壊れていく家庭
そうね、どこから話そうかしら。まだ私が、母と父と一緒に暮らしていた時くらいからにしようか。
家庭環境はそれなりだと思ってたわ。欲しいと言ったものは、ノルマを達成すればひとつ買ってくれて。充分すぎるほどの愛を受けて。
でも、よく考えたら経済的に他の友達と劣っているところがどこかあったの。いつもなんとなく、仲間はずれのような劣等感を感じていたし。だから、本当は貧乏寄りだったのかもね。
けれど、その時まだまだ子供だった私は、親への要求がエスカレートしていった。家で過ごして友達と笑っているだけで幸せなのに、それ以上の贅沢をしようとしてたの。
「お母さん、あの可愛いお洋服買って! お父さん、遊園地行きたい! だってみんな言ってるんだよ!」
そんな具合に。子供だからと言い訳するんじゃないけど、その頃じゃ値段なんて知らないしいくらが高い値段なのかっていうのもわからない。
当然、両親ともに叱られたわ。求めすぎるなって意味もあったんでしょうね。
「なくたって大丈夫よ。高いお洋服じゃあお友達が寄ってきてくれないこともあるのよ? それに今の方がずっと可愛いわ」
「そうだよ。遊園地も、毎年一回は旅行にいってるだろう? 来年の楽しみにとっておこうよ」
叱るというか、やんわり否定する感じだったけど。それでも否定されたのは事実。私は悔しさと怒りのあまりに、思わず言っちゃったの。
「なんでお友達が来ないの! なんで今年行かないの! ケチ! お父さんもお母さんも嫌い、どっか行って! もう……顔も見たくないもん!」
なんでこんな、馬鹿なこと言ったのかしら。全てはこの感情的な言葉から始まってしまったのよ。
どこか、なにかひとつ友達と違う。そんな少しの歪さへの苛つきが溜まって、そんなことになったのかしら。
私は怒鳴り散らした後に、ドンドンと音を立てながら外に出た。精一杯の怒りの表現って奴ね。
まだ幼稚園か小学生かくらい。ひとりで出歩くなんて、それは母も父も心配したらしいわ。ドアから出て行った私を必死に追いかけようとした。でも私は捕まりたくない。だから、友達と冒険し尽くした自分の街を、縦横無尽に使い果たして逃げてやったわ。
……ああ、そうそう。私はいつも家に帰るのが遅かったの。それは学校の男の子と女の子とかと、入り組んだ街を探検していたから。抜け道なんてものを見つけたり間隔の狭い建物は飛び移ったりしてね。
ふふ、ええ危ないわね。スラム街でもないのに、倒壊しかけてたビルなんてのもあったし。変なところだったわ。
それで、日が沈む寸前くらいまで、街を雑に散歩していた。流石に光源がなくなっちゃ、動きようがないから。月も満ちている時期じゃなかった。
「お母さんたち、怒ってるかな……」
家を突発的に飛び出して落ち着いた私は、今の状況にやっと気が付いたの。親にとんでもないことを言ってしまったってね。
もう、怒鳴り返されることは覚悟の上だったわ。両親の顔を見た瞬間、「ごめんなさいっ!」って言うつもりだった。
でもドアを開けて、恐る恐る家に入ると。やけににこにこ笑う父と母がいたの。
「あらお帰り。お腹すいたでしょう」
「もうご飯はできてるよ。食べたらお風呂も湧いてるし、好きに入りな」
「ごめんなさい」の「ご」の字も言えなかった。そんなことより、両親のその不気味さに圧倒されていたから。
とはいえ逆らったって仕方ないから、しどろもどろにならないように返事をして、その日は静かに寝たわ。
そして……私たちの生活が一変したのはここから。両親の態度が、妙に優しく変わったその日から一ヶ月くらい経った頃。
……父が、家を出て行った。両親からの説明はこう。
「驚かないで、静かに聞いてちょうだい。実はお父さん、外国に出張になるの」
「ああ、しかも結構長い間なんだ。いつ帰ってこれるかわからない。だからしばらく、お前とお母さんのふたりにさせてしまうんだ」
「お母さんは大丈夫なの。あなたは、大丈夫?」
この時、私のせいかもしれないって考えたわ。でも何故か、脳が勝手に否定した。「そんなことはない。私はなにも悪くない。それにお父さんだって出張だと言っている。悪いわけがないんだ」心を軽くする為かしらね。
私は正直頭が真っ白だったけど、なんとか一言返事した。
「うん、大丈夫……」
「ああ、それは良かったわ」
「ごめんな……よろしく」
母はいつも通り微笑んで言った。でも父の作られたような笑顔には、一抹どころじゃない深い悲しみが見えた。しっかりと私をみてくれる目が伏せられていた。
きっと、お金がなくなったのね。この僅かな一ヶ月という期間だけど、その間に私の要求はどんどん呑まれていった。
欲しいと言ったものはその場で買い、外出には私が行きたいといえばすぐにでも行った。子供の私にとってみれば、その一ヶ月は実に楽しい時間だった。幸せたっぷりだった。その幸せが、悲しみの上にできているとも知らないで。
そうよ、私のせいで父と母は別れた。離婚届を出す羽目になった。家から父の痕跡が消えることになった。
その日から母は狂い始めた。父が消えたことによって使うお金の量は減ったけれど、同時に母が働かなければいけないという事実もできた。
母は、数時間の仕事をしたことはあっても、朝から晩まで通して働いたことはなかった。だから家に帰ると家事もろくにできないで、私が早く帰ってきて整えた家に入ってベッドに倒れこむ。
母はすぐに家を出てしまうから会話も特になかったけれど、仕事の愚痴を聞いたことは一切なかったわ。そこは唯一の良かった点かもしれない。
あの優しかった目はどこに行ったのかしら、すっかりやつれて、目の下に隈もできて。
対して私は、家事が好きになりつつあった。母が働いている分のことを、体験できているような気がしていたの。母の苦労を味わえている気がして、それで喜んでやってた。
自分で招いた状況なのに、それを自分で嫌がって改善に努めてた。周りからみたらどうなのかしらね。立派なんてとても言えないわ。
……ここまでは良かったのよ。学校でも楽しくやって、家でも話はできないけど、私の作った夜ご飯で微笑んでくれるだけで嬉しくて。
母が完璧に変わったのは、突然のことだったわ。ある日、とても機嫌が悪そうに帰ってきた。
あの、両親の態度を変えた日の私のように、大きく音を立てて帰ってきた。夜ご飯も乱雑に食べて、後始末もしない。なにかあったのかと察したわ。
でも仕事のことなんてひとつもわからない私は、デリカシーもなしに聞いてしまったの。
「お母さん、どうして怒ってるの? 話聞こうか?」
そうしたら母は、こっちまで胸が痛むような悲しそうな疲れた微笑で言ったの。
「これ……お母さんの愚痴になっちゃうけどいい?」
「うん、いいよ。私お母さんの役に立ちたいの! 私お父さんの代わりになれるくらい、頑張りたいの!」
「そう……じゃ、聞いてくれる……?」
小さい口でご飯を食べながら話してくれた。大体の内容はね、どうやら仕事で失敗したみたいなの。でもそれだけじゃ済まなくて、上司に「体で詫びろ」って言われたらしいの。
その時は理解ができないから聞き流していた部分もあったけど……今ならわかる。きっとその上司は前から母を好いていて、夫がいなくなったからって、失敗という弱みに付け込んで自分のものにしようとしたのよ。
その日は軽く体を触られただけで済んだらしいけど……それだけでも、恐怖は計り知れなかったと思うわ。強請られでもしたら、もう終わりだし。
ふふ……ほらね、湿っぽくて重い話でしょ? でももうここまで来たら、最後まで聞いて?
愚痴を聞き終えた私は、いつも母にやってもらっていた恩を返した。頭を撫でたの。母は黙ってたけど、喜んでいたって解釈をしているわ。
話の内容はわからずとも、自分の親が酷い目にあったということはわかった。だからこれから、話だけでも聞いて母を支えようと意気込んでたわ。
翌日になり、そして母が帰ってきた夜。夜ご飯を食べ始めたところで私は言った。
「お母さん、今日もぐち言っていいよ」
それに対する、母の返事は……一瞬じゃ理解できなかったわ。
「……うるさい、黙ってて」
お読みいただきありがとうございます。
壊れていく母親。どのようにヒールに関わっていくのでしょうか。
(母親と上司の件で不快に思われた方がいましたら、申し訳ありません)




