開花の爆弾少女
「わっ、眩しっ……」
ヘブンバックはよほど暗かったようで、帰ってきた天界の明かりが、目をつんざいた。
ぼくはアークとなってからヘブンバックを歩く中で、すっかり感覚を取り戻していた。小さな体も次第に慣れていくだろうし、今のぼくは大満足だった。
「ほら、これから天使たちに会うんだから。君の為にも、早く行くよ」
ゼルはそう言って、また宙を飛んだ。
「待ってよゼル、ぼく飛べるの?」
「ここは地球じゃないよ。君の常識は違うから、試してごらん」
言われるがままに、かかとからつま先と、そっと石畳から離していく。すると、足にかかる体の重みが消え、軽くなった感じがした。
これにはまだ慣れなかったが、きっと魂のときと同じようにやればいいのだろう。
全身、特に腹筋に力を入れ、前へ進むイメージを浮かべる。
「いい感じだよ、ゆっくりでいいから、僕を追っておいで」
「そこまでぼくは弱くないからね」
ぼくは一応反論しながらも、ありがたさを感じていた。ぼくたちは、上へ上へと上がっていった。
ほどなく、黄色っぽい雲が点々と見えてきた。さきほどまでの石畳の道はなく、立てそうな所はその雲たちしかなかった。
と、大きな幅のある雲が見えてきた。そこは噴水の一つでも置けそうで、少しの天使たちもたむろしていた。
「ゼル、ここは?」
「さっきまでいた層よりも身分が高い、七大天使やそれに近い天使たちが暮らす層だよ。ぼくもここに住んでてね。基本的には、ここや下の層で過ごすことになるかな」
「やっぱり天界にも、上下関係みたいなものはあるんだね」
そう、自分で言いながら、ぼくはある違和感を覚えた。ゼルの今の言葉に。ただ、それに今反応するのは違うと思った。
ぼくたちはその雲に一度降り、辺りを見回した。
「僕にとっては、見慣れてしまった景色なんだけどね。アーク、君はどう思う?」
「さっきの下層もきれいだったけど、ここはもっと美しいよ。地上にいたら、きっと見れないだろうね」
「ふふ、新鮮な反応だなぁ。人って面白いものだよね」
そう言われても、ぼくは息をのんで口を開けるくらいしかできなかった。なんとも言えない神秘さにここは包まれていて、まさに天界という感じだった。
「さ、見惚れていても仕方ない。家はすぐそこのはずだし、後ちょっとだけ頑張ろう」
「うん、なにをするにも、傷は直さなくちゃいけないよね」
ゼルは3秒ほど飛行して、別の雲に足をつけた。本当にすぐそこだったようだ。
見たところ、窓ガラスのようなスペースもあるようだから、景色も見えるはず。
ぼくは少しゆっくり飛んで、4秒たっぷり使って玄関前に立った。
「この雲って、一軒家を乗せてるだけなんだね」
「天使は基本、空にいるから。下層の石畳だって、本来はいらないんだよ」
ぼくはふんふんと聞く。ゼルは語りながら扉のノブを握り、木製に見えて頑丈な扉を、引きあけた。
「お邪魔しまーす」
「おじゃまします」
ゼルの挨拶を繰り返し、不思議な素材でできた家に入った。
内装はシンプルなものだった。中央にはそれなりの大きさの丸テーブルがある。そこに乗っている花瓶には、クロユリが一輪とレザーファンが数輪、いけられていた。
部屋に別室はなく、完全なワンルーム。角にはタンスやポールハンガーがあり、一般的な人の家、といった感じだ。
テーブルの周りには、ぶよぶよした白い物体が浮いていて、ゼルはそれに近づいていった。そうして、それに背を向けると勢いよく倒れた。
「わっ!?」
頭を打つと思って、ぼくは大声をあげた。けど、ゼルはその倒れたままの姿勢で、白い物体とともに浮いていた。つまり、物体はゼルの体を、浮きながら支えているのだ。
「心配せずとも、ほら、僕は無事だよ」
「ど、どうなってるの?」
白い、布のようなものは、さきほどとは形を変えて浮いている。
「これはね、地上にはない特殊な物なのさ。フローティングフロート。通称は、まあそれぞれだね。僕は“フロート”って言ってる」
「フロート……これって、なんなの?」
「ずっと浮いていて、布みたいにふわふわしているだろ。でも、強度が変わったり、形を自在に変化したりするんだ」
「そんなものがあるんだ。天界って、すごいものばっかりあるよ」
「それは嬉しいね。まあ、いわゆる地上で言うところのソファーやベッドを、兼用できるってわけだ」
「ゼルもこれを使ってるの?」
「僕は、人のソファーがお気に入りでね。疲れたときは、移動用に使ったりするかな」
「へぇー……」
「アークも、寝転がってみたらどうだい? そっちのは、あの子のだけどね」
ゼルの小声は、よく聞こえなかった。言われるがまま、ぼくはフロートに近づく。 恐るおそる背中をフロートに預けると、ポンっと軽い音がした。足は、床から離れていた。
ぼくはフロートに支えられ、浮きながら寝転がっていたのだ。
「わぁ、なんか、変な感覚」
「でも、楽だろう?」
フロートは、上半身分の幅しかないように見えたが、溜まったしわを伸ばし足までも包んでいた。
力を抜かし、放り投げた足を支えているといっても、まるで布の感触だ。頬や腕に温もりのある布が絡みつき、心地よさの最高潮を迎えそうだった。
「あれ、眠いな……」
「ああ、人間に戻ったことで、人として必要な活動をしなきゃいけなくなったんだな」
「でも、これ他人のなんでしょ」
「僕が大丈夫って、保証するよ。家の主人とその相棒を探してくるから、少し寝てるといいよ。すぐ近くにいると思うしね」
段々と、景色がかすんできた。睡魔はすきもなく襲いかかってくる。
「じゃあぼく、寝てるから……」
「はい、お休みなさい」
ゼルがキィと音を立て出ていくのを、目だけで見届けると、ぼくは横向きに目を閉じた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「ん……」
どれだけ時間が経ったのか。ぼくはすっかりフロートに身を委ね、ぐっすり眠っていた。やはり眠るっていうのは、良いことだと思った。
どうやらぼくは、寝返りを打っていたようで、左向きに起き上がった。それでもフロートからは落ちず、形を変えてぼくを支えてくれていたようだ。
あくびをして、足と腕と指と。様々な箇所を伸ばす。これ以上ないくらいの気持ちの良い目覚めで、窓からくっきりとした天界の上層を見た。
「本当に、きれいだな。いつもゼルはここで過ごしているのか」
改めて景色を見直して、地上と天界の差を思い知った。
ため息は、疲れた時以外にも出るらしい。思いきり天界の空気を吸い込んで、吐く。心に転がる違和感が、浄化された気がした。
ぼくはフロートに改めて座る。
そういえば、ゼルはこれを移動用として使う、と言っていた。ぼくもやってみようか、そう思い立った。
といっても、どうすれば動くか見当もつかない。とりあえずフロートが移動するところを想像し、ポールハンガーの前まで行こうとした。
そう思ったのと同時に、キィと音がした。扉が開いたのだとわかって、ぼくはフロートごと振り返った。
「ゼル?」
天使を探しに家を出た、あの彼の名を呼んだ。
しかし、そこにいたのは、小柄な人だった。あれは、子供だろうか。
「あ、お前! なに勝手にフロー使ってるんだよ!」
「え、え?」
子供は、少女に見えた。少女は僕に向かって怒鳴り、駆け寄ってきた。
当のぼくは、困惑で心が埋め尽くされていた。確かに勝手に使ってはいたが、こんなに怒られるとは思わなかった。しかも、おそらく自分よりも年下の少女にだ。
「フロー、こっちにおいで!」
少女が凛とした声でそう呼ぶと、フロートはぼくをそっと降ろし、すぐさま少女の方へ動いた。
少女は丸くなったフロートを抱え、なでている。と、ぼくをきっと睨みつけた。
「お前、人間だろ。他人ん家に勝手に入れって言われたのか!」
「違うけどさぁ……」
「それにそのフロー、ルイズのだしぃ……」
「え、ルイズ?」
その名前は、多忙な中でも聞き覚えがあった。ぼくがまだ、地上でうろついていた時。大鎌を持ってぼくを襲った、あの狼子供。
あの子は、自分をルイズと呼んでいた。
そういえば、あの時会ったルイズと、目の前の少女は、同じ狼の被り物をしている。違ったのは、赤黒している髪が見えているか見えていないかだ。
「お前、もしかして。ぼくを襲った子供か?」
「はぁ? んー……あれ? あの珍しいガキ?」
「多分、そう」
彼女――ルイズは、ぼくと立場が変わって、目を丸くしてぽかんとしている。が、数秒かけて僕の言葉を理解すると、引き締まった真顔に戻った。
「そっか、結局ここにきたのかぁ」
ルイズの顔は、やや落ちこんでいるように思えた。手をもうひとつのフロートに向けて、ぼくを案内した。
「まあ、こっちのフローだったらいいよ」
実のところ、十分すぎるほど休息を取った為、立っていてもいいのだが。空気を読んで、座ることにした。
恐らく、ルイズの言うフローとは、フロートのことだろう。ゼルは、名称はそれぞれと言っていた。それでもぼくは、フロートと呼び続けるけど。
「で、君名前はあるの」
「アーク。ゼルに名付けてもらった」
「ふぅん。あいつ、やっぱり拾ったのか」
「なんだよ、拾うって」
「相棒制度って聞いてない? 人の魂を拾うことで、天使の相棒が連れられるんだよ」
「じゃあ……ぼくを相棒にする為に、こんな名前までつけたってことか?」
「不自然に天界で生かされてるってのは、そういうことだろうね。ルイズも、最初はなんにも言われなかったし」
なるほど。ぼくは、違和感がひとつ解けた。
ぼくはずっと、疑問に思っていたことがあった。天界に着いても成仏はしないようだったから、また別の世界に行くんだと思っていた。でも、ゼルは名前をくれたり器をくれたりした。この先なにをしようとしているのか、全く理解できていなかったのだ。
けど、彼はぼくを相棒にするという目的を持ち、ぼくを天界で馴染ませようとさせてくれていた。
なんとなく、先への希望が湧いてきた。ルイズはこの天界にすっかり慣れているようだから、相棒となってからは長い間過ごせるようだ。ぼくは人間としての生を早くに終えたから、代わりとしてここで生きられるということだろうか。
「そうだったのか……」
「おい、ひとりで納得するな! なんでここにいるか、説明してもらおうか」
「ああ、いいよ。けど、お前のことも説明してもらうからな」
「えぇ、なんで……まぁいっか。で、なんの用があんの?」
呆れ顔をしてフロートにもたれたルイズは、ぼくの話をおとなしく聞いていた。
ぼくは、ルイズと別れた後から今まで、あったことをすらすらと語った。器や名前、ブレイクルームでの出来事はどうでもいいので、そこはかなり簡潔にした。
ルイズは途中、脇腹くらいまでありそうな、被り物に付いた耳当てを頬をくっつけたり揺らしたりしていた。
それでも話はきちんと聞いていたらしい。「それで、今に至る」と締めると、「じゃあ次は、ルイズの番」と口を開き始めた。
「感想とかないのか」
ぼくは皮肉っぽく呟いたが、ルイズには無視された。
「改めて、名前はルイズ。君と同じ人間で、天使に拾われたんだ。その天使は四大天使のひとり。叡智と哲学を司る、リィって奴! 本名はウリエル。炎と光も扱えるんだ」
話はどんどん脱線していった。ルイズについて語るはずが、ルイズを拾った天使の話題になってしまっている。
とても楽しそうに話すのを止めるのは、少し抵抗があるが、ぼくは指摘をした。
「ルイズ、本題はお前の話だろ」
「これ、本題じゃねーの? それに、これ以上言うことなんかなぁ」
「じゃあ、前に持ってたあの鎌はなんなんだ?」
ルイズはそう言われると、自分の手元を見た。それから、以前のように光の泡が現れ、鎌が出来上がった。
「これのことー?」
「そう」
「これはゼルにもらった物。あいつ元々、鎌を持ってたんだけど、必要ないってルイズにくれたのさ」
「なんでゼルが、鎌を持ってるんだ」
「死の大天使だろ、あいつ。一応死神の類だし、威厳を保つ意味でも持ってろって、神に言われたらしい」
「ふぅん……」
「後、ちなみにだけど、あの鎌じゃ成仏できないからな。なんかには使えるだろうけど、ほとんど飾りってゼル言ってたぜ」
ルイズは調子に乗りながら話す。
神、か。そういえば、天界にきたというのに、神の気配は全く感じなかった。懸命に働く天使や人間たちだけだ。
いくら天使と言えども、神と同じ次元には立てないのだろうか。
「ゼルって、神と話せるのか?」
「いーや、神の言葉を聴けるのは、限られた天使のみなんだ。天界を知りたいなら教えとくけど、グリウって奴だな。ゼルが聞いたのは、グリウを介してだよ」
「グリウ……神に聴けるなら、いつか会うこともあるかな」
ぼくは顎に手を当てて、考え込んでいた。グリウという、恐らく天使について。
だが、視線に気づいた。ルイズの、好奇心に満ちた輝いた目だ。先ほどの不満げな表情とは打って変わって、口角がぐっと上がっていた。
「なんだよ、気持ち悪い」
「意外と毒舌なんだなぁ。なに、本当に珍しいガキだと思ってね」
「ルイズの方がガキじゃないのか」
「だってさ、ルイズの周りじゃあ『神様』『神様』って酔狂した奴らばっかで。アークみたいな、特になんにも信仰してなさそうな人間は久し振りに見たなぁ」
ルイズはしみじみ語っていた。だが特に思い出すような様子はなかった。ぼくをじっと見つめているだけなのだ。
「そんな見るなよ」
「なに、照れてる〜?」
「はぁ? なんでだよ」
「はははっ、面白くってさ。でも、ルイズはアークみたいな口の悪い無愛想なわけわかんない野郎には、目もくれないからね」
「お前こそ、毒舌家だろっ」
図星を突かれたわけでもないのに、ものすごく焦ってきた。手から液体が、じわっとわいてきた。
これほど必死になって反論したのも、久し振りだ。いや、初めてかもしれない。今までは流して無視してきたことが、そうではなくなっている。
ルイズは前、鎌を振り上げた時とは違う、満面の笑みを浮かべていた。フロートを握りながら、ケラケラ笑っている。
ぼくは目を合わせたくなくて、窓の向こうに立って向いた。
すると、ルイズの笑い声がなぜか弱まった。そして、コツコツという歩く音がした。
「よく見たら、傷だらけじゃん。痛くないか?」
「別に……関係ないだろ」
「んー、服ぐらい、くれてやってもいいけど」
ルイズは急に、高飛車な態度を取り始めた。ぼくもなぜかムキになって、負けじとそんな態度をとった。
「あるんだったら、受け取ってやってもいい」
「へぇ〜? こっちにも、考えはあるけど?」
「考えか。言ってみたらどうだ」
「着いてこい」、と言うだけいって、ルイズは家を出た。ぼくは天邪鬼の心と葛藤しながら、ルイズの向かった家の裏手へ飛んだ。
ルイズは鎌を肩に置き、待ち構えていた。誇ったような顔をしている。よく表情の変わる奴だなと思った。
「アークがそこまで言うなら、検討の余地がある。それは、君が耐久戦で勝つことだ!」
「耐久戦? なにに耐えるんだ」
「それはねー、ルイズの攻撃からさ。見ればわかるよ」
そう言うとルイズは、鎌を光の泡にして一旦消した。空いた両手を突き出して、ぶつぶつなにかを言っている。
と、突如。ルイズの両手の前に、魔法陣が現れた。それも、見たことのない複雑そうな魔法陣だ。
「これは魔術、魔法だ! 天界のものじゃなく、ルイズが書物を読んで習得したものだよ!」
「魔法……?」
嘘を言っているようではなかったが、本当のことなのかぼくにはわからなかった。ただ、ひとつ思ったのは、疑っていた天界はあったのだ。魔法もないとは限らないのだ。
そして、それを裏付ける光景を、ぼくは目にした。
「よーく、見ておくんだな!」
バババババババババン……なんて、派手な音はしなかった。無音で、魔法陣から大量の大きな弾丸のようなものが発射されている。
その弾丸は、丸い形をしていた。弾丸自体は紅かったり蒼かったりするのだが、わずかに白い光を発している。
弾丸が当たった箇所は、壊れはしていないものの小さく爆発している。あれに当たれば大事になるということは、なんとなくわかった。
「あー、わかったよ」
「ふふん、物分かりがいいね。耐久時間は甘めに3分! サービスタイムだ!」
ルイズは再び鎌を取り出すと、魔法陣を大量に出現させた。
予想以上にきつそうではあったし、こんなことをする意味もわからない。けど、もうやめられそうな雰囲気ではない。それに、少しの期待感もあった。
ぼくは、覚悟を決めた。
「さあ! 行っくよー! アンリーゾナブルタイム、スタート!」
お読みいただきありがとうございます。
ついに天界の人間に会えました。これからも多くの天使や相棒に出会っていきますので、ぜひお待ちください。