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きっかけはいつだって悪手

 車にはねられ。どれだけの時が進んだのか。今自分はどこにいるのか。



 誰だって、死ぬ瞬間というものには恐怖する。衝撃が走った時から、ぼくはずっと目を瞑っていた。人は死んでから数分、意識があるらしいが、その権利を放棄することにしたのだ。



 ……「死」を、淡白には受け入れられない。認めたくない。現在のぼくに形があるのか、それはわからないが、しばらくうずくまっていた。そう思う。



    ♦︎       ♦︎       ♦︎



 長いこと考えて、聴覚だけでも現実を知ることにした。なにやら雑音がするというのは感じていたが、はっきりとは聞いていなかったのだ。ぼくはそう考えながら、耳をすます。



 (この音は……)



 学校で授業を受けている時でも、家で読書をしている時でも、たまに聞こえてくる音。その音から、ぼくはまだここが現実なのだと確信した。



 だから、勇気を振りしぼり、視覚も現実に向かせる決心をした。5秒ほど置いてから、無心で目を、そっと開いた。



 黒にも灰にも、どっちつかずの印象を与えるアスファルト。

 甲高い声を、とめどなくあげ続けるサイレン。

 紅い光を、遠くまで散らすパトライト。

 紅白の、特徴的な車体をした救急車。

 ……無残に倒れたぼくと、大声で叫びながら涙でシミを作る幼馴染。



 もう一度、目を伏せたくなるような、光景だった。ぼくもつられて、叫んでしまいたかった。



 そう、叫んでしまいたかったのだ。叫べなかったのは、やはり、声帯がないからだった。ぼくは落ち着き、この惨状を俯瞰で見ていることに気がついた。



 (これは、幽体離脱? それとも、魂が抜けたってことか?)



 この目線は、霊体かなにかにならなければ、見えないものだ。仏教など、全く信仰していないぼくも、実際に体験しているのだから、そう思わざるを得ない。



 仏教の通りなら、天から迎えでも来ないものかと考えた。けど、葬式までは来ないのかとも推測した。葬式というのは、死を自覚していない霊に、それを知らせる意もあるらしいから。



 さて、感傷に浸る時間は、充分とった。自分の体を確認し、動作を確認しないといけない。



 それからしばらく、奮闘し、いくつかの事実を発見した。



 まず、今のぼくの体は、霊体だった。細かくいえば、魂。半透明の乳液色の球に、細い尾がついたようだ。さらに、この体(魂)を動かすには、水中でもがくように、全身を動かさなければいけないらしい。宙には浮けているようだが、空を飛ぶ速度は一定だ。



 そして終わりに、ぼくの乳液色の体は、周りの人間たちに見えない。きっと、生きている生物全てが、死者と触れ合うことは許されていないのだろう。



 つまり、ぼくはもう、幼馴染とは語らえない……。やはり現実とは、真実とは、辛い。過酷だ。別に非情というわけではないのだ。ただ人間からすれば、現実というものが恐怖の象徴であるというだけ。



 目をそらしていた路面に、視線を戻す。もうこれを凝視していたって、意味もない。悲しむだけで。



 「よし」



 ぼくはどうせ喋れない。心の声が、本当の声だ。体を大きくくねらせ、自分の死体と幼馴染に、お別れした。

   


    ♦︎       ♦︎       ♦︎



 楽しい思い出を蒸し返すから、見たこともない街を探した。といっても、隣の隣の街くらいだ。



 ただ、たったそれだけの移動距離でも、雰囲気はずいぶん雅やかに変わるということを、ぼくは死んでから学んだ。



「ここは、どこだ?」



 不安は一抹もなく、むしろ少しの期待感、興味さえ湧いてきた。別に、割りきった訳ではない。衝撃や悲しみを忘れるほどに、街の変化はぼくにとって、新鮮なものだった。



 とはいえ、先の未来に疑問を抱いてはいた。ぼくは葬式を見に行くつもりはない。自分の立場は理解しているし、わざわざ気持ちを沈めに行くこともない。



 しかしこれで、いつ成仏できるのだろうか? いつ迎えの、天使やら死神やらが来るのだろうか? ぼくは彷徨う。次第に、仲間を探しだしていた。



 仲間というのはつまり、人型をした飛行物体だ。ぼくと同じように、空を彷徨う人間を探し始めていた。人は結局群れるものだと、僅かばかりに落胆していた。



 だが所詮、群れないと生きれない種族みたいだ。幾時間が経ち、ぼくはようやっと()()を見つけた。死者というのは、案外漂っているものなんだなと、ぼくは思った。



「なあ、お前!」



 声は出ないけれど、体も使って自分の存在をアピールした。努力の甲斐あり、人型飛行物体はこちらを向いた。恐らくそれは、生物には見えていないだろう。



「なに、君は?」


「ぼくは、さっき車にひかれて死んだ小学生。成仏の方法とか、知らないか?」


「……珍しいガキもいたもんだなぁ」


「は?」



 人型飛行物体、もとい、狼の被り物をした派手な子供は小声で言った。ぼくの声らしきものは届いていたようだったが、幼い見た目に合わず、生意気な発言をした。と、子供は、とんでもない暴挙に出始めた。


「ってか君さぁ、成仏したいんでしょ?」


「そうだけど」


「ならルイズがその望み、叶えてやるよ」


「ルイズってなんだよ? それに、叶えるって」


「名前だよ。叶えるってのは、こういうことっ!」



 そう言うと、子供の手には光の泡が現れた。そしてそれは、柄を初めに刃の形を作り出していき、最後には泡が固体となり、巨大な鎌となった。そしてそれを、大きく振りかぶり、ぼくに向かって振りおろした。



「うっ……!」


「あはははははははっ!成仏ー!」



 ただでさえ動かしづらい体を、苦労して俊敏に動かす。鎌の刃は尾をかすめたが、実害はない。狼子供は狂ったように、ぼくをまた裂こうとしてくる。



「くそっ、なんなんだよ」


「ははははっ、慣れてねぇの? おっそ!」



 さっきとは打って変わって、狼子供は口調も行動も荒々しくなっていた。そうこうするうちに、あっという間に追いつかれた。ぼくはもう、疲れきっていた。



 ――また、死ぬのか? また、あの痛みを――



 須臾にして、脳も心も恐怖色で染め上げられた。きっと顔は、この世のものとは思えないほど引きつり、歪んでいただろう。



 でも、もう。それも終わりらしい。飛び散るのは鮮血ではなく、黒や紫の、恐怖色だろう。ぼくはまた、目を瞑った。



「天国でお幸せにー……あっ、お前!」



 な、なんだ? 一体何が、起こっているんだ。



 ぼくの視界は真っ暗だったが、狼子供の間抜けな声がしたのはわかった。なにか、予想外の出来事でも起こったのだろうか。気にはなるが、恐怖にはまだ勝てない。



「おい、なにするんだよ。これはルイズが……」


「…………」


「うっさいな、悪いことしてないだろ!」


「…………」


「へぇ? それ、断言できるの?」


「…………」


「はー、雑だな。もういいや、別の獲物頂戴よ」


「…………」


「絶対、見つけとけよ!」



 とても、とても長いように感じた会話が、ようやく終わったようだ。子供の気配は消えていた。代わりに、なにか大きな気配を感じた。ぼくは恐る恐る、目を開いた。



「…………?」


「は、はぁ?」



 ぼくの眼前には、首に十字架のネックレスを下げた、若い成人男性のような人がいた。そしてその男は、ぼくには理解できない言葉を話した。



「……!…………」


「え、えーと。これで、いいのかな」


「あ、日本語……」


「悪かったね、人には天界の言葉がわからないこと、すっかり忘れてた」


「天、界?」


「人が愚かっていうんじゃないから、怒らないでよ」



 ぎこちなく話し始めたその男は、ほんわかした印象を受けた。声も柔らかだった。しかし、ぼくが興味を惹かれたのは、そんなことではない。



「ねえ、今、天界って?」


「あれ、知らない? 今僕たちがいる世界以外に、天界や冥界や諸々、結構世界はあるんだよ」



 彼のその一文に、ぼくはすぐさま、心を奪われた。さっきまで、幼馴染と話題にしていた問題。それに、答えが出た。



「じゃあ、地獄とかもあるの?」


「もちろん。沢山の霊界のうちの一つにある」


「……!」



 ぼくは久しぶりに、酷いほど興奮していた。一生明かされることのない答えが、死んでから出た。自分の予想が当たっていたこともあり、幼馴染の飽くなき探究心が、報われたような気もした。



 そして同時に、思い出した。この問いの答えは、幼馴染に必ず伝えられない。



 ……なぜ今、そんなことを思うんだ。あの現場から去ったのは、一体なんのためなのか。興奮はすっかり冷め、ぼくの目からは、光が去っていたようだ。



「おい、君。どうした?」


「あ、いや。感心していただけ」


「へえ。やはり人というのは面白いね」


「そ、そう言うってことは、お前は人じゃないの?」



 ぼくは動揺しながら、話題をすり替えた。誰にだってこんな想い、教えたくない。きっとぼくは外見から、明らかに変だったろう。けれど、男は気にせず、流して答え始めてくれた。



「ああ、僕は天使だよ」


「てっ、天使?」



 ぼくはさっきよりも、動揺していた。すり替えた話題が、どうやらとんでもない方向へ向かっていってしまっているようだ。天国地獄があるという事実のみならず、天使が存在するという事実にも感心し驚いた。



「そうだ、自己紹介をしようか」


「あ、うん」


「僕は、死の大天使、ザラキエルだ。皆からは略して、ゼル。そう呼ばれてるね」


「死の……大天使……ゼル……」


「まあ、いわゆる、≪デスアークエンジェル≫って奴」


「デス……なに? それ」


「デスは死。アークエンジェルは大天使。合わせて、デスアークエンジェル、死の大天使ってことだね」



 彼――ゼルの自己紹介には、ぼくの分からないことがたくさんあった。普通に生活していれば、絶対に使わないし聞かない言葉が、たくさん。



 ただ唯一知っていたのは、ザラキエルという名前のみ。あれは学校の図書室の書物を漁っていた時のこと。神話について記してある本に、七大天使の一説として載っていたのだ。当時は、流し読みしていたため、特に気にも留めていなかった。



 それはそうと、ゼル。そう名乗った大天使は、気楽な雰囲気を醸し出しつつ、悠々とした偉大さも感じられた。それはやはり、名高い天使だからだろうか。



「なあ、君のことも教えてくれるか?」


「あ、うん。ぼくは、さっき車にひかれた小学生。さっきの子には、ガキって言われた」


「へえ。僕には君の姿が、人の形に映らないから、なんとも言えないけど」



 ぼくはなぜか、名前もなにも教えなかった。自分の境遇だけ伝えた。なのに彼、ゼルはそれ以上詮索してこなかった。これも、天使だから……?



「と、君。さっきは大変だったらしいけど。改めて教えてくれるかい?」


「うん、もちろん」



 ぼくも、『さっき見ていただろう』という野暮な指摘はせず、素直にありのままを話した。話す途中、ゼルはうんうんと絶妙な相槌を打っていた。おかげでぼくも語りやすく、ゼルのコミュニケーション能力の高さが垣間見えた。



 天使と人は、恐らく価値観が違うのだろうが、そんなことは微塵も感じられなかった。



「……うん、そんなことがねぇ」


「わかってくれた? 天使さん」



 ゼルは話を染み入るように聞いていた。真剣にしていたようで、目線はぼくではなく、自分の腕だった。顎に手を当て、考える仕草をしている。と、ゼルは会話の方向性を、グイッと変えた。



「ああ、ただ君は、僕の天使という存在をずいぶんあっさり、信じてくれるんだね」


「信じないと困るでしょ」


「僕が今まで見てきた人は、表は信仰しつつも、心の奥の奥は存在を信じていない者ばかりだったからね。珍しいなぁ」


「まあ……天使とかの存在をあると思いたいから、信じてるってところかな」


「うーん、君からは特に、信仰深い気配も感じないし。ちゃんとした理由があるんだろうね」



 ゼルはそれっきり、すっかり黙り込んでしまった。また、思考を巡らせ始めていた。別に気まずいとは感じなかったが、暇ではあった。



 なら、さっきの狼子供についてでも、ぼくも考えていようか。と思ったが、ゼルは思考を辞めていた。



「君、状況は理解した。僕について来てくれる?」


「天国かどこかに、連れて行ってくれるの?」


「そんなところだ、見失わないようにね」



 そうしてゼルは、ちょうど良いスピードで上へ飛んでいった。ぼくはその中肉中背の背を、必死に追いかける。



 子供からの逃亡の際の疲れが、まだ少しある。それでも、追わなければ今度こそ、本当の死だ。もう未来はなく、そのままこの世を彷徨い続けるのみだ。



 景色は白くなってきた。このまま上を抜ければ、いつしか宇宙にたどり着くはずだが。視界のない中で別次元の歪みに入り込み、違う地にたどり着いた。



 ぼくはゼルを追い、着いた世界を見て、そんな風に感じたのだ。



「さ、ようこそいらっしゃいました」


「ここが……」


「ああ、天界さ!」

お読みいただきありがとうございます。

まだ物語の、序章の序章です。次話からの天界でのお話に、ご期待ください。

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