紅茶館での生活スペース
「うわぁ……一体いくつあるんだろう」
「さてね。僕自身でも、よくわからなくなるほどだよ」
三面鏡のドレッサーのように開かれた網。そこに掛かっているティーバッグは、重なるくらいに大量にある。どうりで、紅茶の香りがよく混ざっていたわけだ。
それでも悪臭にならないのは、紅茶の特性なのか、ゼルのこだわりなのか。不思議なところだ。
「それにしても、よくこんなに集めたね」
その数の多さに圧倒され、ぼくは思わず感嘆の声をそのままあげた。ゼルは腰に手を当て誇らしげにする。
「まあね。それだけ君のいた地上が好きで、よく訪れていたということさ」
「ぼくのいた地上ね……」
確かに荒廃した土地というわけでもなかったが、言うほど幸福だろうか。家庭環境のせいかもしれないし数年しか生きていないが、比べてしまえば天界の方がよっぽどいい気がする。
けど、あれだろうか。人の思いやりに惹かれたとか、そんなことかもしれない。それなら納得できる。事実、ぼくは人に関心を持たれなかっただけで、周りの人はほとんど良い人だった。
ぼくは一歩離れたところから鑑賞するのをやめて、網の前で観察してみることにした。
「あれ、これって分類されてるの?」
ティーバッグを手に乗せて見る。すると、未知の言語で書かれた、小さな小さな札が付いているのを見つけたのだ。
「軽くね。君は紅茶を知らなそうだから詳細は割愛するけど、紅茶の大まかな特徴ごとに分けてるんだ」
「特徴? 名前とかで分けた方が見つけやすいんじゃないの」
指摘してみたが、ゼルには首を横に振られてしまった。どうやらぼくは、本当に紅茶に疎いらしい。
「僕に名前はわからないし、それに、その時の気分によって飲みたいものって変わるから、そう分けたほうがいいんだよ」
「一回使ったものでしょ。別に飲まないのに気分って」
「いいかい、これはコレクションなんだ。『この香りが嗅ぎたい気分』って思った時にも、すぐ見つかるだろう」
「ああ……確かに」
なんとなくの相槌で「確かに」なんて言ってしまったが、そのコレクションのせいで匂いが混ざりまくっているのだ。ほしい香りを手に入れたとして、本来の香りを味わえるかも怪しいものだが。
ぼくは改めてティーバッグをいじり始めた。そのバックでは、ゼルがソファに座りながら、紅茶のうんちくについて語っていた。
勝手に頭に染み込む……わけでもないが、風だけの天界ではちょうどいいBGMだった。
しばらくして。右から順に、気になったものを重点的に見ていって、数十分後に全てを見終わった。
ぼくの鼻は恐らく、すっかり紅茶漬けになっていることだろう。意味もなく鼻先をさすりながら振り向いて、観察が終わったことを知らせた。
ゼルも手に乗せた顎を外し、正しい姿勢へと戻った。
「どうだった? いい香りだったかい?」
小屋の片一方側にある長机に、畳まれた布がある。さっきの観察タイムに語っていた内容からするに、常備されているフロートらしい。
ぼくは、少し湿った指でそれを引っ張り出すと、布の状態を整えてからそっと座った。
「嗅覚が壊れていないか心配だけど、毎日違う香りが楽しめるのはいいかもね」
「はは、褒められているのか皮肉られているのか、僕にはまだ理解できないみたいだ」
また、顎に手を当てた。ただし、人差し指の第二関節と親指の腹を当てるのは、さっきとの相違点だった。
「でも少なくとも、僕は毎日ここで暮らせているのさ。君が住んでも大丈夫だって」
「嫌だとは言ってないよ。ゼルがいるだけでとりあえずは楽しそうだから」
「これは今度こそ、褒められてるって受け取っていいのかな」
ゼルは安堵の表情で笑う。その通り、ぼくはもうここに住む気満々だ。1日という概念がないらしいこの天界だから、今すぐにでも眠りたい気分だ。
だがひとつ、気がかりなことがさっきからあった。
満足げにしているゼルの肩を、フロートを動かして叩いた。彼は笑みを止めて、話を聞いた。
「それは気にしなくていいんだけどさ。当たり前だけど、この、家ってゼルひとりで暮らす用の広さだよね」
きょとんとして、家主は家内を見回し頷いた。
「うん、君が居候するなんて、夢にも思ってなかったからね」
「だからさ、ぼくが自由にする分のスペースがないじゃないか」
ゼルの呆けた顔は変わらず、まるで不思議そうにしている。ぼくは至って真剣なのだが。
「そんなのいるかい? ぼくは地上に散歩に行ったり仕事をしに行ったりして、君は家でゆっくりしたり天界を見学したりする。一緒にこの空間にいることは少ないだろう」
「そうかもしれないけどね、寝るときはどうするの」
「天使に本来睡眠はいらないよ。疲れた時にたまに寝るだけでね」
「だとしても、ここはゼルの家だよ。ゼルのプライベートとぼくのとは、分けたほうがいいって」
ぼくはなにかと理由をつけて、ぼくの分のスペースを取ってもらうことを懇願した。これまでゼルの言うことに頷いていただけだから、向こうからすれば変に思うのだろう。
「まさか、君にそこまで頑固な面があるなんてね」
なんて言われてしまった。けど、彼はそう言うけれど、実際理由は大したことではなかった。
ただ、お互いの空間をきっちり分けて、ゆったりできるようにしたい。それだけなのだ。ならひとりで暮らせばいい、とも思うが、ひとりになったらなったで不便だし寂しくもなると思う。
人間の心とは複雑で面倒なものだと、ぼくはしみじみ思った。
ゼルがもう了承してくれているものだと信じて、ぼくは詳しい説明をした。
「ぼくはさ、仕切りを買って欲しいんじゃないんだ。ゼルの為にある椅子や机を小さくてもぼくの分もらえれば、どことなくどっちのスペースっていうのは区別がつくと思うんだ」
「うーん。つまり今は、家具やらが僕の分しかないから完全な僕の家って感じだけど、アークの分の家具もあればふたりの家って認識になるってこと、でいいかな?」
「うん、感覚的でわかりづらいけど、理解してくれたならよかったよ」
「ああ、それなら早速見に行こうか?」
ゼルは組んでいた足を解き、地にしっかりと着けた。ついさっき、地上で息を切らしていたとは思えない余裕っぷりだ。天使の治癒力は半端ではないと、よくわかった。
どちらかといえば、ぼくの方が疲れは溜まっていただろう。しかし、ここでの新たな生活に胸を踊らせていたのは確かだ。だからぼくもゼルにならって、地面と垂直に足を立てた。
「見に行くって、どこへ?」
ゼルは木製のドアを押しひらく。新たな光が差しこみ、室内が若干明るくなる。
「Gホールって、本当に便利なんだ。特に人間に優しくて。フリーマーケットみたいに生活用品が並べられているところがあるんだ。そこで、ちゃんと認められれば貸してもらえるんだよ」
「へぇー……賃貸みたいな感じなのかな。なんだか、人と天使が共存している感じがするね。天界にそんなシステムがあるなんて」
「そうだね。人はどこででも文明を築けそうだよ」
ぼくたちふたりは既に、上層の中央、巨大雲の手前まで来ていた。もう下層だ。
Gホールには何度もお世話になっている。今回も頼りにさせてもらうということで、心の中で感謝の言葉を述べて、移動していた。
また、下層に来た。これまで地上、下層、上層を行き来しているが、死んでから最も便利でよく使っている場所はこの下層だろう。
見た目に特徴のある天使や人間はよく覚えていて、天界での新参者のぼくは、世話焼きそうな人たちにも顔を覚えてもらっている。向こうが手を振ってくる。ぼくも元気に振り返すことで、天界に馴染もうと頑張る。
横目でゼルを見ると、ふふっと微笑していた。
「なんだ、もう知り合いができたのかい?」
「名前も知らないけどね。誰かが広めたんだと思うけど、なんか有名になってるみたい」
「相棒でもないのに天界に留まってる人間なんて、アーク以外にいないからね」
「ああ、冥界とかに送られちゃうんだっけ」
そういえば、とぼくは思い出した。ぼくはここでは、器に入り込んでいる人の魂なのだ。一応ゼルの近くにはいるが、ここで暮らす為に一緒にいるのであって、相棒でもなんでもない関係だ。
よく考えてみると、おかしな関係だなと思えてくる。まあ、そんなことを今更気にしても意味はないけれど。
首を小刻みに動かして周りを見物している間に、煌びやかな塔、Gホールに到着した。
入って右手、そこにはいつも通りの受付の女性がいた。今回は受付嬢らしく、にっこり笑って会釈するだけで終わった。
定期的に顔を合わせているはずのぼくたちだが、あの女性からしてみれば、何百といる来訪者のひとりにしか過ぎないんだろう。ぼくも笑い返して、その場は終わった。
それでさ、と受付を超えたところで、ゼルにぼくは質問する。
「フリーマーケットみたいなところって、どこの部屋なの?」
ゼルは前を向いたまま、真正面にある大きな扉を指差した。いや、扉と言うよりは空間だった。扉は既に、大きく開かれていた。
「ここはある意味イベントスペースって奴だね。ここでは自由空間って言われてる。フリーマーケットは不定期に開かれて、今日はちょうど開催されている日だったんだ」
そこらを放浪しているゼルでさえも知っていることからよくわかる、宣伝の絶大な効果からか、人や天使がパラパラと集まっている。
物は想像していたものよりは少なかった。でも、既に大量に借りて行った後なのかと考えれば、納得できる品数だった。
ぼくたちは近づいていき、ぼくがほしい家具かなにかがあるか漁った。
その途中、高い丸椅子に姿勢良く座る青年が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。なにをお探しでしょうか?」
ぼくはどちらが対応するか迷ったが、ゼルがこちらを向いてウィンクしたのを確認して、再び安心して漁りを始めた。
しかし、この物好きな青年については気になる。耳だけを外側に向けて、盗み聞くことにした。
「うん、僕らが探しているのは、程よく小さい机とか椅子。つまるところ家具だよ」
「小さい家具ですか。小物とはまた違うということですね」
「そうだね。コンパクトなものがいいな」
声がしなくなった。青年は考え込んでいるのだろう。すると、ゼルへの返事の代わりに、ぼくの眼前に紙を突きつけてきた。
「お客様、こんなものはいかがですか?」
「これは、チラシ?」
恐らく手作りであろうチラシには、文机のように低く平たい机の写真があった。……と思ったが、それはよく見ると絵のようだった。これはどう見ても写真のようで、青年の画力が垣間見えた。
そんな才能を秘めた青年は、手で部屋の奥を示した。そこには、絵とそっくりな机が置いてあった。
「確かゼル様のお住まいになる家では、木を基調としていたはずです。この暗めの木目をした机でしたら、広さ的にも雰囲気にもピッタリではないでしょうか?」
「うーむ、確かにそうだねぇ。アークはどう思う?」
いいんじゃないか、というのがぼくの考えではあった。しかしぼくは気になっていた。この青年はなぜ、ゼルの家の事情など知っているのだろうか。
そこは、ぼくが大して気にするところでもないのだろうか。小さな不思議だが、それは後にするとして、返答を優先した。
「うん、ぼくちょうどこんなのがいいと思ってたからさ。気に入ったよ」
「それは喜ばしい限りです。では是非、お持ちくださいませ」
「ふふ、ありがとう」
青年はどこからともなくノートを取り出し、さらさらとなにかを記していった。そしてプラスチックのような硬い素材でできたケースから、不思議な紙を取り出した。そこに別のペンでまたなにかを記していき、ぼくに渡してきた。
「こちらはお客様の管理書です。こちらをお持ちでないと色々問題が起こりますので、詳しくはゼル様にお聞きください」
「あ、はい」
それは硬い紙だった。これもまた未知の言語で書かれていたが、ぼくの似顔絵が描かれていたので、机のこととぼくについてのことが書かれているとは想像できた。
「それじゃあ、いこうかアーク」
ゼルに呼び掛けられたが、僕は最後に青年に聞きたかった。
「ねぇ」
「はい、なんでしょう」
「不定期に開催して物を貸しているらしいけど、返されているかわかるの?」
「そこはご安心ください。このノートに全てを記しておりますので」
ならばと、ぼくは次の質問をした。正直、こっちが本題だ。
「あ、じゃあ。ゼルの家について知っていたのはなんで?」
「それですか」
青年は考え込み、次には微笑みを戻していた。
「じゃあそれは、次にお会いした時ということで」
「また、このフリーマーケットをするの?」
「さあ、それは定かではありませんね」
「え……それじゃあ、どこで会うっていうの」
ゼルを待たせているとわかりつつも、ぼくはすっかり青年に夢中だった。しかし青年は中々答えを出さない。
ために溜めて出た答えは、これだった。
「そうですね、君が立てた目的を貫いていれば、必ず会いますよ。絶対ね」
お読みいただきありがとうございます。
しばらくは日常編的なものが続くのでしょうかね。
最後にして突然頭角を現してきた青年。一体何者なんでしょうね。
次話もご期待ください。




