地上へおりる
「アーク、前は見ておくようにね」
「わかってる、ゼルこそちゃんと前にいてよ」
今ある景色は、霧のように霞んだ白。雲の中だ。
ついさっき。ぼくが完全には死んでいないとわかってから、ここに至るまでわずか数分だ。
だから、まだ実感もないし整理ももちろんついていない。ゼルは移動中に落ち着けばいいと言っていたけど、そんな器用なことできるだろうか。
突然の出来事で受け止められないというのもあるが、思考がうまく回らないのは胸の高鳴りのせいでもある。
自分が生きている可能性と、幼馴染とまた語らえる可能性への大きな期待。衝撃は消えても、その感情は残しておきたくなる。
「……アーク?」
気づくと、速く飛行しながらゼルがこちらを凝視していた。その瞳はつぶらで、随分と不思議そうだった。
「なに? ゼル」
「パニックなのはわかる。けど……」
「けど?」
ゼルらしくなく、発言まで少し溜めていた。しばらくそらした目線を再びぼくに合わせる。さっきまでつぶらだった瞳は、決心したようで真剣な眼差しだった。
こちらも緊張してきた。改めて呼吸を整える為、深呼吸をする。
そしてゼルは言い放った。
「けど、混乱するような、感情なんて捨てたほうが良い」
「感情を捨てる……」
ぼくも心の片隅で思っていた。ぼくがこうなっている理由は、幼馴染への未練とか期待とかの感情なのだと。
でも流石にそれを捨てるなんて、あり得ないと思い込んでいた。物事を冷静に考えるには、情なんて捨てるべきなのだろうが、自分自身も意識しない心の奥底でそれを拒否していた。
これは、人間として当然の判断だ。感情、気持ちがあってこその人間なのだから。しかし、ゼルに反論する気もない。言っていることは正しいのだ。
「う〜ん……」
考える内に、自分でもよくわからなくなってきた。ぼくとゼル、どちらが正しいのか判断がつかないし、感情を捨てるとしてどうすればいいのかもわからない。
ぼくは悶々と顔を歪めた。顎や口許に手を当てて、ぎゅっと目もつむってしまう。
ゼルはそんなぼくの様子を、ずっと伺っていたらしい。飛行中でも聞こえるように、声をはっきりさせて話しかけてきた。
「そんな複雑に考えなくてもいいよ。ただ、感情的になりすぎないようにした方が良いよ、ってこと」
「うん……」
ゼルなりのそんな気遣いに、ぼくは安堵を覚えた。
極端に気持ちを捨てる必要はないなら、人間らしく、ぼくらしくいられる。こんなことで深く悩みこむなんて、自分でも馬鹿らしく思える。
ひとつ、ゼルの意向がいまひとつ理解できないところもあったが。
ぼくは心構えをして、気持ちを切り替えることにした。頬をペチペチ叩いて、心機一転の元になるようにした。
「気軽に行くよ。もうすぐ地上でしょ?」
「うん。ほら、幽かに建物が見えてきただろう?」
よく目を凝らしてみる。確かに、灰色っぽいシルエットがわかる。下へしたへと飛行していく内、それは段々と明確になってくる。
雲地帯はもうすぐ抜けられる。体が突き抜ける雲の量は減っていき、最後にはグレーの街並みが全体に広がった。
ここは、地上だ。人にとってはまだまだ上だが、高い山の山頂くらいにはいる。
腰に手を当て、地上を見回すゼルは独り言を言う。
「ふう、やっぱり地上に来るとわくわくするね。色々な人もいて」
言葉通り、彼は本当に楽しそうだった。口角をぎゅっと上げて、瞳を子供みたいにきらきら輝かせている。
ぼくが言うのもなんだが、小学校低学年くらいの、純粋な子供の瞳にそれは似ていた。
そんなに好奇心が持てるなんて、何故だか羨ましかった。そういえば、この嫉妬にも似た羨ましさ。彼にも持ったことがあるような気がする。
「おい、見てみろよこれ!」
「どんなのなんだろうなぁ〜」
彼の声が脳内に響く。彼は会うたびいつも、なにかに気を取られている。なあなあ、から始まって、徐々にぼくを巻き込んで一緒に楽しんでいくのだ。
巻き込まれたおかげで、ぼくは彼と出会う前より忙しくなったし悩むことも増えた。でもそれは、充実した生きていると思える悩みだった。
過去を思い出す。そんな自分に気づいた途端、その行為に後悔した。
「ああ、もう……」
ついさっき、感情的にならないと決めたばかりなのに、もう既に彼のことを考え始めている。
完全にゼルに背を向けて、あれこれ考え込んでしまったからだろう。ゼルに強めに肩を叩かれてしまった。
「アーク!」
「あっ、ごめん」
「これから、怪我まみれの君の肉体があるであろう、病院を探しに行くんだから。頼りは君の目なんだ、よろしくね」
肩に乗ったままの大きな手に、期待感という荷物を乗せられてしまった。ずっしりと、ぼくはそれを抱え込んだ。
誰もぼくを困らせようとはしていないと、わかっているがため息をつきたくなってしまう。
「ゼルもちゃんと、探してよ」
とりあえず、この調子じゃなにもかもが中途半端なのは確実だ。一旦彼のことは記憶の海の砂浜においてきて、自分自身をちゃんと探すことにした。記憶は、全てが終わった後に拾いに行けばいい。
「もちろんだよ。調査班のリーダーは君、ってことで」
さっぱりとした微笑みをするゼルに、少しだけ元気づけられた。「了解」と返事をして、別れの挨拶を交わすと、ぼくたちは地上に二手に分かれて体を探し始めた。
数十分ごとに待ち合わせ場所に集合し、進捗を報告する。そのシステムを忘れないように気をつけつつ、かつての街を飛び回った。
「ぼくの街か」
グレーの街並みも、活気や倦怠感に満ちた人々も、ここはなにも変わっていない。ぼくの街だったところだ。
その変わりようのなさに、一周回って安心した。ぼく一人が消えても、街という単位ではちっぽけな出来事。なにも変わらずサイクルしていっている。
「ここって、こんなに広かったんだな」
今見る、上からのかつての街には、新しい発見が多くあった。
自分の住んでいた家に行ってみる。ちょうど平日で真昼の為、家族や人は全くいない。
それでも、これまで自分が住んでいた所は、狭いひとつの地区だったんだなと深く実感できる。
建物で囲まれ、多くの世帯が住む密集地帯。いわゆる団地だ。小さな世界の中の小さな部屋で、好きなことをやってすっかり満足していた頃の自分が懐かしくなってくる。
そしてなおさら、彼と遊び呆けていた日々ができていったのが、ありがたく思える。
と、団地の路地の方から、聞き覚えのあるおじさんの声が聞こえた。
「奥さん! ちょっと来てくれるかい」
確か、このおじさんは。ぼくの母を呼び出すとき、あの人はいつもこう言うのだ。
――母さん、いるのか。
主目的は、病院にいる肉体を探すことだ。こんな住宅地に来る意味などない。ぼくはすぐにこの場を離れることにした。
あっちからは見えないとしても、母さんの返事をする声くらいは届いてしまいそうだから。
「はやいなー……」
すっかり慣れた飛行技術は、本当に進歩したな自分でも思う。
魂の姿で一生懸命に体を拗らせていた頃から、効率よく素早く飛べている。「飛ぶのって楽そうだよなぁ」とか「実際辛いでしょ」とか、飛行について議論が交わされることもあるが、個人的には使いこなせたらとても便利だと思う。
空を飛ぶというのは、人間が最も実現できそうで最も羨むことだと勝手に思っている。実際、よく遅刻をするクラスメイトとかは「空飛べたらなー」と、愚痴っている。
そう、飛ぶということは便利だ。病院のひとつくらい、瞬く間に見つかってしまうのだ。
「本城病院、か」
白い建物に浮き出ていた文字は、生きていた頃も良く聞いた言葉だ。ここら辺に住む人たちはみんな、大体の怪我や病気をここで受診、治療していく。
ぼくもインフルエンザが感染した時は、ここにお世話になった。
案内表示板を見る限り、手術室や長期入院用の個室的なものはあるようだった。かなり期待値は高い。
「お邪魔しまーす」
生き物に姿を見られないのをいいことに、ぼくは律儀に表玄関から病院に入っていった。
ここにぼくがいるとしたら、入院表のようなものがあるはずだ。だが、ど素人のぼくはその在りかが全くわからない。下手に事を起こすより地道に調査をする方が性に合っている気がして、ぼくはそれを無視した。
無意識に廊下を歩く人たちを避けながら、ぼくが横たわっている部屋を探し回った。
さっきの看板の内容を、ぼくはおぼろげに覚えていた。確か入院用の個室階層は、3階か4階くらいだったはず。
「階段は……あっちか」
ぼくは素早く階段へ向かい、一気に上へと上がった。
3階に来て、一気に静寂が訪れた。入院しているのだから当然、ということなのだろう。
白く厚い個室の壁を、ひとつひとつ名前のプレートを見てぼくは部屋を調べていった。
ゲシュタルト崩壊しそうなほど名前を見て、3階には目的のものが存在しないと把握し、4階へ向かうことにした。
それから周りの雰囲気に合わせて、ずっと無言で調べていった。その結果。たどり着いた部屋は、4階の奥にある角部屋だった。
部屋を覗いた瞬間、鳥肌がぞわっと立った。体のあちこちを震わせながら、そろそろと病室の奥へ進んだ。
足音もなにも鳴らない空間。肩の力が急に入ったり緩んだりして、緊張度が増していく。
自分の体と心と葛藤しながら、ベッドの前に着いた。そこには真っさらな天井に顔を向ける、ぼくがいた。
あれから何日も経っているはずなのに、まだ意識はないようだ。
何度もなんども息を飲む。ぼくの肉体は、悲惨な状態だった。顔は見える。体は……包帯だらけ、だった。
「これが……今のぼく」
お読みいただきありがとうございます。
ついに肉体の自分と対面しました。これからの不思議な展開にご期待ください。




