ゼルの空中散歩
「さて、ここら辺の病院はどこだったかな」
彼の肉体を発見する為、アークと2方向に分かれた僕。天界よりも地上によくいる僕は、この県という土地の中のことは把握している。
……サボりとか、職務怠慢とか、言わないでほしい。
美しさとしては、もちろん天界の方が格上だと思う。しかし僕は、個人的には地上の方が面白みがあると思う。
泥臭く懸命に生きなければならない地上だからこそ、快楽を求める人間がどこよりもお面白いものを作っていくのだろう。例えば、テレビゲームとか手遊びとかだ。
まだ未熟で幼い天使であった頃から、僕はそれに憧れていた。天の者が地の者に憧れるなんて、客観的に見れば、おかしな話だ。でも、それでも僕は秘密裏に憧れ続けた。
そして今、大天使となって自由に地上へ遊びに出ている。より一層地上について知れて、僕はとても満足しているのだ。しかもそれが人間の役に立っているとなれば、これほど嬉しいことはない。
「うーん。病院探しついでに、今日も散歩しようかな」
ついではどっちだと、自分でも言いたくなるが楽しんで探すという意味では、どちらも変わりなかった。
さて。と僕は一拍おいてから、少し風を受ける速度を速めた。いつ来ても変わらない期待感に満ちた街を、散策し始めたのだ。
もちろん、病院をちゃんと探しながら。
自分から見て北北西の方向に進むと、美味しそうな香りを漂わせるひとつの民家が確認できた。
僕はその香りをよく味わってみた。
「これは確か……ハンバーグ、だったかな」
ハンバーグの特徴を思い出してみる。主に、動物の肉をミンチにしたものを焼き、味付けをした肉塊だったはずだ。それは、よく噛めば噛むほど旨味の汁が滲み出る。おかげで、子供を中心に、人間たちには大人気のようだ。
さらに、それの裏付けとして、民家の中からは子供の嬉々とした声が聞こえた。
「いただきまぁーす!」
ひっそりと民家の壁に耳を付け、この家族たちの様子を伺ってみる。
「はいはい、どうぞ」
「うん! すっごい美味しいよ、おかーさん!」
「はっはっは、母さんの料理はいつでも一番だな!」
「うふふ、嬉しいわ。お母さん」
家族たちは、見なくてもわかる、ほんわりとした笑みを浮かべていただろう。この後も食器をカチャカチャと鳴らす音、食卓での賑やかな声は、しばらくずっと続いていた。
それが僕には、とても微笑ましく思えた。普段散歩していて最も嬉しくなってしまうのは、やはり家族での団欒だ。
最もよく見かけて、最も胸が暖かくなる光景。そんな人情味を感じているだけで、生涯ここにいられそうだ。
当然、病院の場所、アークの肉体の在り処を調査しなくてはならない。別れには慣れたつもりだ。僕は次の手がかりを見つけに、さっさとこの民家を離れた。
あははという笑い声は、絶えることがないだろう。
「ああ、あそこには、緑がたくさんあったっけ」
前方へ進みながら、僕はある広範囲の植物たちに目移りした。
周りが整えられた土地に降り立つと、その植物の植えられている人工物に目をやった。これは、花時計という奴だったはず。細かいことはわからないが、恐らく大きなアナログ時計を花で飾って、美しく見せているのだろう。
個人的には、時計を地面に置く意味がよくわからなかった。見やすい、という意なのだろうか。まあきれいだとは思うし、ここに来る子供たちはいつもこれを鑑賞して楽しんでいる。
「まってー!」
「やーだよー!」
はきはきとした若い声が、この広い土地に響く。どうやらこの辺りには、子供がよく集まるらしい。
「そういえば、ここは公園というものだったかな」
舗装された道と土の地面とのボーダーラインに置かれた看板には、「松原第二公園」と印字されていた。僕はそれに軽く手をかけ、それを読み上げる。
公園には、遊具と呼ばれる、小さな建造物がある。好奇心と探究心に満ちた子供たちは、それをあの手この手で使い分け、最大限に楽しむのだ。
例えば、ひとつの遊具に対して、僕が考えられる遊び方がふたつだとする。しかし子供というものは、対して5つほども考え出してしまうのだ。
人間の豊かな発想力には、いつも「ははぁ」と感服させられる。
「タッチー、次鬼だよ!」
「ちくしょー! ぜってー捕まえるぞー」
子供たちは常に変わることなく元気だ。その活発さに圧倒されそうにもなったので、また先へ進んで行くことにした。
追いかけ合っていたふたりの子供は、まだまだ仲間を増やすつもりのようだった。
「ここにはー……狭いけど、人が住んでいるのか」
僕は今まで進んでいた北北西からすっかり方角を変えて、西の方へ一気に飛んだ。折角なら縦横無尽に街を楽しもうと思ったのだ。
そうして長い間風をきって行った先には、「松原団地」という文字が書かれてあった。団地とは、見た感じ、大きな建物と小さな土地の中に人が集合して住んでいる住宅のようだった。
人は真昼の為ほとんどいないが、歳をとったおじいさんや、家事をこなす主婦はゆっくりと団地で過ごしている。
だからだろうか、お互い近くの棟に住む女性と老爺は、はにかんで話していた。……と思ったのだが。どうやらそうではないようだ。
普段の僕なら、ちょっと様子を見てすぐ別の人情を探しに出てしまうが、今回ばかりは気になって話を聞かせてもらうことにした。
「奥さんや、あれから日は経ちますが、だいじょうぶですかな?」
「……はい、ご心配かけてすみません」
女性は若干顔を俯けて、弱々しい印象を受けた。老爺はそれを懸命に、支えようとしているのが伝わる。
「あの……私が悪いんです。あの子はいつも変わらず生きていたけど、それは逆に不気味で……。笑っているところをあまり見かけなくて。私が、愛情を充分に注いであげなかったから……」
「おお、おお、わかりますぞ。でも彼は、生きがいというか、楽しみをしっかり見つけておりました。奥さんだけの非じゃ、ありませんぞ」
「う……本当、ですか? あの子は、毎日楽しかったんですか?」
「ええ。毎日遊びに出ておったでしょう。儂が挨拶するとき、いつもみたいに彼は淡々としておりましたが、顔を背ける直前に、にんまりと笑っておったのをよくみましたぞ」
「……ありがとうございます」
「いいえ、いいえ。それより、辛いことを思い出させてしもうて、すみませんでしたのう」
老爺がそう言い終えると、女性は深く礼をした。頭頂部が膝についてしまうそうなくらいに。老爺は手を振って、お互い礼をし合う。
その後女性は顔に手を当てて、去って行った。老爺も続いて、反対の部屋に帰っていった。
「あの女性の子に、何かあったのか」
ふたりの会話が一通り終わって、僕は直感的にそう思った。そして、これも人間の世界だとも思った。楽しみ、喜びがあれば、悲しみ、憎しみもある。そういった意味でも、人間というのは面白いと感じられた。
一体どんな家庭だったのか。興味があったが、傷を負った親や家庭に割って入るなどという無作法なことはできない。
「そろそろ、ちゃんと肉体を探すか」
悲しみに暮れた団地と女性が、明るく報われるようにと願ってから、松原団地を離れた。
ここに来るまで大きく横移動をしてきた僕は、さらにこの奥に病院があると踏んで、脇見せずにまっすぐ進んでいった。
しかし道中、ちらちらと下を見たりはした。
先ほどのように悲しがったり悔しがったりする人。友達との遊びに胸躍らせる人。兄妹のいたずらに腹をたてる人。
十人十色、という言葉がよく似合う景色だった。他の天使たちは、地上は醜いと言うけれど、だからこその面白さや楽しさがあると思った。
ヒュンッ。そんな、空気を叩くような音が幾度も幾度も鳴る。相当の速度で僕は飛んでいるのだ。
「病院びょういん。白い建物〜」
ついには変な歌まで歌い始めてしまったが、僕はあるひとつの人影を視認した。僕と同じように、高速で飛行する人だった。
もしかしてあれは、アークだろうか? いや、きっとそうだ。
僕は方向を若干変更し、アークの方へ向かった。追いかける内、彼の行く先が病院であることに気づいた。流石元住人だ。
しかし、追いかけはしたが、追いつこうとはしなかった。僕と出会ってから彼は、仕方がないとは思うが、頼ることが多くなってしまった。折角なら彼ひとりで行動することも必要だろうと、そんな建前を一瞬で脳内で組み立てた。
今の自分の気持ちに正直になるなら、面倒、だ。まあ、アークの方が相当前にいることもあるし、彼に一任してみることにした。
……アークが白い病院内に入ってから、時間が経った。もう病室を見つけているかなと思い、建物の外から窓を覗いて探した。
彼の服装は、地上の人々に比べれば浮くようなものだから、見逃すことはなかった。最終的に見つけたのは、4階にある端の窓だった。
「アーク、いるかな?」
僕はさらに近づく。窓の面前にまで来たのに、アークは気がつかない。ずっとベッドに横たわる人を見ている。
まさかこの人が、アークの肉体なのか?
それは推測でしかなかったが、ただひとつ事実だったのは、その肉体にアークが酷く怯えていたことだった。
僕からは、光の反射や障害物でよく見えない。
「彼の肉体に、なにかが……?」
お読みいただきありがとうございます。
地の文が多くならないよう、極力気をつけましたが、大分会話が少なかったかなと思います。
最後まで読んでいただいて、本当に感謝します。