第三話 仲間
「…………で、だ。ルルー」
「何? イザヤ」
喫茶店に入り無事に窓際の席を確保、注文まで済ませて落ち着くと、改まった調子でイザヤが言った。
店内は、無垢の木の床やテーブル、天井の梁が見える造りなど、ログハウスのような雰囲気だった。テーブルクロスなどは赤と白のチェック柄で統一されており、ふさふさした小動物を肩に乗せた少女でも出てきそうな雰囲気である。……もっとも、私はログハウスを見たことがあるわけではないが。
客は少なく、私たちの他には老夫婦が一組いるだけだ。
まあ要するにとても落ち着いた雰囲気の店内なのだが、イザヤにとっては割合どうでもいいことだったらしい。雰囲気を壊すことに一分の躊躇いも見せずに、私を怒鳴りつけた。
「なんでそうお前は不用心なんだ!? この、どこの馬の骨かも分からん緑色男に、なんでそうペラペラと身分を明かすんだ馬鹿野郎!! 暗殺されたらどうすんだ!」
「ひぃっ……!」
突然「どこの馬の骨かも分からん緑色男」と名指しされ、縮こまるシグマ。私はイザヤの過保護な説教など幼少期から飽きるほど聞いているので、特に今更剣幕に怯むこともない。
「えー。だってイザヤ、この人信用出来そうよ? なんかいい人っぽい雰囲気だし」
「雰囲気⁉ 雰囲気ってお前……頼むからもうちょっと自分の身分を自覚してくれ‼」
「身分って言うけどさぁ……王位継ぎたくないって前から言ってるじゃない……」
イザヤと、軽く睨み合う。そのまま一分くらいの時が過ぎた頃、沈黙に耐えかねたのかシグマがおずおずと声を発した。
「あ、あのぅ……」
「何だ」
イザヤは変わらず素っ気ない。
「とりあえず、僕は姫様たちの敵なんかじゃありませんよ? 寧ろ、尊敬してるくらいです。ですから……良ければ、事情を話してはくれませんか? 姫様ともあろうご身分の方が宮廷を慌てて飛び出してくるなんて、よっぽどのことがあったのでしょう?」
私とイザヤは、咄嗟に目配せをし合う。互いに、互いの視線が言わんとすることは分かっていた――この青年をどこまで信じたものか、信じたとしてどこまで話したものか――そして何より、意図的に避けてきた話題をここでするのか。
だが、こういう事を判断するのはイザヤの役目だ。私が好き勝手話すとまた怒られてしまうし、イザヤの方が的確な判断が出来るのは悔しいけど事実なのだから。貴方が決めて、と目で訴えると、流石は幼馴染なだけあって通じたらしい、イザヤは軽く頷いた。
「……分かった。お前のことを完全に信用する訳じゃないが――ある程度までは話してやる。但し条件付きだ」
「条件……ですか。他言無用ということなら言われずとも言いふらすような真似はしないですが」
「違う、それは寧ろ前提条件だ。……いいか? さっきルルーも言ったが俺たちは文無しだ。ということは必然的に、食事と寝床も確保できない、ってことになる。まあ差し当たっては今晩の飯と宿だな」
「ははあ、分かりましたよ。宿代を出せっていうんでしょう」
「惜しいな。現金を使わせるのは罪悪感があるんだ。宮廷勤めの性分でな。国民の税金で生活してた身分だから、それ以上を受け取るのは気が引ける」
「そういうもんなんですねぇ」
「ああ。だから今晩……お前の家に、泊めて欲しい」
なるほど、イザヤらしいやり口だった。
彼は昔からこうなのだ。足りないものはちゃっかり確保する割には変なところに律儀で、最低限必要な分以上は手に入れようとしない。
「なるほど。その方が僕も助かります。吟遊詩人なんてそう稼ぎの多い職でもないですしね。――いいでしょう。その話、乗りました。事情を話してください」
シグマは例の笑みを浮かべ、イザヤに話をするよう促す。
イザヤは頷き、話を始めた。――どこまで話す気でいるのだろうか。
「俺たちは女王様の命を受けて、堕天使討伐の旅に出たところなんだ。堕天使って、分かるか? 『デザルテ』の元凶のあいつ」
「ええ、分かります」
「そうか。……だがな、女王様がなかなかせっかちなお方でな。俺たちに堕天使討伐させることを今日決めて今日出発させやがった。しかも討伐するまで帰ってくるな、ときたもんだ。仕方ないからそのまま出てきたんだが……ルルーはこんな格好だし、俺も最低限の装備しか持って来られてない。無茶振りが好きな方だよ、全く」
「はあ……じゃあ結局、女王様の無茶振りによって文無しなんですね、姫様たちは」
「そういうことだ」
シグマは呆れたような、何とも言えない表情でため息をつく。だがすぐに例の笑顔に戻り、私たちに向かって言った。
「僕は女王様のそういうところも好感が持てますけどね――なんだかそういうのって素敵じゃないですか。可愛い子には旅をさせよ、みたいなかんじで」
私とイザヤは思わず顔を見合わせる。違う、あの人の無茶振りはそんな愛情に溢れたものじゃない。基本的にあの人は退屈なのだ。――もっとも、全能と言われる血を引く王族ならば、大抵のことは退屈だろうけれど。
イザヤも同じことを感じたのだろう。シグマに向かって異議を唱えにかかる――が。
「おい、お前……女王様は別に――」
「僕も、混ぜて下さいよ」
「……………………、は?」
そんな彼の抗議を、にこやかに遮るシグマ。イザヤはぽかんと口を開けて、全身緑の得体の知れない青年を凝視する。その時のアホ面加減といったら、日光写真に収めて末代までバカにしてやりたいくらいの間抜けな表情だったのだが――きっと、私も似たような表情をしていたに違いない。それに何より、そもそも私は魔術を使う訓練をしていないので日光写真が撮れなかった。残念だ。
「はぁ? お前……正気か? そんな軽く言うけど……自分が何言ってるか分かってんのか?」
「分かってますよぅ。僕を何だと思ってるんですか」
当のシグマといえば、例の陽だまりの猫みたいな笑みのままむくれてみせる、という器用な芸当をやってのけている。笑顔でむくれるとはこれ如何に、と全力で突っ込みたいところだが……問題は、そこじゃない。
「いや、お前なぁ……そんなこと言われて、ハイそうですかって仲間にする奴があると思うか? ただでさえ身分がバレてるってのに、一緒に旅するだなんて……いつ寝首を掻かれるか分かったもんじゃない」
「酷いなぁ。僕は本気で女王様と姫様を尊敬してるのに。……どうすれば信じてくれるんです?」
「どうすれば? そうだな、例えば……旅の資金を全額提供とか?」
「いいですよ」
「え」
思いもよらず快諾され、フリーズするイザヤ。金銭は受け取らない主義の彼のことだ、拒否される前提で言ったのは容易に想像がつく……まあ、当然といえば当然だが。誰が、いつ終わるかも分からない旅の資金全額の提供を快諾されると思うだろう。
「い、いや、だってお前……吟遊詩人は稼ぎ多くないってさっき……」
「少ないなりに貯蓄はありますよ。それに、もし姫様たち含めて誰も堕天使アルマを討伐出来なかったとしたら? どうせ僕らは死ぬしかないじゃないですか。だったら旅は道連れ世は情け、共に破産して共に闘った方がいいと思いませんか? 少なくとも僕は、断然そっちの方がいい」
「………………」
イザヤは、顔をしかめて考え込む。いつも思うが、イザヤは何かと物事を深刻に考えすぎじゃないだろうか? 裏切りや暗殺なんて、少なくとも私は本の中でしか見たことがないし、もし仮に裏切られたって、イザヤ程の魔術師ならばどうにでも出来る筈なのだから。
私があんなに悩んだのは厨房からくすねるデザートをパイとカップケーキのどちらにするか迷った時くらいだ、イザヤは生きづらそうだな――と、そんな、楽天家にも程があるようなことを考えながら、私は口を開いた。
「ねぇ、イザヤ……さっきも言ったけど、その人は信じられるんじゃない? とてもじゃないけれど悪い人には見えないでしょう? 現に今だって、喫茶店代を奢ってくれているし。それにイザヤ、貴方の主義を貫き通すと――堕天使討伐より先に、私たち飢え死にするわ」
言い切った私の表情を見て、「んなことは分かってんだよ……」とこめかみを押さえるイザヤ。はぁぁぁぁぁぁ、と長い長いため息を吐き出すと――彼は、言った。
「…………分かった。完全にじゃないが……仮に、信じてやる。仮にだ。だから――頼むぞ」
あくまで警戒を解かないイザヤの物言いに、しかし、シグマは、いつも細めている目を更に嬉しそうに細め――
「ええ、今はそれで充分です。よろしくお願いしますね、姫様、イザヤ」
そう言い、右手を差し出してきたのだった。