篤実なる護の大天使
「 第 二 幕 完 」
ぼくの持つ固い板に乗る紙。そこにでかでかと印字された文字。
本の奥には、まだまだ多くの紙が綴じられている。それでも、この分厚い本が伝えたがっている概要は、だいたい理解できたと思う。
切りがいい。ここで読書を止めて、下層へ行こう。ぼくはパタン、と固い表紙を向かい合わせにして、床に立った。
「お、読み終わった?」
同じく、紙をめくっていたリザレイがこちらを見て言った。
「二章は。そろそろ下に行こうかなと思ったんだ」
「そう。ひとりで大丈夫?」
ぼくは本を片手で渡しながら言う。
「あそこの通りくらいは何回も通った。たまにはひとりで行かなきゃさ」
「先を見据えてるんだね。いい心がけじゃない?」
「うん、迷子になっても、天界の人たちは優しいでしょ」
「個人差はあるけどねぇ……ま、そうだよ。天使や神様が選ぶ人だもん」
「え、神も?」
手に込める力を抜いた頃、そう聞き返していた。
「神様、ね。お忙しいけど、最終確認とかはハインさんとグリウが神様の元に行って、思召しを聴くの」
「リザレイも聞いた?」
「えー……厳密に言うと、聴いてはないかな。神様のお声は基本、グリウに伝えられるから、聴いたグリウから思召しを聞くの」
「じゃあ、神の声は聞こえないんだ」
「神様!」
肩や腕を伸ばし、ドアの前にぼくは立った。頑なに、神への態度を矯正したがるリザレイに、ひとつだけ尋ねてみることにした。
「……リザレイは、そういう神とか信じてるタイプ?」
彼女は本からすっかり目を離し、ぼくの目を見ていた。睨みつけていた、と言った方が正しいだろうか。
「タイプ? って言われても。私たちこんな世界で生きてるのよ。信じる以外にないでしょ」
「そりゃそうだけどさ。信心深いかどうかっていうのを聞いたんだよ。存在は信じているけど敬ってはいない、ぼくとかルイズみたいなのじゃないかって」
「敬ってないの? 人以上の存在なのにだよ?」
リザレイはついに立ち上がり、ぼくの前まで来た。
まずい。ここまで話が広がるとは思ってなかったな。時間かかるかも……。
「だって例えば、人にある108もの煩悩を持たず、その人の未来を左右するリィさんとかの、いわゆる上司でもあるんだよ。素晴らしい存在なの」
リザレイは熱く語る。しかしぼくは、話を早めに切り上げたかったので、あえて冷淡に答えた。
「どうかな。聖書とかによると人を作ったのは神らしいね。その時点で、人が欲しい、っていう欲はあるでしょ。それと、誰の上司であっても部下が慕ってくれないと意味ないよ。リィが敬ってるかなんて定かじゃない」
でもそれが、裏目に出た。リザレイの顔は、生気が引いたように青白くなっていったのだ。
そして、彼女は叫んだ。
「……へっ、屁理屈っ! そんなの!」
「え?」
優しく寵愛してくれるようなリザレイ。よく笑ったり驚いたりしても、感情に任せて言動を起こすのなんて初めて見た。
ぼくの一気に気弱になった目を、貫くように睨みつける彼女。今度は本気だった。
「そんなこと言わないでよっ! 神様が間違ってるとか、それじゃ私はなんで、あんな……」
リザレイの心中は恐らく、怒りから悲しみ、後悔に変わっていったのだろうか。そう怒鳴った後、弱々しく足を曲げ腰を落とし、丸テーブルに突っ伏してしまった。
なにがどうしてこうなったのか、全く理解できなかった。ぼくに一体どんな非があったのか。教室なら、「泣かせたー」とか言われて責められるところだ。
いや、責められなくとも、ぼくは大慌てだった。
「……ごっ、ごめんリザレイ! ぼく悪気なくて、本当にごめん!」
急いで駆け寄って詫び続ける。けれどリザレイは、側に立つぼくを手探りで押しのけた。
「謝るとか、いいから。ほらさっさと、行って来れば……いいでしょ……」
フロートに包まり向こうに体を傾け、声は震えている。頭や肩を抱えて包んで、恐怖心を軽減しようとしているように思える。
これ以上ここにいても意味がない。そう悟ったぼくは、短く返事をして家を出た。
「じゃあね」
ドアを閉める。心なしか、ほんのり暖かく思えて、筋肉も少しだけ伸びた気がした。
そんな自分の体に腹が立って、容赦無く頬に平手打ちをした。
バチッ! 思ったよりも鈍い音が、耳の中に響く。
「早く行こう。止まっていたって、仕方ないから」
まずは中央の雲を目指す。そこを経由して、下層へ向かう。下層へ降りたら、Gホールあたりにでも散歩をしてくる。
飛行中、その動きだけを脳内で繰り返しシミュレーションしていた。それ以外、なぜかなにも出てこないし、出させたくなかった。
こんなことなら、ゼルと一緒に怒られに行ったほうがよかったか。そうだ、ベッドも置いてきたまま。ゼルに取ってもらおうかな、でも、事情を説明しなくちゃいけないか。
もう勝手に、悩みが絡まってきた。こっちまで泣きそうになってきたかもしれない。これじゃあ、楽しく天界での日々なんて過ごせない。
最悪、楽しくなんて過ごせなくていい。全員と程々の関係を築いていれば、平穏に過ごせていれば。
ああ、またネガティブで暗いぼくに戻ってしまっただろうか。気のせいだろうけど、周りの景色も暗く見える。
また後悔してばかりで、そしてこんな時に思い出すものが、必ずと言っていい程ぼくの心を深く抉る。
――その、ものっていうのは。そう――
「アークっ!」
突然耳に響く、聞きなれない金切り声。どこか、この状況にデジャヴを感じる。しかも次の瞬間には、頭に何かが激突していたのだ。
「なにっ……」
周りを確認してもなにも見えない。もう意識は、消えかかっていたから。
♦︎ ♦︎ ♦︎
多分目に優しいであろう、光の通らない灰色空。最初に見えた景色は、それだった。普段なら心地の良くない景色だけど、寝起きの眼にはちょうど良かった。
「アークくんっ! 大丈夫だった?」
……だがしかし、耳に休息の時は訪れないらしかった。再び活動し始めた耳は、初めて聞く男っぽい声を捉えた。
声のする方へ、ゆっくり首を曲げた。そこにはまさに、目と鼻の先、という言葉がぴったりな程の距離にいる、肌色のものが見えた。
「……ぇ、うわっ! 誰だっ!」
ぼくは叫ぶ。相手は同時に叫んだ後、弱々しく声をかけてきた。
「ごめん、今君が寝ちゃってたのはボクのせいでさ。巻き込んじゃったみたいで、本当にごめん」
「ああ……うん、いいよ」
外見からして天使である彼は、意外にも素直に謝った。ぼくは少し拍子抜けした。
これまで出会った中で、最も柔らかい印象を受けた天使だ。彼は、よかった、と笑った。ゼルみたいに嫌味を言いそうな雰囲気もない。
地上で人間として生きていたら、人柄も良く多くに人々に好かれていただろう。
「あ! アーク起きたー?」
正対して、今度は真逆の性格の声が聞こえた。できれば今は、耳に入れたくない声だった。
「なんでルイズがいるんだよ?」
得意げな顔をしたルイズが、遠くから近づいてきた。向かいに座り、優しそうな天使、ぼく、ルイズが三角形になるようになった。
「なんでって、ねー」
ルイズは天使の方をちらちらと見る。天使は、微妙そうに顔を歪める。
「こいつ、ラフィーがひょろひょろしてるから、喝を入れてやってたんだ」
「喝?」
「入れ方が違うって、ずっと言ってただろう」
ぼくは天使とルイズが言い合わない内に、聞いておくことにした。
「あの、貴方の名前は?」
「あ、ボク? ボクは人を守護する天使の監督、四大天使のひとりのラファエルだよ。ラフィー、って呼んでよ」
「わかった、ラフィー。ぼくは、知ってるらしいけどアーク。君とかつけなくていいから、よろしくね」
「うん、よろしくね」
ラフィーは握手を求めてきた。ぼくは喜んで応じた。そこにルイズが、ふてくされながら言った。
「なに、いつのまに仲良くなってんのー。ラフィーにはまだ喝を入れなきゃだし、アークには洗濯物を返さなきゃいけないんだよ」
「洗濯物、できたの?」
「勿論! 後で渡すから、逃げるなよ」
ルイズは歯を見せて、人差し指を突きつけてきた。
「逃げないよ。それより、ラフィーとの続きとかやらないのか?」
ぼくの何気ない質問に、ラフィーは大慌てだった。
「えっ、アークまで勧めるの? ボク一応守護の天使だし、怪我でもしたら困るんだよ」
「あはははは、いいね! さぁ、早速始めようよ!」
「はぁ、もう疲れた……」
ルイズの笑い声の後、身軽に少女は上に飛んで、怠そうに天使は上に飛んで行った。
「そういえば、ここは……?」
少し落ち着いて、ぼくは今更ながら周りを見渡した。どこを見ても一面灰色景色。そびえ立つビルには、人が張り付けられている。
ここは、ヘブンバックだ。
あのふたりは、崩壊した街のようなここで、一体なにをするつもりなのだろう。
遠く離れた空でも、ルイズとラフィーの声は聞こえてくる。特に、ルイズの声が。
「アークにぶつけるなよ! 天使の本気って奴を、人間のルイズにぶつけてみな!」
「それさっきも言ってた……人に傷はつけないから!」
「あー……」
ぼくはひとりで座りながら、それを眺めていた。これからなにが起こるのか、予想は容易くついた。
さっきぼくになにかが追突したし、戦いごっこだろう。またぶつからなければ、とても面白そうだ。ルイズが喝を入れると言っていたのは、このことだろう。
まだ少し頭が痛むし、観戦でもしていよう。ぼくは頭になんとなく出た言葉を、囁いた。
「どっちも、程々に頑張れ」
お読みいただきありがとうございます。
急に登場した大天使、ラフィー。ゼル以外のふわふわした天使もいいかなと思います。
リザレイの謎、関係性も気になりますね。
次話もお待ちください。




