ……何故ここにいるという質問は、無駄そうだからやめておこう」
「すみません。調べ物を」
「ふふ、その呼ばれ方はそれ程慣れないがな」
ハイン様は、私が唯一尊敬できる方だ。天界中での信頼や尊敬も高い。敬いの意を表す為に、ハイン様と呼ぶことにしている。
真面目で仕事のできる方だが、意外とラフな面もある。だがそれを知り合いの天使と話が合わないことから、その面を見せるのは限定的なのだと思っている。
「気にしないでください。ハイン様はなんの用でしたか?」
「いや、ラフィーを探していたのだが」
「ラフィー? あの気の抜けた、ゼル並みに怠け者の……」
「グリウ、一応経験は上の天使だ。呼び捨てにするものではないぞ」
ハイン様は微笑みながら言う。ラフィーもゼルも怠け者で、敬意のかけらも持ちたくても持てない。
一体ラフィーがどうしたというのか。話が盛り上がってきそうになった頃、背後から肩をつつかれた。喋るのに集中していて、しかもピンポイントな刺激だった為、必要以上に驚いて振り返った。
「なっ、なんだ?」
「あ、ごめんなさい。ご用長引きそうなので本片付けときますね。それだけです、後はごゆっくり。ハイン様も」
「む、ああ。助かる」
ルシカは一礼して厚い本の山に帰っていった。受付係なだけあって気配りのできる人間だ。一応ハイン様への挨拶も兼ねているのだろうな。
「それで、続きなのだが」
「はい」
「ラフィーには常日頃から頭を悩ませている訳だが、特に困ったことをしでかしたのだ」
「しでかした、ですか。小さい困りごとはありましたけど、そこまでのことですか?」
「そうだ。ただ噂程度でな、真相は不透明でラフィーから直接聞く以外ないのだ」
腕を固く組んで困り顔をするハイン様。沢山やらかしてきたゼルの奇行にさえ冷静に対処していた方だが、そこまでのことらしい。
「噂ですか……信じて良いのですかね」
「正直わからんが、一度張本人に問いただしたら焦りが見えていたな。完全な白ではないようだった」
「そうですか。まったくラフィーは」
「その噂が大事なのだが。……奴が異常なくらいの人間好きというのは知っているな」
「はい。それはゼルにも共通していますね。公私混同になって迷惑をかけているわけです」
「ああ。それが影響しての噂だ。地上にいる人間。それが誰かはわからないが、誰かの命を長らえさせているらしい。ほら、あいつは守護の天使で治癒力があるだろう。それを最大限に活用して、ということだそうだが」
「……それはつまり、本来死ぬはずなのに生かしていると? それはむしろ人間にとって苦しいことなのではないですか。生き地獄というか」
「細部はわからないが、そういうことなのか? 本当にそうだとしたらゾンビという奴と同類だと思うのだが」
「やはり、噂だけでは判断できませんね」
「ああ。まあ一応お前にも教えておこうと思った。ラフィーを見かけたら聞いてみてほしい」
「はい。わかりました」
私は改めて意識をきっちりとして、そう返事した。ハイン様は「頼んだ」と言いながら後ろを向いて、歩き出そうとした。
「ああ、それと」
「はい」
「そこでゼルとアークを見かけたが、沈んだ顔をしていた。なにかあったか?」
「……大したことはありません。早々に元に戻るでしょう」
「そうか。アークは生きているんだか死んでいるんだかが曖昧だ。そろそろ手を打たねばならないかもしれん。大事になる可能性もある、少し覚悟はいるかもな」
「わかりました。会った時は最善を尽くします」
ハイン様は背を向けて、今度こそ去っていった。その背に小さく一礼した後、ルシカのいる空間を見た。
若干上の方にある長方形の隙間。そこにかつて本が入れられていたのだろうが、ルシカはそこに本を入れることができていない。重いから一冊入れるのに一苦労なのか。
自分の代わりに大体の本をしまってくれたルシカに、礼を伝える意味でも手伝ってやることにした。
「んー……あっ!」
「これでいいだろう。他の本は片付けてもらった、礼だ」
「重くないんですか? 私は一冊一冊がとても重くて」
「……はっきり言って重い」
「ですよね! ふふ、ありがとうございます」
楽しげな声と笑顔で言ってきた。ルシカはどうすれば態度が豹変するのか、そっちの方が気になってきた。
お読みいただきありがとうございます。
久しぶりに出てくるキャラが多かったですが、特にラフィーなんか覚えてもらってたでしょうか......噂については予想がつくと思いますが、ラストに向かっていってます。一話は短いですがじっくり読んでいただけると幸いです。




