■第一章■
「人間も昔は空を飛べたんだよ。」
「・・・・・は?」
春の昼下がり。教室の一番後ろの席で、窓から美を乗り出している美影弥羽を視界に入れつつ、校庭で中学生にもなって鬼ごっこをしているクラスメイトの姿をぼんやりと見ていた。そんなとき、ふと弥羽がぽつりと呟いた。彼女の呟きは唐突だった上に、太陽の光と程よい室温に丁度うとうとしていた俺は、生返事をしてしまった。
「ちょっと、聞いてる?」
「今、のは聞いてる。で、何だって?」
「だから、ちゃんと人の話を聞いててよ。」
頬をぷくっと膨らませて、昔からかわらない弥羽の怒った顔が俺の視界に映った。
「悪かったな、」
一応いつものように謝ると、弥羽はまた窓の外へと、窓の外の青い、透き通ったような空へと、視線を投げた。
「人間も空を飛べる。」
彼女は視線を外へ固定したまま、そう言った。そんな彼女の表情は、心なしかいつもより明るかった。まるで、今まで探してきた大きな希望をたった今、見つけたかのように。
それでも俺は意地悪だから、そんな彼女に常識的考えを諭すように呟くのだ。
「現に飛行機とかで」
「そんなんじゃない。」
めずらしく断固として意見を譲らない弥羽。
「え?」
「そんなんじゃない。人間にも、翼はあるんだよ。」
そう言って振り向いた弥羽は俺に向かって笑顔を見せた。その笑顔は直視するとまぶしくて目を顰めてしまいそうな太陽のようだった。弥羽は、輝いて見えた。・・・そんなもの、俺の幻覚にすぎないけれど、俺にはそう、見えた。
「見えないけど、ここにね。ちゃんと、翼はあるよ。」
そう言って彼女は肩の後ろらへんを指した。弥羽の指の数センチ先、まだ厚い冬服セーラーからでも突き出ているのがわかる。弥羽は肩甲骨を指し示していた。
「もしかして、翼には見える?この翼が。」
弥羽は、両手を広げ、羽ばたく仕草を真似して見せた。一瞬、ほんの一瞬だけ、弥羽の翼が見えた気がした。とても綺麗で、でも儚くて。でも、俺は意地悪だから、それを認めたくなくて、言った。
「・・・悪いが、見えないな。」
精一杯の強がりを。
「・・・そう、翼となら、飛べると思ったのにな。」
弥羽の顔から、笑顔が消えた。俺は今更自分で言ったことを後悔した。
「・・・でも、弥羽となら、俺も飛べるかもな。」
「本当?」
たちまち弥羽の顔に光が戻る。まったく真直ぐで素直で表情がころころ変わるヤツだ。
「あぁ、そう思う。」
弥羽は俺の言葉にさらに笑顔で顔をゆがませた。
「ありがとう、翼。大好き!」
・・・まったく、恥ずかしいことを直球で言ってくるヤツだな・・・。なんて思いながら、窓の外にまた視線をそらそうとすると、
「うっわ、昼間っからラブラブだよ。」
「はいはい、ごっそさん。」
タイミング悪く、鬼ごっこを終えたクラスメイト達が、ぞろぞろと教室に帰ってきた。そしていつもの冷やかしを始める。
「はぁ。・・・やれやれ。」
しかたなく、それだけ呟いておいた。このときの俺の表情が、苦笑めいていたことは言うまでも、ない。
はじめましてこんにちは。
「鏡花水月第一章 鏡花水月-春- 飛べた彼女―――飛べない自分1」を読んでいただき、ありがとうございました。作者の春雨まひろといいます。
鏡花水月は今から二年ほど前に短編で書いていたのですが、改めてシリーズ化してみようという試みで書いております。
この「第一章 鏡花水月-春- 飛べた彼女―――飛べない自分」が終了したら、第二章で以前に短編として完結させていたモノを書き直していきたいと思っております。
09/01/10 加筆。