立場と目線のズレ
その幼稚園の頃はもう年長で、卒園までに大親友とまではいかなかったんだ。ぼくにとって唯一の友達ができたことは確かだけど。勇樹は違うだろうけどね。
もうすぐ幼稚園から巣立つっていう時、ぼくは自分自身の変化に気がついた。
卒園してもしかしたら勇樹と離れ離れになってしまうかもしれない。そう思ったんだ。人と関わることを避けていた、ましてや喧騒だったりパワフルな感じが苦手なはずのぼくが。煙たがる相手の条件にばっちり当てはまっている勇樹を、気にかけていたんだ。
母に聞いて大方の進学先は一緒だと知った時、安堵とともにそんな変化を自分で感じた。これを成長と呼ぶんだろうか、とも思いながら。
そうして、一時の別れをぼくと勇樹は迎えた。
「おはよー!」
「あ、勇樹。おはよう」
幼稚園の最終日、やっぱり初めに声をかけたのは勇樹。自分から話しかけないことで変なプライドを保ちたかったぼくは、その日も彼の元気な挨拶を受け入れたんだ。
「いよいよ卒園だな。お前と友達になれてよかったよ」
「そう。嬉しいな。前にぼくを誘ってくれてありがとうね」
「いいんだよ! お前のことは結構前から気になってたからさ。いっつも静かで、なんか大人っぽいっていうか?」
「え、ええ……そ、そんなことないよ」
社交性も高くて友達百人なんて余裕そうな彼に、そんな根本的なことを褒められた。そんな意識してることでもないしコンプレックスにもなり得ることだし。
なによりそこまで自然に褒められたことがなかったから、ぼくはとにかく照れた。元々会話しづらいのに、もっとしどろもどろになった。
「ケンソンしない! お前の良いところだ」
「ケンソン?」
「母さんが教えてくれたんだ。全部はわかんなかったけど、自分を悪く言うことなんだって。そんなの良いことないからやめろよ」
「う、うん。ありがとう、勇樹こそ元気でたまに優しくて。良いところばっかりだよ」
「あーやめろっ! そうかもしれないけど……なんか照れるじゃん!」
「ふふ、そっちこそケンソンって奴してる」
「これはしょうがない! 恥ずかしいから!」
「だね。ケンソン、なんとなくしちゃうよね。変なの」
彼との話は、先生の声はかかるまでほぼ途切れない。勇樹から切り出したなんでもない話題を、ぼくと彼でどんどん広げていく。それだけで意見や夢の世界を共有できて、いつも楽しかったんだ。
卒園日だっていうのに、なにも変わらないでいつまでも喋っていた。結局先生の助けが必要で、危うく式に遅刻するところだったよ。というか、遅刻してたかもしれない。
式は、彼や両親と時々アイコンタクトをして、厳かでありつつも微笑みながら参加してたと思うな。
色々と手続きが終わり、数週間だけの別れ。ぼくはけじめをつけたつもりだったけど、教室からの去り際、勇樹は少し駆けて来て言った。
「なあ! 小学校多分一緒だろ。またよろしくな!」
いつでもどこでも、でも決して安っぽくない素敵な笑顔を咲かせていた。死ぬまで……いや、死んでもその死の先でも覚えているようなね。
ぼくはそれに極力応えたくて、談笑するときも写真を撮るときもしなかった、精一杯の笑顔を浮かべたんだ。実際嬉しかったしさ。
「もちろん。ぼくが色々わかんなかったら教えて。頼りにしてるよ」
ぼくの声を聞いた勇樹は、まだ頰を緩めつつも少し声色を変えた。
「お前、勉強できるんだろ? 俺知ってるんだ。本当はできるのに隠して合わせてるの」
「え……?」
「我慢って良くないと思うけど、なんか自慢しない感じかっこいいって思うんだ! 俺っていつも頼られるんだけど、こっちだってたまには力抜きたい。お前にだけは頼っていいよな! だからさ、期待してるぜ。かっこいいお前に」
なにがなんだかわからなくなっていたぼくを気にしないで、彼は「じゃあなっ」と手を振って教室の奥に行ってしまった。
ぼくの方も親に手を引かれて、複雑な思いのまま帰路に着いたんだ。
ぼくの心は本当に複雑だった。ぼくが頼られるという突拍子もない言葉に動揺しっぱなしで、でも自分だけが彼の弱みを知れているみたいで特別感があって。
それに、自分を隠しているということが勇樹に知れていたことに最も驚いた。
知られない為に隠していたのに、それが筒抜けで。しかもそれがかっこいいと言われた。
今の思考力なら「能ある鷹は爪を隠す」って言葉もあるくらいだし自慢が人の気に触ることもわかる。でも幼稚園児の頭じゃ、自分のなにもかもを隠すことが悪いような気がしていた。
ぼくが引っ込み思案だから語らなかっただけで、ポテンシャルはそのままに勇樹みたいな性格で生きていたら、どんどん長所をひけらかしていたと思う。
「勇樹はケンソンしてたけど。こんなぼくのことを褒めてくれる、見つけてくれる勇樹はすごいな」
しばらく顔を合わせない間。ぼくはいつしか彼に、憧れの気持ちを抱いていたんだ。
そうしてようやく、小学校の入学式を経て一年生の教室を訪れた。ぼくは相変わらず人口密度の高い現状に既視感を覚えながら、ひたすらに彼の姿を探していた。
まだ担任が来てなくて、クラスの子たちは童心を残したまま自由に喋ったり遊んだりしていた。ぼくみたいな人見知り子は虚空の一点を見つめて時間が流れるのを待っていた。
もう少し成長して知ったことだけど、ぼくたちの世代は人数が多かったらしい。そりゃ1クラスの分の人数も多いわけで、彼を探すのは一苦労だった。
でも、どことなく彼らしい顔が、同級生たちの体や四肢の隙間からちらりと見えた。見えたと同時に、ドアの開く音がした。
「皆さん、おはようございます! 今日から皆さんと色んなことを先生と勉強していきましょうね!」
「はーい!」
元気のいい担任が教室に入ってきた。ぼくはその顔が本物なのか確認する暇もなく、渋々前を見ることにしたんだ。
先生の話が聞こえていたのは冒頭だけで、彼のことばかり考えていた。ついていけるように幼稚園で話を真面目に聞いていたぼくはどこに行ったのか、多分大事なことも全部流してしまったよ。
「はい、今先生が言ったことをもう一度言ってください」
「……え、ぼく? えっ……と」
「…………こうなっちゃうので、先生の話はちゃんと聞きましょうね!」
ぼぅっとしていたことは丸わかりで、初日から先生に突っ込まれてしまった。周りの、知っていたり知らなかったりする顔が面白そうに笑う。
自業自得ではあるけど、先生がぼくを教育の為の出しにしたみたいだった。いつもなら口調も相まって、ムッとくるところだけど。今はそんなことより彼のことだって、集中は懲りずに別のところに飛んでいった。
「教科書はみんなあるね? じゃあ最初の授業時間は終わり、10分の休み時間をとります。時計の長い針が7になるまで自由にしてください!」
「はーい! やったー!」
そうして休み時間がやってきた。となればやることは決まってる。ぼくの席は前方で、彼らしき顔が見えたのは後方。後ろの方へ飛んでいった。
人の群れを押しのけて掻き分けて、勢いよく教室の後ろの方へ。そうしている内に、急ぐぼくの頭になにかがぶつかった。
「痛っ!」
「いってぇ!」
そのなにかはもうひとつの頭だった。痛がる声ももうひとつ聞こえた。……聞き覚えのある声だったよ。
ぼくは額に近い頭をさすりながら顔を上げる。
「……勇樹!」
「へへっ、久しぶりだな」
ぼくと勇樹は再開した。大人からしたら数ヶ月なんて大した時間の流れじゃないんだろうし、ぼくもそんなに長い時間な気はしなかった。
でもなにか、嬉しさみたいな高揚感みたいなものが込み上げてきたんだ。
それは向こうも同じらしかった。ぼくたちは余計な言葉を交わさないで、またあの幼稚園での日々のように、なんでもなくて下らないことを駄弁っていた。
その時間は純粋に楽しかったんだ。勇樹とまた語り合えたってことも、とりとめのない話の内容も。
学校の敷地内に入ってから大体真顔だったぼくは、遠慮せず自然な笑顔を浮かべていた。そんな和やかなぼくたちを、先生が見ていた気がした。
ただ、流石人望厚く明るい勇樹。ぼく以外にだって隔てのない男の子たちは遠慮せず寄ってくる。
「おい勇樹ー!
「久しぶりじゃん!」
「お! お前らいたのか!」
「勇樹は周り見ないんだよ!」
「はっはっは、そうだなー」
ぼくは年長の途中で勇樹と友達になったけど、彼らはそれよりもずっとまえに関係を持っているんだ。ぼくよりも関係が深くて当然だ。
割り込むようにして話しかけてきた彼らと元々関わることの嫌いなぼく。どっちが勇樹が一緒にいて楽しいかと考えて、ぼくは席に戻ることにした。
ぼくは彼からすっと離れて、「じゃあまた」と手を振って戻った。
ぼくよりも親密な友人がいることなんて当然なのに、なんだか心がもやもやしたんだ。
別にどっちでも良いけど、なんて思いながら。勇樹はぼくのことを幾人もいる友達のひとりと数えているのかな。なんて考えてしまった。
お読みいただきありがとうございます。
徐々に深まっていく2人の友情ですが、当たり前ではありますが他の友人との差別に関してアークは考えてしまいます。
勇樹の誰に対しても変わらない、真っ直ぐな想いは届くのでしょうか。




