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ゼルの宿題

 「思ったよりも立派にできてるねぇ……」


「ですよね! 布のサイズもぴったりですから、アークのおかげですよ」



 分厚く大きなベッドを、リザレイは小さく両手で抱え掲げる。彼女はとても楽しそうにしていて、ぼくも同じように達成感を感じていた。



 制作作業に参加していなかったゼルは、この数分間でクオリティの高いベッドができているのに、驚いているようだった。



「アークは手先が器用なのかな?」


「どうだろう。でも、ものすごく集中はしてたよ」



 ゼルはベッドを受け取り、ふわふわと浮かせて観察している。



 そうだ、そういえば、フロート製のベッドだから浮くんだった。



「ゼル、ちょっといい?」



 本来の目的が、ベッドで寝転がることができるか確認してみたくなった。最終的にぼくの手に帰ってきたベッドを抱える。そして、ゆっくりと椅子の横の空中に置くようにして、手を離した。



 ベッドは浮いている。ぼくは不安を抱きつつも、背を向けて倒れこんでみた。



 全体重がベッドにかけられる。



「わぁ……ね、ねぇ。今ぼく、浮いてる?」


「うん、ベッドと一緒にね」



 ゼルがこっちを見ながら言う。と、ベッドが突然上に上がった。ゼルが悪戯っぽく笑ったから、きっと彼の仕業だろう。



 ぼくは今、言葉にうまく表せないような奇妙な感覚を存分に感じている。本来なら床に固定されているはずのベッド。しかし今は、高い天井に手が届きそうなくらい上へと浮かび、さらには左右に揺れている。



 これをなにか、別のものに表すとしたら、初めて車椅子に乗った時のようなものだろうか。



 本来なら自分の足で歩んでいるはずの廊下。そこを座りながら、しかも他人のさじ加減で進んでいくのだ。学校の介護についての授業で車椅子を体験した時は、本当に不気味な感覚だった。



 動きを自分で操れないから、不安な要素があるところも似ているかもしれない。



「……ねぇ、ゼル。そろそろ降ろしてよ」



 ベッドを自由自在に動かして、ぼくをおもちゃのようにして遊ぶゼル。文句のひとつでも言っていいだろう。



「ははは、ごめんごめん」



 規則性もなく揺れていたベッドが、何事もなかったかのように硬直する。そして、さっきとは大違いの慎重さで床へ下がっていく。



「まあこれで、ちゃんと機能するか試せたし。丁度良かったですよ」



 一緒に笑っていたリザレイが、そう言う。



「酷いな。ぼくは怖かったんだよ」


「ふふ、でもアークが作ったベッドが有能だってわかったでしょ。素晴らしい出来。完璧だよ」



 リザレイはぼくを褒めちぎる。数秒後に自分の顔が火照るのが容易に想像できて、ふたりに背を向けて顔をうずめかけた。



 実際は、首を90度手前まで曲げているだけだったのだけれど。



 さて、足のないベッドは、ポンと軽い音を立てて着陸した。ぼくは高揚する心をなんとか押さえ込むと、ベッドを抱えて礼を言った。



 あの顔が、知られていないといいな。



「ありがとうリザレイ。これで天界の生活も安定しそうだよ」


「いーえ。なんだか、私もそれで寝たくなってきたなぁ。ま、自分で作るけどね」



 彼女はまた、はしゃぎながら笑った。お姉さんのようなリザレイだが、子供っぽい面もあるらしい。というか、天界の人たちは基本そんな感じなのだろうか。



 大人な面も子供な面も、両方持ち合わせている彼女は、生活が充実しているはず。メリハリがある人って、普段とても楽しくて仕事もできるんだろうな、と思った。



 そんな、恐らく完璧人間のリザレイは、思い出したように話し出した。



「で、もう帰るの? お目当てのものは出来上がったわけだしさ」


「うーん。ぼくは残ってても問題ないけど……」



 言葉を切って、ゼルの方を見る。彼はまた椅子に座って、ゆったりとしていた。



「ゼルは宿題があるとかなんとか。言ってたよね」


「宿題……。もしかして、ハインさんにでも出されましたか?」


「そうだね。なんだったかな、僕の仕事についてだっけ?」


「ゼルさん。そんなので宿題できるんですか?」


「うーん、まあ、大丈夫だろうね。こういう修羅場らしいのは、潜ってきたつもりだから」



 あまりに楽観的なゼルだが、リザレイは「そうですか」と笑っただけだった。ぼくですら呆れるくらいなのに。



 こう能天気なのは、リザレイや他の天使たちにとっては、日常茶飯事なのだろうか。



「遅れて、ハインさん怒ってませんか?」


「あぁ……まだ台詞が思いついてなかったんだけど。仕方ない、行くとするか」



 ゼルはそう言うと、さぞ重そうに椅子から腰を上げた。出口のドアを開けると、颯爽に、とまではいかなかったが、だるさを感じさせない足取りでハインを探しに行った。



「行っちゃったな、ゼルさん」


「そうだね」



 リザレイが椅子に座ったのを見て、ぼくも椅子代わりとしてベッドに腰掛けた。勿論、空に浮かせて。



「アーク」



 彼女は話しかけてきた。この静けさの中では、ふたりの声しか聞こえない。



「ん?」


「ゼルさんが行っちゃってひとりになった訳だけど、どうするの、これから」


「どうする、かぁ」



 ついさっき、地上へ帰ることを優先しなくても、ここでゆっくりしていて良いとゼルに言われたばかりだ。



 居候環境を整えてもいいし、関係を広げに飛び回ってもいい。当然、地上へ帰る為の手段を模索してもいいから、意外にやることは多い。



「私の家で本でも読んでたって、全く構わないよ?」


「本……」



 そういえば、元はハインの所にあったという本だ。手がかりかなにかがあるかもしれない、と思ったが、そう都合のいいことも滅多にない。



 ――僅かな可能性に賭けてみてもいいけど。



「いや、少し休んだら下層に行って、いつも目が会う人とかに会いに行こうと思う」


「そんな人いるんだ。良いね」



 ぼくは頷く。



 窓の向こうの天界を見つめる。ゼルは上手く、誤魔化せているだろうか。



「リザレイ」


「ん?」


「さっきはいいって、言ったけど。休んでる間は本を読もうかな」


「了解、はいこれ」



 手に分厚い本が乗る。ハードカバーという奴だ。全部を読み切る自信はなかったが、さわりの部分だけでも楽しむことにした。



    ♦︎       ♦︎       ♦︎



 「さーてと、これでハインが来てくれたら、嬉しいんだけどな」



 グリウとリザレイの家を出て十数分。僕は以前と同じように、天界と地上の狭間にある空で、目的もなく漂っていた。



 一応冥界へ行くのに彷徨っている魂がいないか、目は光らせてはいるが。主目的は、ハインをおびき出すことだ。



 前、僕がここにいたら彼は来たから、今回も来てくれるといいな……と思っていたが。



 噂をすればという奴だ。



「ゼル。また彷徨いているのか」



 ナイスタイミングだ。僕は作戦が成功して、素直に嬉しかった。



 思わず笑みがこぼれてハインに睨みを効かせられたが、なんとか抑えて振る舞った。



「ああ、いえ。今回は用事がありまして、来てもらいました」


「用事? それは一体なんだ?」


「えっと、地上に行くときに出された宿題についてですけど。忘れたんですか?」



 ハインは腕を組んだまま、口角を上げた。ただしそれは、喜びなどではなく、感心したところから来たらしい。



「そうではない。お前のことだ、てっきり忘れて、ぬけぬけと用事とやらを果たしに来たのかと思い込んでいたのだ。よく覚えていたな、素晴らしい」


「あー、はぁ」



 知らぬ間に、僕の信用は地の底にまで落ちたんだろうか。構わないが、こんなふうに勘違いが起きては困るな。



 と、ハインは口角を上げるのを止めた。



「それで、答えはなんだ? これまでお前が仕事をまともにしてこなかったことについて」


「そうですね……」



 正直言って、彼を根底から納得させられる方便はなかった。従って、若干の疑問を残しつつ納得してもらうしかないのだが。



 どうすればいいのだろう。とりあえずある程度用意してきた台詞を吐く。



「まず、ご存知ではあると思いますが、僕は人間が大好きです。だから、仕事をサボるというか、やってこなかったんですね」


「……」



 ハインは固く腕を組み、目も口も真一文字に結んで話を聞いている。話し終わるまでなにも言わない。そんな心がけを見せているのだろう。



「結果、人間のことはよく知れましたし、僕個人では満足しています。ですが、他の方からすれば迷惑千万かもしれません」


「……」


「ですが僕は考えたんです。ふと、ある時。僕が仕事をしないことで、誰かが大困難に陥るだろうか、と。だって僕の仕事は霊魂の看守ですよ。ただ見ているだけで、しかも活動範囲は天界近くの空や雲。そこらには天使も相棒もうようよいますから、わざわざ僕がいる必要はあるんですかね?」


「……」


「要約させてもらいますが。僕が仕事をしないのは反省していますが、そもそもの仕事内容からしてモチベーションが保たれないものではないですか? いまいち、役に立っているという実感はありませんし」



 自分自身で今、僕は思っている。即興にしてはかなり上手くいってるんじゃないか、と。



 ここでさっさと話を分断して、ハインから離れればいいだろう。



「そういうことなので、これからの僕の仕事は、検討してもらう方針でお願いします。じゃあ――」



 でも、やっぱりその考えは甘かった。



「もしお前が仕事をしていなかったら、アークとやらは未だに地上を彷徨っている。そうだな?」


「……それは、僕が趣味でたまたま地上にいただけですが」


「与えられた仕事がやりがいのあるもので、それを行い続けていたら地上にはいかないだろう。それに、アーク以外にも彷徨う霊魂はいないと限らない。お前が仕事を放棄するということは、その迷えし霊魂たちを見捨てるということだ。間接的にではない、直接な」


「……はい」



 僕が長々と説得したのに、この文字数で収められてしまった。見苦しく抵抗するのはやめよう、潔く負けを認めるのがきっと正しい。



「仕事内容に変更はない。いいな」


「ええ、まあそこに関しては、半分冗談みたいなものですし」


「少しばかり説教をするがな。常日頃言われているとは思うが、お前は人間に甘すぎる」


「そうかもしれませんね」


「天使は全生物と神の意向とを見定めて、公平に物事を判断し実行しなければいけない。しかしお前はいつも人間優先。それでは人以外に失礼だ」



 ……この説教、いつ終わるかな。



「しかし、公平にと言っても、天秤の壊れたお前にはわかりづらいか。極端に言えば、もっと人間に対して傲慢になれ。それだから、未熟だと言われるのだ。大天使のくせしてな」


「傲慢ですか」


「なにか反論したいことがあるか?」



 そういうことではないが、そのワード。最近聞いたばかりだ。



 デジャヴに僕は、失笑してしまった。また叱られるだろうか。その前に理由を説明しないと。



「傲慢……それ、アークも言ってましたね。ぼくに気を使うな、みたいな」


「ほう。人間にまで言われるようでは、おしまいではないか」


「うーん。そこまで僕が天使としてずれているとは、思いませんでしたね」


「いつものようにへらへらしていれば済む問題ではない。中にはお前を手本にしている天使もいるだろう天使もいるだろう。お前自身が良くても、それは伝染していくのだ」



 普段お説教ばかりのハインだけれど、今回の説教は、考えさせられるものがあった。アークからのお叱りもあってのことだ。



 多分僕は、人であったとしても迷惑な部分があるんだろうな。



「仕事についてはあれですけど。今後の態度については、考えておきますね」


「当たり前だ。そこは本当に、真面目に検討してもらわないと困る」



 僕は深く頷いた。のんびり暮らしてきたが、ここに来て転機が訪れた。



「では、私は仕事があるから」



 ハインはそれだけ言って、飛んでいってしまった。



 僕も、アークのところに戻ろうか。ハインを追いかけるようにして、天界へと上がっていく。



「僕は……傲慢になれるかな」

お読みいただきありがとうございます。

ゼルにも心の変化が訪れたようです。

どう変わっていくんでしょうか?

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