お茶会の準備
「うぅ……う……」
宙に浮くベッドから、うめき声とも寝言とも取れないような声がした。背中を向けたまま眠るアークの声だ。
辛そうに聞こえなくもなかったので、僕は様子を見に行こうかと思った。そうして足を床につけたが、顔を覗き込む前にそれをやめた。
――多分、彼は今、夢の中なんだろう。制限をしないと言ったからには、邪魔をしてはいけないな。
僕は座り直した。悪夢を見ても死ぬようなことはないだろう。天界にいるんだから、もう死んでしまっていることだし。
アークは既に眠っている。紅茶を少し大胆に飲んでも問題ないだろう。ティーバッグをカップに入れると、コポコポと音を立ててお湯を注ぎ、舌を通って喉へと紅茶が流れ込む。口をつけたカップを、テーブルにコンと置く。
いつもと変わらない紅茶の味。だけど、僕の中にはぼんやりとした悩みのような、不安のようなものがあった。余裕ぶっていても、どこかそわそわしてしまう。
「アークとリザレイ、か……。どうやったら、仲が戻るんだろうか……」
アークは最近ここに来たばかりで、天界での生活なんて慣れていない。だから人間関係だけでも安定させてやりたいのだけれど、どうやらリザレイとの間で問題を起こしてしまったらしい。
仲を直したいが……お互い、会うことは望んでいないだろう。
今眠っている彼は、さっき会いにくいと言っていたし、リザレイはリザレイなりに考えて、恐らく傷ついてもいるだろう。
それに、彼女は過去が過去なだけに、アークの言った言葉次第では傷はとても深いと思われる。
「……そうだ」
思考活動の捗る紅茶を飲みながら、僕はひとつの案を思いついた。アークが不安を消し去り、リザレイがアークを素直に認められるようになる、良い案が。
そしてこれには、多人数の協力が必要だ。多くの相棒の協力がなければ。けど、それよりも誰よりも、手を借りるべき人物が思い浮かんだ。
その人物を探す為に、僕は出かけることにした。と、その前に、もう一度だけアークの様子を見ておくことにした。
「……」
もう彼の声はしなかった。静かで安らかそうな寝息だけがしていて、なんとも幸せそうだった。
さあ、いつまでも止まっている暇はない。これから案を実行する為に必須な天使、グリウのところへ行かないと。
リザレイを相棒に持つ彼は、彼女との間を取り持つには充分だ。グリウ、そしてリザレイは、このことに納得してくれるだろうか……?
そうやって、僕は一抹の不安を抱えながら、勤勉に働くグリウの居所を探し始めた。
途中、天界の住人が話しかけてくることもあった。
「ゼル様! なにかご用でもあるのですか?」
「他の天使を探しているんだ。気にしなくていいから、お仕事がんばってくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
そんな調子で情報収集を続けながら、ついにグリウを見つけた。彼はちょうど、真面目に熱心に働いているところだった。
僕は頑張る彼を精神的に邪魔しないように、できるだけの自然体で声をかけた。
「グリウ!」
「ん?」
天界に貢献することに夢中で、振り返るグリウの眼や顔は実に不満げだった。声をかけた正体が僕だとわかると、その表情は幾分かましになったが、イラついている感じはした。
「今仕事中だとは思うけど、話したいことがあるんだ。時間あるかな?」
僕が聞くと、グリウはもの凄くわかりやすい皮肉の深い大きなため息をついた。そして自分の背後に広がる労働の景色を見せた。
「できればゆっくりと語らいたいものですが、あいにく今は仕事中です。察していただけるとありがたいのですが」
「いやいや、グリウ。仕事は代わりがいるけれど、僕がしたい話は君じゃないとダメなんだよ」
「……なに言ってるんですか。これでも私は四大天使です。この天使たちを統率する義務があるので」
グリウはいつも通り、相変わらずの淡々とした対応。これが彼のデフォルトだ。彼は今にも仕事に戻ってしまいそうで、なんとか止めることにした。
「あぁ、ちょっと待ってくれるかな」
「話し相手なんてたくさんいるじゃないですか」
「いや、グリウじゃないとダメなんだよ。……リザレイについての話だからね」
「なんだと……? リザレイ?」
思った通り、常に真顔の彼を動揺させることができた。流石の彼も、なんだかんだ言ってリザレイのことには反応する。
グリウは体半分も仕事に向かっておらず、完全にこっちの話に興味を惹かれていた。
「立ち話もあれだから、少し座ろうか」
この調子だと最悪慌てふためきそうなので、落ち着くのも含めて一緒に座ることにした。
「リザレイ、なにかあったんです?」
グリウは座ってから、間髪入れず聞いてきた。よっぽど気になるようだ。
「うん、アークから聞いたんだけど、ちょっとした弾みで彼女を怒らせて、仲が悪くなってしまったらしいんだ」
「アークとリザレイが? リザレイが怒ること……思い当たる節は、少ないですね」
「確かにね。でも、ないことないだろう?」
グリウは僕の質問に返答しかけて、やめたらしい。口を開いた後少し俯いて、改めて話し出した。
「本題はなんです? リザレイが原因のなにかを話したかったんでしょう?」
「あ、そういえばそうだったね。そう、アークとリザレイの苦手意識を取り除く意味も兼ねて、お茶会をしようと思ったんだ」
「お茶会?」
「ああ、それも、天使の相棒たちだけで集まる、『相棒たちのお茶会』さ。でもただの茶会じゃなくて、お互いの過去のついて教え合うんだ。」
僕の言葉を聞いたグリウが、目を大きく広げて、明らかな惚けた表情をしていた。
そして、それは次第に、訝しげな感じに変わっていった。
「正気ですか? ふたりで教えるならまだしも、話したくない相棒とか、都合の合う時間とか、問題は色々ありますよ」
「それはまあ、僕がなんとかするよ。大丈夫、どうにかなるさ」
グリウはもう、僕に呆れ果ててしまったようだ。次の言葉が続いてこない。嬉しくはないことだ。
「計画とかは僕の方でやるから、君に頼みたいのはリザレイの説得だ。今彼女は気分が落ち込んでいる。最も一緒にいて、あの子の相棒であるグリウだからこそ任せられることなんだ」
「……メリットは、あんまり大きいようには思えませんね」
「そんなこと言わないでさ」
「……やらない理由も、特に思いつきませんけどね」
そう言ってグリウは立ち上がる。僕は嬉しくなって、思わず笑顔がほころぶ。つられて僕も立つ。
「折角神様からお墨付きをいただいた相棒ですし、ぞんざいにしてはいけませんね」
「そうそう。僕も、相棒でもないアークをいつまでもここに置いておくわけにはいかないんだ。よろしくね」
じゃあ急ぐから、と言って僕は立ち去ろうとした。その時、グリウが止めてきた。
「まだ相棒じゃないということですが。これからなる気はないんですか?」
「なんだ、なって欲しいのかい?」
「そういうことではなくて、もういっそのこと相棒関係になったほうが早いし楽ではないのかと」
僕は一瞬黙る。そうやって少し考えてから、答えた。
「彼が、アークがね、まだ地上に帰る希望を持っているんだ。それを僕や天界の独断で断ち切ってはいけない」
「……そうですか。わかりました、それでは私は、リザレイに説得を試みます」
「うん、お願いするよ」
僕は笑って言った。僕は他の相棒も集めなければいけないので、さっさと飛んで行ってしまった。
そんなあっという間の別れ際。グリウの小さな呟きが、こう聞こえた気がした。
「リザレイ、なにがあったんだ……」
お読みいただきありがとうございます。
次回からはお茶会編になります。
人間の相棒が集まって過去を語り合うということで、より一層面白くなると思います。




