天界のぼくをつくろう
「わぁ……」
ぼくはゼルについて行きながら、幻想的な天界の景色に見惚れていた。こんな、感嘆の声も漏らしてしまうほどだ。
山頂からの街並みや、朝焼けの海を思い浮かべてほしい。人によっては、鳥肌が立つこともあるだろうが、そんなレベルではなかった。感動なんかしたことない、という人間だろうと、漏れなく心が動く。
誇張表現は一切ない。思ったことをそのまま、言葉にしただけだ。
「君、ぼぅっとしないで迷子にならないようにね」
「う、わかってる」
僕は改めて前を、ゼルの方を向いて、しっかりと進み始めた。彼は、当然かもしれないが、この世界にすっかり慣れているようだ。脇見もよそ見もせず、淡々とあくびなんてしながら歩を進めていく。
上や下には、飛び回ったり働いたりしているような、羽のついた人がたくさんいる。きっと、天使だ。
ぼくなりのイメージは、天を幸せを呼び寄せるように、飛んでいる姿だったのだが。天使といえども、職務はあるのだなと、なぜか感心した。
と、ゼルの声が、心の世界に入ったぼくに届いた。
「はい、ここが天使たちの集い場。ギャザリングホールだよ」
「天使が、集まるのか」
「そう。通称Gホールとか、リングホールとかね。君の世界でいうところの、公民館みたいな所さ」
不思議と柔らかな印象を受ける石畳に、Gホール(とぼくは呼ぶことにした)は建っていた。
ゼルは公民館、と言っていたけれど、まるで西洋の城のような外見だ。細かい装飾がなされ、塔のように上に行くにつれ細くなっていく構造らしい。3階辺りの中央には、見事な色彩を放つ、ステンドグラスもあった。
ぼくがホール内に入ると、忍者で定番のどんでん返しを使ったかのように、突然空気が変わった。なんだか急に、肩身が狭くなったような気がしたのだ。肩はないけれど。
「もうちょっと動けるかな、もうすぐ休憩所だから」
「大丈夫、そんなには疲れてないよ」
「なら、良かったよ」
そうは言ったが、休息は欲しい。さっきの狼子供との出来事で、かなりの満身創痍だ。引きずっているようだが、頼りになるかもしれないと思った、希望からの絶望はショックが大きい。
そういえばあいつは、「成仏させてあげる」みたいなことを言っていた。ひょっとしたら、あの鎌の一閃は、素直に浴びておいた方がよかったのだろうか。書物の死神も、鎌を持っていたし。
そうも思うが、来世を待つまで永年暗転の意識というのは、どうしても恐怖が拭いきれない。未練を残さず輪廻するというのも、決していいことではないだろう。
なら……ぼくの死んだ世界に残された、幼馴染たちは、どれほどの恐怖、絶望に襲われているんだ?
「君、やっぱりなんか、ぼぅっとしてるね」
「え、あ、ごめん」
「別に、謝ることじゃあないけど。着いたよって言いたかったんだ」
見下ろすと、床はいつの間にか、ふわんとしたレッドカーペットから、地上の温もりを思わせる木板となっていた。
休憩所だったか。天界は日光がさすというより、影が自然にできているといった感じらしい。なので、ベッドの上や丸テーブルの側は、暗い影ができている。
ぼくは初めてゼルより前に出て、自由になりたいベッドを選んだ。特に寝転べるわけでもないが、体の力が抜ける感覚はあるため、久しぶりの休みを得た。
「はぁ〜疲れた。天界って良い所だな」
「褒めてくれて、嬉しいね」
「うん……」
ぼくもゼルのように、上手い対応をするべきなのだろうか。ただ、ぼくは本当に、疲れていた。
自分が死んだショック。いつも語り合っていた、仲間との別れ。慣れない体を使う疲労。希望からの絶望からの困惑と、感情の激動。これで空気なんて、読めるものか。
それでも彼は、木の椅子に寄りかかり、悠々としているのだ。疲労の具合が違うとはいえ、天で働いていた天使たちとは、明らかに風貌が違った。
やはり彼は、身分の高い天使。アークエンジェルなのだろう。
「紅茶、美味しい。地上は良いものばかりだね」
独り言だ。どうやら、ぼくのことは瞳に映していないらしい。しばらくは、放っておいてくれるだろう。できるか知れないが、眠るという行為に挑戦してみることにした。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「君、充分休めたかい?」
「ん? うぅ〜ん、そんな時間?」
ぼくは結局、眠ることはできなかった。しかし、休日に窓の外を見てボーッとしているように、ぼんやりと浮かんでいることはできた。
ゼルは砂時計を、9回ほどひっくり返したという。そんな時の流れも、少しも感じなかった。木の部屋や天界、精魂込めて動き回る天使たちを見ていれば、暇を潰せるどころか、興味すら湧いてくるのだ。
ぼくは外を向いていた為、また体をくねらせて、ゼルを真正面から見た。そこで、初めて気づいた。体の疲労はすっかり抜けていて、とても軽く動けるようになっていたのだ。
寝てはいないのに、日曜日の朝のように、すっきりとした目覚めに思える。心も、癒えただろうか。
「大丈夫、ありがとう」
「いえいえ。さて、もう動けるとは思うんだけど」
ゼルは、自分の座る丸テーブルの向かいに、ぼくを誘った。そうしてから、彼はこうもったいぶった。
特に行くあてもなく、このまま冥界的な場所に連れられるのだろう。そう思っていたぼくには、次の言葉は刺激的であり、希望に再び満ちさせてくれた。
「今の体じゃあ、疲れて不便だろう。だから今から、“君の器”を、探しに行かないか?」
「ぼくの………器って、まさか」
「わかんない? 今の君は魂。それが入る為の、器さ。つまりは、“体”ってことだね」
体。あるだろうか、体という存在が、恋しくなったことは。これほど自分の体を、求めたことは、あるだろうか。
ぼくに顔があったなら、その喜びはきっと彼にも、伝わっただろう。ぼくはよく、表情が硬いと言われるのだが、今回ばかりは喜びに満ちていたはずだ。
この体は確かに疲れるし、体が変われば、人間としての思い出やなにもかもを、捨て切れるかもしれない。
「体は、地路地にあるから。そこから好きな体を選ぶといいよ」
「うん、早速行こう」
ゼルは紅茶のセットを手に取ると、宙に浮き、すっすっと部屋を出て、吹き抜けを通り受付のあるロビーへ飛んで行った。
天界には、基本天使しかいないらしいから、Gホールに階段なんてない。恐らく、他の建物もそうだろう。ぼくはゼルを追い、自由度の増した体を存分に使った。
「紅茶のお味は、いかがでしたか?」
「いつも通り、最高でした。このポットも、それを一層引き立てていましたね」
「まあ、嬉しいですわ」
「相棒の天使さんに、よろしくお願いします」
ぼくが受付に着いた頃、ゼルはすでに、借りたポットを返していたようだった。地上で拾ったらしきティーバッグは内ポケットに入れて、ぼくを見やった。
レセプションに立っていた女性は、天使には見えなかった。ゼルによれば、「君と同じ人間で、僕ら天使の相棒」ということらしい。紹介された彼女はにっこりと、微笑んでくれた。
ぼくもそれにならって、会釈する。さっきの口ぶりからして、ゼルと彼女は知り合いなんだな。そんなことを、思ってみたりする。
「さ、早く行くよ」
「うん。気にいる器、あるかな」
「ご利用ありがとうございます。次回もぜひ、お越しください」
ぼくたちは、受付の女性とGルームと別れて、地路地という所に向かった。
ヘブンバックとはなんなのか。飛び行く途中、ぼくは聞いた。
「ここ、天界は、白夜のように常に明るいだろう。ヘブンバックは、それとは大違いの、薄暗い路地さ」
「路地かぁ。天界に、そんな所が?」
「天使たちには、人の体と魂を使って、“相棒”を連れられる権利がある。ヘブンバックは、魂の抜けた体を保管しているんだ。魂がないとはいっても、地上の雰囲気を感じて欲しいっていう気づかいさ」
「人の、相棒? さっきの女の人もそうなのかな」
「そうだね。まあ、雰囲気は一目瞭然だから。習うより慣れろ、だっけね」
ゼルの話通り、進めば進むほど、影が濃くなっていった。前の方には、崩れかけたビルのようなものが見えた。
恐らくヘブンバックに突入すると、その景色に、天界とはまた違った意味で、圧倒された。
崩れかけたビルは、ヘブンバックを四棟で囲み、中央に1棟、堂々とそびえ立っている。ミサイルを投下されたかのような、荒廃した地だった。上は広いけれど、すぐ横は電柱やビルが邪魔して、とても窮屈だ。
そして、なにより驚愕だったのは、そのビルに人が張り付けられていたことだ。 うなだれたように顔を伏せ、全身で十字を作っていた。
左のビルには、若い女性が。右のビルには、しわがれた老爺が。そして、正面の一際大きなビルには、老若男女問わない様々な人が、張り付けとなっていた。
当たり前だが、人々は色彩のない表情をしている。それが集合体のように大量にあるのだから、多少の尻込みはあった。
「う……なんだよ、ここ。人を保管してるって、随分とぞんざいな扱いじゃないか」
「別に、風雨にさらされているんじゃないから。後、君は気づいていないらしいけどね、ヘブンバックには、特殊な結界が張ってあるんだ。空気だって、特別さ」
「それでも死体は、腐敗していく。せめて、安置室とかに入れてあげたらどうなの?」
「こっちの方が、見やすいだろう。君の器の選別に、いちいち棺桶の蓋を開けていくわけにはいかない」
ああ、今日はショックを受けてばかりだ。天使に対するイメージが、またも崩れ去った。
張り付けとなっている人々は、決して極悪人ということではないだろう。それなのに、死体となってからも、こんな仕打ちを受けるなんて。
ゼルは、中央のビルを見据えた。
「天使は、慈悲の塊じゃあないよ。天使は、神の思召し通りに、神の為に動き働くのさ」
「……そう、なんだ」
「僕は望んでいないけれど。天使ってのは、人の目線に立てば、冷酷な存在だよ」
ぼくは、天使のイメージとのギャップに、失望しているんじゃない。死後の肉体の扱いが、あんなものだとは。死ぬことが、より怖くなってしまった。
「ねえ? 君があの人たちに、同情をするのなら。それこそ器に乗り移り、使ってあげた方が報われるんじゃないか?」
押し黙って、考える。この天界が滅びるまで、彼らたちを張っておくか。今すぐここから連れ出して、自由を共に過ごすか。
ゼルの言葉には、一理どころじゃない。二理、三理くらいあるだろう。こんな時に、天邪鬼になっている場合じゃない。
「うん。探すよ、ぼくの器」
「ふふ、その調子だね。若のビルはこっちだよ、着いてきて」
ゼルはそう言い、また前を歩き出した。
ぼくはズルズルと落ちこまず、天界を知る為に、バックヘブンについて色々聞いた。
その結果は以下の通りだ。ビルは5棟建っており、その内の4棟に、老若男女ごとの人が張ってあるという。そしてそれぞれを、老のビルとか、男のビルとか呼ぶらしい。
老のビルには、老婆・老爺どちらも張ってあるらしい。そして、これはどのビルにも通じることらしいが、ビルの面によって、年代や性別は変わるという。きっちり、仕分けられているということだろう。
若のビルには、18歳までの、いわゆる子供が張ってある。これも性別は混同だ。割合としては、中高生が多い。自殺でもしたのだろうか。
男のビルには、成人を済ませた、60歳未満の男性が張ってある。年齢層が幅広いとはいえ、一番少ないように感じる。
女のビルには、これまた成人を済ませた、60歳未満の女性が張ってある。若い女性が、なんとなく多い気がする。
ぼくが聞いて見た情報は、そんなところだ。
進むうち、時々瓦礫の上を通りながら、最後の中央のビルに到着した。
「この巨大なビルには、老若男女関係ない、逸材が張り付けられているんだ」
「なにか、条件でもあるの?」
「うーん、僕はよく知らないんだけどね。多分、人間が気に入りやすいとか、動かしやすいとか、そういうことだろうね」
「ふーん。じゃあ、ここから選ぼうかな」
ぼくは、ぼくに似た、小学生らしき子を探し始めた。ゼルも、一応若のビルに行ってくれているようだ。
飛び回りながら思うが、なかなか少年の器はない。遺体全てが運ばれてきているとは思えないから、身元不明の少年遺体は、そうそうないのだろう。
色々考えながら、ぼくは気に入った少年の器を、苦労してやっと見つけた。というか、それくらいしかなかったのだ。
ぼくは、十字架を体でつくる少年を観察した。これには理由がある。この少年、どこかで見たことがあるような、気がしたのだ。
下を向く顔は、ぼくよりもやや幼くて、死んでしまうには惜しい年代だっただろう。……この、なんともいえない悲しさ、虚無さも、どこかで感じたような。
でも、その正体はいくら考えてもわからない。気にしていても仕方ないから、とりあえずゼルを呼ぶことにした。
「おーい、ゼルー! これでいいー?」
「今行くよー」
風のような速度で、ゼルは来た。少年をまじまじと観察すると、彼の胸部に手を当てた。だんだん、眩しくもない光線が姿を現してきた。
それが最高潮に、はっきりし始めた時。音もなく、それは砕け散った。と、少年の体は、ズッ……と下に落ちかけた。
「危ないあぶない、落ちるんだったな」
「なにしてるの?」
「体が吊ってあるのは、結界のおかげ。それを壊さないと、状態が見れないだろ」
どうやら、さっきの光線は、結界だったようだ。ゼルに抱きかかえられた少年は、一緒に下に降りていく。ぼくもそぅっと、降りる。
力の抜けた少年を、ゼルは持ち上げながら検査していった。一応丁寧な扱いはしていたが、やはり天使のイメージとはほど遠かった。
やがて、検査結果が出た。
「うん、特に不自由もなさそうだし。いいんじゃないかな」
その一言に、ぼくは、ガッツポーズをしたつもりだった。ようやく人に戻れる。これまで魂の姿に苦労してきた分、喜びはひとしおだ。
「よし、どうやって入るの?」
「体を通り抜けて、心臓の中央にねじるように入っていく。で、引きこまれる感覚に抵抗しなければ入れるって、誰かが言ってたね」
「わかった、やってみる」
今のゼルの言葉は、このとき考えてみても全く説得力がなかった。でも、人間に戻れるなら、なんでも試してやろう。そんな、希望に満ちていたから、安易な言葉も信じられた。
それに、Gホールのレセプションで立っていた、人間の女性。彼女は地上で過ごしていないにも関わらず、爽やかな笑顔を自然に浮かべていた。
天界での未来がどうなのかはわからないが、人となって悪いことはない。いや、良いことしかないのだ。
ぼくは覚悟を決め、少年の心臓に突入した。
「わっ、通り抜けてる……」
ぼくの体は魂だから、彼の体を通り抜けるのは当然なのかもしれない。実感はあまりなかったが、赤黒い景色は広がっていた。
心臓にはあっさり到達し、後は中央に強く、体を押し付けるだけ。少年の体と一体化するのを意識しながら、ぼくは体をひねり続けた。
気づけば、力を入れなくても、勝手に魂が引っ張られていった。それにただ、身を委ねている。
「あれ?」
いきなり、感触が感じられた。
ひんやりした、ざらついた感じ。触れたり触れなかったりする、衣服の擦れ。
これは、人の感覚だ。
「う、痛っ!?」
「え、そんな痛かった? ごめんね」
頰の骨と肉が、圧迫される痛みを感じた。久しぶりの痛みに、慣れていない。
人としての意識を取り戻したばかりのぼくに、ゼルは頬を突いて起こそうとしたのだ。
ぼくはそれについて、文句を言うついでに、ややふらつく足を電柱で支えながら、体の調子を確かめた。
「ゼル。起こすのに、そこまでする必要ないでしょ」
「そんな、強くないはずなんだけど。まあ戻れたなら、良かったね」
「うん、ありがとう」
少年の死は、一体どんなものだったのだろう。
傷だらけの体に、疲労や乳酸の溜まっていそうな、肩や足。服も肌の感じも、どことなく見すぼらしかった。体格も、前のぼくよりずいぶん小柄で、華奢だ。
ただ、彼がどんな人生を歩んできたかは関係ない。ぼくが彼とともに、新たな生を歩むのだから。
「さて。その体は、たっぷり治癒する必要がある。そこでなんだけど」
「どこか行くの?」
「うん、本当はこのまま、天界を知ってもらう為に、ぼくと同じ七大天使にあってもらおうかと思ってたんだけど。怪我も多いみたいだし、治癒できる相棒を連れる天使の所に、ついでで行ってみようか」
「とにかく、傷を治してくれる人に会うんだね」
「そうだね」
ゼルはヘブンバックの出入り口、細暗い路地に歩き始めた。と、ぼくはまた着いていく中、一つの疑問を覚え始めた。
「ねえ、ゼル」
「なんだい」
「天使の所に行くっていってたけどさ。ぼくの名前って……どうするの?」
「人間時代の名前じゃあ、だめ?」
ぼくは黙って、少し顔を伏せる。なんとなく、嫌だったのだ。思い出を彷彿とさせるからだろうか。
「あのさ、僕から提案したい名前が、あるんだけど」
ゼルはぼくを気づかったのか。提案をした。本当に優秀だ。空気も読めるし、前々から名前を考えていたのがわかる。
歩みは止めず、横顔を見せながら彼は言っていく。
「僕はデスアークエンジェル。その中の“アーク”をとって、君の名前は≪アーク≫。どう、センスない?」
アーク、か。可も不可もない、様々な中立に立つぼくに、相応しい名かもしれない。名前がもらえるだけ、嬉しいのだから、喜んで名をもらわないと。
「いいと思うよ。ぼく、気に入った」
「ならいいよ。これからは、それを名乗っていくといい」
「うん」
ぼく、アークは、大天使のゼルにゆっくりと、着いていった。
アークとして、精一杯過ごしていく為に。
お読みいただきありがとうございます。
今回は少し長くなってしまいましたが、天界のことをよく知っていただけたと思います。
次回あたりから、天界の住人たちと知り合っていきます。楽しみにお待ちください。