宙に浮くベッド・前編
「さっきからぼぅっとして、どうしたんだい」
「いや、なんでも……」
机を軽々と抱えるゼルと一緒に帰った後、ぼくはその机をさすりながら考え込んでいた。
自分だけのものができて気分はもちろん上がっているが、それよりも探究心のようなものが勝っていた。
そして、ゼルはそれに気づいていたようだった。
「なんでもない、なんてことないだろう。もしそうなら、もっと嬉しそうな顔をしなよ」
嬉しそうな顔か。
ゼルの言葉を裏付けるように、ぼくの心は喜ぶことを拒否していた。そんなことより、もっと重要なことがあるだろう、と。
特に隠すつもりもないし、Gホールでの不思議さについて打ち明けることにした。
「そうだね。さっきのフリーマーケットをやっていた人と、最後に少し話してたでしょ」
「確かにね」
「そのときぼくは、『どうしてゼルのことを知っているの』、って質問したんだけど。『必ず会いますよ』と言われただけだったんだ」
「なるほど」
「多分その時にまた聞いてっていうことなんだろうけど。あの人、何者なんだろう」
ぼくは最初、ゼルの方を向いていたつもりだった。しかし、いつからか独り言のようになっていて、色々想像しながら仰いでいた。
それに気がついて、改めてゼルの方へ向き直った。彼は顔に手を当て、にやにやと笑みを浮かべていた。そして独りで頷いて、なにかを確かめたようだった。
勝手に納得されてはたまらない。ぼくはゼルの肩を揺すった。
「心当たりでもあるの?」
「まあね。でも彼のいう通り、アークとその人は近いうち会えるはずだよ」
彼まで、同じことを言い始めてしまった。ぼくだけがなにもわかっていないようで、悔しいようなもどかしさが体中に流れる。
ゼルはそれに気づいていないか、無視をしてそのまま続けた。
「ひとつ言えるとすればね、その彼は大天使の相棒だよ」
「ここにいる人間は皆そうなんでしょ。そんなの予想つくよ」
「大天使の、相棒なんだ。つまり四大天使の相棒。ここが大事なポイントだよ」
大天使、という単語を強めてゼルは言った。
それの相棒だからといって、必ずしも会うとは限らないだろう。それに、誰の相棒であろうと、そのふたりが常に一緒に行動しているとは考えにくい。
そう自分の中で論理を組み立てながら、ならば、と思いついた。
ゼルもフリーマーケットの彼も、必ず会えると言っていた。それなら、その大天使と相棒は常に行動を共にしており、なおかつぼくが会う可能性の高い天使が、青年の相棒天使なのだろう。
「……だから、なんだろう」
複雑な思考をしすぎて、終着点がわからなくなっていた。
えっと。ぼくはゼルに、青年が何者なんだろう、と相談したんだった。なら青年の正体は、出会う可能性の高い四大天使の相棒、というところか。
なら大天使に会っていけば、彼に再び会えるのだろうか?
「ゼル!」
「ん、なんだい?」
紅茶を楽しみ始めていたゼルを、ぼくは少し声を張り上げて呼んだ。
「ぼくはあの人が気になる。もう一度会ってみたいんだ」
「うん」
「だから、天使たちにとにかく会っていきたいんだ。顔も広めたいし、もっともっと天界に馴染んでいきたい」
ゼルはカップを、紅茶が波打つようにゆらゆらさせる。本人の表情は満足げだった。
「どう思う?」
ぼくは答えを早く聞きたかった。立ったまま前のめりになっていたようで、余裕そうだったゼルも手で制止する程だったようだ。
小さく「ごめん」と言うと、笑いながら彼は「いやいや」と手を振った。カップをゼル用の机に置くと、楽しそうに話し始めた。
「それはいいことだね。でも僕はそれよりも、君の成長に感動しているよ」
「ぼくの成長?」
そんなこと、全く意識していなかった。そんなことがあっただろうか。
「地上から帰ってきて、君は自信がついたような、どこか違う雰囲気があっただろう」
「……そうだった?」
「うん、この僕に説教までしたくらいだからね。でももっと感動すべき点はね、その雰囲気がしっかり形になって、ずっと持続しているということだよ」
「……」
「天界に来たばかりのアークなら、天使に会いたいなんて強い野心は持たずに、ここでだらだらと過ごすか大人しく冥界に行くか、していただろうね」
確かに、そこについては同意だ。青年の存在もそこまで気にかけなかっただろう。
「よく、自分自身から発言することも多くなった。伸び代がすごいね」
「地上にいたなら、通知表で褒められるところかな?」
「ふふ、そうかもしれない」
そう笑ったゼルは、カップの中の紅茶を口に運んだ。口内を潤すと、相変わらずの優しい口調で語りかけてきた。
「この成長が、死んでからじゃ意味がないって思ってるかい?」
ぼくはその問いに、一瞬の隙もなく首を振った。もちろん、横に大きくだ。
「そんなわけない。ここで、死後の世界で楽しくやっている人だっているんだ。ルイズだってそうだったらしいよ」
「うん、あの子はいい例だよ。天界に来てからガラリと性格が変わった。いや、我慢していた本性を現したってところか。いい意味でね」
ぼくはルイズの、あの明るい人間味あふれる言動を思い出した。回想するだけで、こっちまでもが笑みをこぼしてしまう。
「ぼくもそんな風になれるかな」
「やりたいようにすればいいのさ。だから、少し休んだら天使に会いに行こうか……と、言いたいんだけど」
語尾を濁らせるゼル。事情でもあるのだろうか。
「実は、アークがヘルスセンターで休んでいた頃にね、ハインに宿題を出されてしまったんだ。それをそろそろ、提出しないといけないかと思ってさ」
「宿題って、なに?」
「うーん、言葉じゃ説明しづらいね。とにかく、この気持ちは現役の学生であった君なら、理解してくれるだろう?」
詳しく詮索する気は無かったが、まあここは納得しておくことにした。ぼくは頷き、同調した。
「そうだね。それによく考えてみれば、ぼくが休むベッドのそうなものがない」
その言葉に、ゼルははっとしたように口を細めた。
「ああ、その通りだ。じゃあ宿題を出しに行く前に、それを探しに行こうか」
「またフリーマーケット?」
「いや、あそこに置いてあったものに、休息できそうなものはなかった」
「ならどうするの?」
ゼルは紅茶を再び飲む。しかし今度は、じっくりと味わっているようだ。
そして、こんな提案をしてきた。
「この家には、ご存知の通りあまり広いスペースはない。だから、ベッドは“宙に浮くもの”にするんだけど」
「えっ! 宙に浮くなんて、そんなことあるの」
はははと、ゼルは笑った。
「アーク、君がさっきまで座っていたものはなんだい?」
そう言われて、初めて気がついた。
「あ、フロート……」
「そう、フロートは変幻自在の優れものだからね。ベッドにだって代用できるのさ」
「なら、このフロートをベッド代わりにすればいいんじゃないの?」
「君は地上での硬いベッドに慣れてしまっているだろう? こんな薄い布の上でなんて寝たら、その体にも毒だろう」
「そっか……」
けれどこのフロートは利用すると、ついさっき言ったばかりだ。一体どうするのかと、不思議そうな眼差しをゼルに向けたつもりだった。
「フロートは浮くんだよ。それこそ、物を包んでね、つまり……?」
答えを誘導したがる教師を彷彿とさせる言い方だった。が、相手がゼルだからか、それは全く気にならなかった。
「大きなスポンジみたいなものを、フロートで包んでその上で寝る?」
「そう。そしてそれをするには、フロートの切れ目両端を縫わなくちゃいけない。それができる人を知ってるかい?」
「うーん……器用そうな、リザレイとか?」
ゼルはにぱっと、無邪気な子供のように笑った。話のテンポが上手くいって、嬉しいんだろうか。
「勘がいいね。それとも、頭が回るって言ったほうがいいかな?」
「ねぇ、そうと決まれば、早速会いに行こうよ」
ぼくはゼルを急かす。
「そうだね。リザレイは人間の為の活動に尽力を注いでいる。どこにいるんだろうか」
「前はリィに聞いていたよね。それと同じでいいんじゃない?」
「あてが外れないといいけど。物は試しってやつだね」
ゼルはそう言いながらドアを開ける。リィたちの家は近い。さっきはルイズが応答したが、中にまだリィがいる可能性は高い。
ルイズに雰囲気が変わったと言われたし、それをリィにも感じてもらうチャンスかもしれない。
寝床を早く作る為にも、ゼルの宿題というプレッシャーを消化する為にも、ぼくたちはさっさとリィの家に着き、ドアをノックした。
「ん、またアーク? 今度はなんだよ?」
思った通り、ルイズが出てきた。しかし悪いが、用はリィにある。ぼくがその旨を伝えると、ルイズは「あー」と、落胆したような声をあげた。
「残念だけど、アークにゼル。リィは展望台に行っちゃったよ。そこに行ってみな」
「展望台?」
「ゼルに聞け。そして行ってみろ、いい眺めだから」
ルイズはそれだけ言うと、拳を握り親指を立てたままドアを閉めてしまった。
「ゼル、展望台って?」
「名前の通りさ。ここより少し上に見える小さな白い雲。それが地上でいう展望台なんだ」
ゼルはそこへと先導してくれるようだ。下層へと下る吹き抜け方面の斜め上に、その小さく白い雲が霞んで見えた。同時に、人影も見える。
「高い……」
展望台と同じくらいの高さまで来て、思わず呟いてしまった。上層と下層に挟まれ、天界の高さを改めて思い知った。
しかしゼルにとっては日常茶飯事なようで、展望台に立ち後ろ姿を見せるリィに、話しかけていた。ぼくも慌てて追いついた。
リィはおもむろに振り返る。そしてゆっくりと優しく微笑んだ。
「あら、しばらくぶりねぇ。アークに、ゼル」
お読みいただきありがとうございます。
今回は会話文などが多くなってしまいました。それでもアークの成長や覚悟、それを見守るゼルのことを感じていただけたらと思います。




