ぼくの仮家は紅茶館
「おーい、ゼル!」
「なんだい、アーク……」
とても面倒くさそうに返事をする。疲れているわけでもないだろうに、一体なにをしているんだ。
「魂と肉体が繋がる方法を探すんなら、しばらく住む所が必要でしょ。それをすぐ見つけないと」
雲の上、天界に戻ってきたぼくたちは、今早速目的を果たそうと急いでいる。のだが、ゼルがいつものように余裕ぶっていない。
ぼくとしては、そんなことでは困るのだ。ぼくの天界での案内人をしてくれるのは、このゼルのみなのだから。
「ゼル……なにを尻込みしてるの?」
「別にそんなつもりはないさ」
手をひらひら振ってそう言う。ないのならシャキッと行動してほしい、そんな気持ちを睨んで伝えると、彼は石畳に立つぼくの隣におもむろに近寄ってきた。
「僕の意見を言わせてもらうけどね、ついさっきまで自発的に動かなかった君が、突然に活発に動き出すとなると、このお守り役としても疲れるんだ」
「お守り役?」
ぼくはその言葉のチョイスに、少し引っ掛かりを覚えた。しかし彼は、無視して続ける。
「簡潔にいえば、自由奔放な子供というのは、予測不能で大胆不敵なものなんだなと思ったんだよ。それだけさ、さあ、次はどこに行こうか?」
声のトーンからして、どうやらゼルはこれを漫才の一環だと思っているらしい。だがぼくは、どうしても彼との関係に疑念を感じた。
「……ゼルは、アークとゼルというふたりの関係のことを、子供とそのお守り役、と見ているの?」
「えっ?」
向こうからすれば、唐突な問いに戸惑うこと間違いなしだろうが、こっちはそうではない。
「言葉の綾かもしれないけど、少なくともぼくは対等な関係だと思っていたんだ。少なくとも、ちょっとした悪口を言えるくらいの関係だとね」
「……」
ゼルは驚き呆けたままだ。
「前からゼルは人間を尊重している風なことを言っていたけれど、その人間が身内となった途端、どうだ。ゼルの行動は、全てぼくの為にしかなっていないじゃないか。お前の為には、一切なっていない」
「それは、君が困っているからだ。天使は慈悲深いものだから――」
「それは違うね」
凛とした声で、しっかりとぼくは反論する。目線の矛先は、口を真一文字に結んでしまった。
「言っていたでしょ、『天使というものは、人間からすれば残酷なもの』って。確かにぼくは困っていた。けど、残酷な天使なら、本来繋がっているはずの魂と肉体を無理に引き剥がしてでも輪廻させたっていいでしょ?」
相変わらず、黙ったままだ。ぼくは、正直なところまだまだ言いたいことがある。
気分が調子に乗って、なんだかなんでもできそうな気分になってしまっている今、ゼルに全てをぶちまけたかった。死んでなお、自分を隠すのが馬鹿らしいと思える今、気が変わらないうちに全部放り投げたかった。
沈黙の続く空間に、傲慢にならないゼルに、ぼくは喝を入れた。
「簡潔にいえば、人間を愛しすぎる大天使というものは、赤裸々になれず自己満足をするものなんだなと思っただけだよ。一方的、ってさ、それだけ迷惑かわかる?」
それだけ一気に言い終えると、ぼくは肩の力と頬の緊張を解いて、ふっと微笑んでみせた。
ゼルはさっきからドギマギして視線を外していたが、一点を見つめ、ため息をつくと、それをぼくの方に正した。
「うん、君の言いたいことが、なんとなくわかったよ。ぼくはこれまで――いや、言い訳はいいか。傲慢になってもいいんだね、君の前では」
「そう」
「お互いが同じくらいにお互いを知らないとね。ふふっ、ここらの極意はリィに学んだ方がいいかな?」
ゼルが心の底から自分らしくなれるかは定かではないが、ぼくの思いは伝わったようだ。
今のぼくと同じくらい、彼も微笑んでいた。それは、これまでの作り笑いじゃなくて。
「堅苦しいのはやめよっか」
石畳に着く足も、うめき声なんかをあげそうな頃。ぼくは雰囲気と気持ちを切り替えて、そう言った。
「あれ、もっと真面目に話し合わなくていいのかい」
「まあ、ゼルが心の中でわかってくれていればいいし」
そこで言葉を切ると、ぼくは体を半回転させ、これまで来た道の方を見る。
「時間が勿体無いからね」
「はは、確かにそうだ」
合図もせずにふわりと浮くと、全速力で、この気持ちをぶつけるように飛行した。それは、周りの天使たちにも風が届くほどだ。
「なんだか、その性格になってから急な行動が増えたじゃないか。多重人格かい?」
「そんなわけないだろ。ぼくはぼくだよ。それに、今度は着いてこれてるね?」
ぼくの顔のすぐ右には、それは美しい顔立ちの大天使が飛んでいた。改めてよく見てみると、結構いい顔をしていることに初めて気がついた。
「当たり前さ。だって僕は、大天使だよ」
「うわぁ、上から目線」
「傲慢だろ?」
まあいいんじゃない、と返事をして、ぼくはひたすらに進み続ける。
一心不乱に前を向くぼくに、ゼルは聞いてきた。
「そういえばアーク、これからどこに向かうんだ?」
横目でチラッとゼルを見る。僕は少し考えて。
――やっぱりそこにしよう。と、にやりと笑った。
ゼルは不思議そうな表情だ。しかしそれは、直後に焦りと驚きの混じった、表情筋の忙しい表情となるのだった。
「勿論、ゼルの家だけど?」
「えっ、え?」
「困ることなんかあるの? ゼルが住んでるだけでしょ?」
「いっいやそういうことじゃなくて、急だから驚いただけだよ。てっきり君の性格からして、『静かな所がいい』とか『人があんまりいない所』とか言うかと思ってたからさ。まさか僕のところなんて……」
相当の早口で、ゼルはそう一気に言った。早口言葉をしていると紹介しても、誰も疑わなさそうな勢いだった。
それよりも、地上にいた時やさっきは渋っていたように思えたが、ぼくがどんな所がいいかとか考えてくれていたんだな。
やはり、人間に優しくしたいという気持ちと、それに伴う決断力は、他の天使とは違うものがあるようだ。
そんなゼルには対等になろうと努力してもらいたいけど、ぼくも好き勝手したい。ゼルの言葉に、否定的な様子は見られなかった。
「じゃあ、探してくるよ」
ぼくはそれだけ呟くと、ちょうど上層へ上がる切れ目の真下だった為、一気に上へと方向を転換した。
顔に風が痛いほど当たる。ただし今は、それすらも気持ちいと感じるくらい心地よかった。決してマゾヒストとかじゃない。
「あっ、アーク! 勝手に行くんじゃない!」
彼の言葉を華麗に無視して、ぼくはすぐに上層部で住処を探し始めた。
見たこともないのに、どうやって探すんだと思う? ゼルに直接聴いた方が早い?
いや、それは何故か、僕のプライドが許さなかった。体と心が拒否反応を起こしてしまうのだ。
それになにより、自分でもなにかはできるということを見せつけたかった。
「ゼルは、上層部はそこまで広くないというようなことを言っていた。そして、『僕の家もこの辺りにあるんだよ』ってことも……」
脳内情報を口に出しながら整理する。なら、次にすべきことは決まった。
少し、後ろの様子を伺ってみる。ゼルは止めても無駄だと判断したのだろう、雲の道をゆっくり、腕を組んで進んでいる。
よし、なら早速、リィの家に行こう。聞くのはおおよその位置だけでいい。心配事はそんなことよりも、リィもしくはルイズが在宅中かだ。
「確か、ここだったはず」
巨大雲の斜め左。わかりやすい場所に、リィの趣味だろうか、わかりやすい外見だ。
中指の関節を勢いよくぶつけ、家主に客人の来訪を伝える。窓からの景色からして、中に誰かはいるはずなのだが、中々出てこない。
どちらもルーズそうだから見分けがつかないが、一体?
……なんて、考えてぼぅっとしていたのがいけなかったのだろうか。
「なにっ! だれっ?」
ドアがバン! と音を立てて開く。
「痛っ!」
それが加速をつけたまま、ぼくの額と鼻にめり込む。特に鼻は潰れたようで、もどかしい痛みだった。
痛みを感じると同時に、その痛みを味わわせた犯人は容易に想像できた。こんな乱雑なのは、ゼルの言うまさに自由奔放な子供と言える、ルイズしかいなかった。
証拠に、女子としては若干低い、呑気な声がした。
「あれ、アークじゃん! なにしてんの?」
「……ゼルの家、どこらへんにあるか知ってる?」
鼻をさすりながら言う。その後何故か、ルイズがきょとんとした顔をしたまま沈黙が流れた。途端、ルイズが声を張り上げた。
「えっ! もしかしてそれの為だけに来たのか?」
「そうだけど。早くしてくれない? 痛いし」
「うぅーん、知ってるけどさぁ」
ルイズは腕を組んだまま顔を歪める。
「大体の場所でいいから、教えて」
「えー……せっかく来たのに。まあ、あっちだよ。なんか辛気臭い所」
ルイズの指が指す方向には、家々の向こうに不自然な暗闇があった。目を凝らして見てみると、恐らく石造りの小さな建造物があった。
「あそこら辺にポツンと、建ってるから。すぐわかるよ」
「わかった。ありがとな、ルイズ」
「あー……うん」
場所は理解できた。ひたすらあっちに飛んでいけばはっきりと視認できるはずだ。
だが、その前に気になることは消化しておくことにした。遠くへやった目をルイズに向ける。
「ルイズ」
「えっ、なに?」
「なんか、前みたいにがめつく来ないんだな」
「がめついって……そんなことないけど」
ルイズ自身はそう言っているが、今会ってからずっと浮かない顔をしている。
「アークこそ、なんか性格というか雰囲気、変わったんじゃないか?」
「そう?」
「あんなに淡白で白身魚みたいだったのに、今や立派な泳ぐ鮭、みたいな?」
「よくわからないな、その例えは」
少し、元気に笑うようになっただろうか。なんだか、少しだけ会わない内に性格が逆転したようだった。
今は急いでいるからかまえないが、次に会うときは余裕を持って問いただしてみようかと、そう思った。
「じゃあ、ぼくは行くから」
飛んで行こうとした時、服の裾が引っ張られた。そのせいで、バランスを崩し、また額を家にぶつけそうになった。
「あ、あのさ! えーと、洗濯物の件、忘れてないよな」
「そりゃそうだろ。それだけ?」
「ああ、それだけだ」
自分から話のネタを欲しがっておいて、いざ自らの番となると全く言葉が出ないらしい。困る気持ちはわかったが、せめて自分が言えるようにはしておいた方がいいんじゃないかなんて、思ってみたりした。
「あっそう。じゃあ、今度こそ行くからな」
「はい、行ってこい」
ルイズは最後の最後に、素っ気なく言葉をかけてドアを閉めた。
人間時代、女子ってよくわからないなぁなんて思ったことがあった。ルイズは単純そうだからなんて考えたこともあったが、やはり例外ではないようだった。
そういえば、ルイズがドアを閉める瞬間、奥にフロートに座る影が見えた気がするが。あれは、リィだったのだろうか。
「考えても、仕方ないか?」
ぶつぶつ独り言を呟きながら、歩くゼルが家に着く前に、ぼくが先回りすることにした。
下層部は進むにつれ、Gホールを始めとする様々な施設などが増え、活気も盛んになっていた。しかし上層部は対照的に、奥へ進めば進むほど気配が少なくなってくる。
さっきまでポツポツと建っていた家たちも、ここまで来るとすっかり消えている。
代わりに見えてきたのは、孤立して建っている素朴で質素な家、いや小屋と、やはり石造りでできた祭壇のようなものだった。
小屋がゼルのものだというのは、窓から覗けば大方わかる。
普段から地上を放浪している彼は、いつもなにかしらを拾ってくるのだろう。特に、小屋自体からも漂う様々な紅茶の香りが、保存されているティーバックの存在感をより押し上げていた。
高貴な香りのする小屋に興味を持たずにはいられなかったが、流石のゼルが相手だと言っても、無断で家に入るのは忍びなく感じた。
そこでぼくは、名案を思いついた。
「あの祭壇……なんだろ?」
祭壇、とは言ったが、実際そうであるかも怪しい。
名詞を使わずに言えば、『四角い石でできた古びた低いお立ち台』といった感じだ。そう、まるで記者会見でもするかのような。
お立ち台は、「コ」を細長くして、天井の一部が丸く大きく空いているものだった。これから予想できることは、このぽっかり空いた穴から、なにかしら神々しいものが降臨しそうということのみだった。
しばらく観察、調査していて、ぼくはこの祭壇もどきの奇妙な点を見つけた。
「ぐっ……おかしいな、まるで手応えがない」
寄せて集めた四角の石で積み上げただけのように見えるのだけど、その割には崩れそうな気配は全くない。
それどころか、思い切り押しても若干の力が反発しているように感じる。石を爪で削ろうとしても、食い込みはするが粉のひとつも出てこない。
見かけは古ぼけているが、なにか秘密があるのだろうか。そう思い、さらに深い調査を始めようとした時。
「アーク、調べはついたかい」
後ろに、きっと長い距離を歩いてきたであろうゼルが、腕を組んで立っていた。
「うん、こや――じゃなくて家は、ルイズに教えてもらった。知ってると思うけどね。それでさ、この祭壇みたいなものはなに?」
「……うん、これはね、天使が神の意向を聴いたり報告をしたり。神の世界とこの地上が繋がる為に必要な社だよ」
「やしろ……随分と質素じゃない?」
「いや、意外とこんなものだよ。地上にある社もね。それに、どうやら神は絢爛すぎるものは嫌うらしいよ」
「だからって、これでいいのかなぁ」
眉間のしわを増やすぼくの肩に、ゼルは軽くてを置く。そのまま向きを変えさせて、小屋の方へ行くようにした。
「人には理解できないことも、多少は存在するのさ。さ、もう住むんだったら腹はくくったよ。早く入りな」
背中を押されるままに、社からやや離れた小屋の扉を開く。どうやらこれは完全な木造のようだ。
「んっ、この匂いって、紅茶……」
「僕が拾ってきたものさ。コレクションもしてあるから、匂いが混ざらないか怖かったんだけど。なんだか大丈夫みたいだね」
まさに、圧巻、だった。木造の茶色に紅茶の茶色。ゼルの住処は、お洒落な茶色で一杯だった。
ゼルは六角形の形をした小屋の入って正面、つまり大量のティーバックが掛けられている面の前に立ち、誇らしげに声をあげた。
「アーク、よく見てごらん。これが僕の紅茶コレクションだよ」
お読みいただきありがとうございます。
最近というか、ずっと心理描写が多いような気がします。うざったいかもしれませんが、アークは成長していっています。
成長物語に付き合っていただけたら、この上ない喜びです。




