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くちひげのファントム  作者: 衣住河治
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第7章 筑波クオリファイ・ヒート3

「ヒビキちゃん、本当に石下駅まででいいの?」「うん。大丈夫だよ。」

 斉藤の問い掛けに車の助手席でコンパクトを見たままヒビキは答えた。マクサスにインタビューの中止を伝えヒビキと合流した斉藤は、約束通り駅へと車を走らせていた。サーキット周辺のセンターラインの無い生活道路を通り抜け片側1車線の県道を石下駅へと向かう。石下駅は筑波サーキットの最寄り駅の一つだ。もう少し近い駅もあるが快速が停車するので他の駅よりは利便性は高い。とは言え非電化路線のいわゆる田舎の無人駅で一日の列車の本数も寂しい限りではあるが。

 「時間はかかるけれど取手駅まででも僕はかまわないけど。」ここから距離はあるが比較的大きな駅の取手駅まで出れば都内に戻るのには便利だ。斉藤自身は筑波の方に今夜の宿を取っているので遠回りになりはするが。

 「えっと、後藤さんに迷惑かけちゃいけないし。」彼女らしからぬセリフ。だが。「ヒビキちゃん、僕は斉藤ね。」「ごめなさーい。」舌を出すヒビキ。覚える気がハナからないんだろうなと斉藤は思った。いいけどさ。ところで、

 「ヒビキちゃん、列車の時間大丈夫なの?」「そこに、」前を向いたまま左手で助手席のグローブボックスを開ける。タバコやコンビニのレジ袋と一緒に今年度版のポケット時刻表が転がっていた。「時刻表あるから。」「確認したら?時間。」今であればスマホアプリで一発検索であるがこの時代は時刻表とにらめっこしなければいけない。まさか時刻表の見方はわかるよなと、内心危惧する斉藤。

 「大丈夫!ほら。」そう言ってバックの中からピンクの手帳を出して見せるヒビキ。「メモしてあるの、時刻表。」彼女にしては準備が良い。

 「うーんとね、今が4時20分でしょ。」手帳と腕時計を見比べながら、「21分に1本。4時にはもう電車ないよ。」いや電車じゃないけど。じゃなくて!「あと1分なんて間に合わないでしょ!ここから駅まではまだ10分位かかるよ?」石下駅の駅前は酷く寂しかった記憶がある。確かタクシー乗り場はあったな。

 「タクシー乗り場はあったと思うけど、タクシー代ある?」無ければ少しなら貸すよという斉藤を制して「大丈夫じゃないかな電車。」続けて自信たっぷりにヒビキは言った。「守護霊様がそう言ってるし。」うわ、それかよ。斉藤は思わず天を仰ぐ。もう日は落ちかけている。1時間あまり女の子一人無人駅で待つなんて。仕方無い。

 「ヒビキちゃん。こんなオジサンとドライブするのは嫌だろうけどさ、もう少し都内よりに、」斉藤の言葉をヒビキが遮る。「いとーさん、もちょっと速く。」え?オレのこと?

 「もう少し急がないとダメかも。ほら、あそこ左でしょ?」ヒビキが指差す。確かに石下駅の入り口はその先の交差点を曲がる必要があった。左に車を寄せる斉藤。「ほらほら、電車行っちゃう。」言いながら斉藤の肩を叩く。わかった、わかったから叩くのは止めなさいと言いながら、やや車のスピードを上げる。もう列車の時刻はとうに過ぎていると思うのだけれど。

 交差点を左折すると道の突き当たりに駅らしきものが見える。こぢんまりとした木造の地上駅だ。予想通り近づいてもホームに列車の姿はない。斉藤は駅前ロータリーと言うには殺風景過ぎる広場を通り駅舎前に車を停めた。

 「ヒビキちゃん、もう列車は出ちゃってるでしょ。」荷物をまとめ駅舎へと駆け出すヒビキに声をかける斉藤。が、その時踏切の警報器の音が微かに聞こえることに気づく。確かにこの駅の下り側に踏み切りがあった気がする。列車が来てるのか?

 駅の入り口でヒビキが振り返る。「ね?間に合ったでしょ?」にっこりと笑うときびすを返し構内の自動券売機で素早く切符を買い「斉藤さん。送ってくれてどうもアリガト。」またね、と手を振ってヒビキは駅員のいない改札の中へ消えた。その姿を呆然と見送っていた斉藤は慌てて腕時計を確認する。愛用のGショックの表示は4時31分を表示していた。「マジかよ。」頭をかく斉藤。駅舎からは列車の発車ベルが聞こえる。10分近く遅れた列車は何事も無かったかのように東京方面へとゆっくり走り出した。



 那緒都はヘッドライトに浮かび上がった植え込みとの距離を測りながらゆっくり車を停めた。軽トラックの重みでタイヤの下の砂利が微かに軋む。サイドブレーキを引きエンジンを止めると辺りは一瞬にして静寂と闇が満ちる。辛うじて道路脇に設置された街灯からの光が微かに車に影を作る。目が慣れてくると隣に停まっているワンボックスの扉が開きケイスケ、やな、ぐっさん、関、それに今回臨時で来て貰ったメカニック2名が荷物をもって降りるのが見えた。

 「はいはい、他のお客さんもいるから静かにねー。」ワンボックスの助手席から降り立った麗子が口にする。マクサスのクルーはサーキットを離れ本日の宿泊先「元十字(もとじゅうじ)旅館」に来ていた。筑波での数年来のチームの定宿だ。ややサーキットから離れているがそのおかげでレースウィークでも比較的空いている。とは言え駐車場に別の車があるので流石に貸し切りではないようだが。

 「いよう、レイちゃん。」旅館から年配の男が一人駐車場まで出てきて声をかけた。旅館の名前が入った法被を着ているので関係者であることは間違いない。寂しくなった頭頂部をなでつけ満面の笑みを浮かべながら麗子に近づく。「今年も始まったね。調子はどうだい?」「ゲンさん。お元気そうで。」滅多に見ることのできない麗子の柔らかい微笑みがその男との親しさを表していた。

 「今年はちょっと厳しいですけど、またよろしくお願いします。」おおよと返事をしてゲンさんと呼ばれた男は麗子の荷物を奪うように受け取ると旅館へと歩き出す。

 「なんだよ、じーさんまだくたばってなかったのかよ。」背後から声をかけたのは佐田だった。その言葉とは裏腹に満面の笑みが浮かんでいる。

 「ぬかせ!お前と大差ないだろうが!」ニヤニヤしながら楽しそうにゲンが言い返す。「お前が元気なんだから、アイツも元気なんだろうな?」「今年もこねぇのか。」最後の言葉は少し寂しげな響きがあった。

 「ああ、社長は元気に車を売りまくってるよ。」じいさんと違って忙しいんだよと言いながら佐田が麗子の荷物をゲンから取り上げ歩き出そうとする。それを遮り荷物を取り返そうとするゲン。それはまるで二匹の子犬がじゃれ合うかの様だった。さながら傍らで困ったような少し楽しそうな顔をしている麗子が飼い主だろうか。

 「大丈夫なんすか、あれ。」先程から蚊帳の外で状況がつかめていない顔の関が那緒都に問い掛けた。「ああ、関はまだ知らなかったっけ?」自分の荷物と由香里の荷物をトラックの荷台から下ろしながら那緒都は言った。「あの二人は古くからの知り合いなんだと。」「いつもの挨拶みたいなものね。」由香里が横から口をはさむ。

 「うちの社長と佐田さんと、あそこのゲンさん。昔やってたモトクロス仲間らしい。」「え?二輪のレースやってたんすか?社長と佐田さん。」目を丸くする関。「社長とゲンさんはライダーとして結構有名だったらしいぞ。」詳しくは知らないけれどと那緒都。

 「ゲンさんこと元原(もとはら)さんはここのオーナーさん。」由香里が付け足す。「因みに、モトクロスだから元十字旅館ね。」ああ、なるほどダジャレかぁと関。

 「麗子さんも子供の頃やってたらしいんだけどな。」ぽつりと那緒都がもらす。「えぇ!モトクロスをですか?」「あまり話したがらないけどな麗子さん。佐田さんも。」那緒都の肩にかけたバックのベルトが乾いた音を立てる。もうこの話はおしまいと言うように砂利の敷き詰めたられた駐車場を大きな歩幅で歩き出す那緒都。慌てて関と由香里も続く。

 由香里は麗子や佐田が話したがらない理由に少しだけ心当たりがあった。麗子が早足になるとちょっとだけ足を引きずること、そして社長である父親の前では決して早足で歩こうとはしないこと。そしてそのことは恐らく那緒都も気づいていると由香里は確信していた。

 旅館の受付を済ませてそれぞれ部屋へ向かう。女性陣の部屋は3年前に建て替えた新館側、男性陣は旧館側に二部屋。男性陣は女将の計らいで優先的に大部屋を一部屋割り当てて貰っていた。

 「じゃあ麗子さん、由香里。朝食堂で。」那緒都が由香里に荷物を渡して旧館への廊下を歩き出す。他のクルーは既に部屋へ向かっていた。廊下の先から佐田とゲンの笑い声が微かに聞こえる。

 「ちょっと那緒都君、相談があるの。」麗子が部屋に向かおうとする那緒都を呼び止めた。ロビーの片隅にあるソファーから手招きをする。傍らには荷物を持ったままの由香里がちょこんと腰掛けている。

 麗子にちょっとだけ待って貰いこの旅館になじみのない関にフロア案内図で部屋の位置を教える那緒都。建て増しを続けた旅館は少々構造が入り組んでいるが大部屋はたやすく見つかるだろう。それにしても何の話だ? いぶかしがりながら那緒都は荷物をソファー脇に置いて由香里の隣に腰掛けた。由香里も表情から察するになんの話かは知らないようだ。

 麗子がテーブル上に体をのりだし二人に近づくように手招きをして声を殺して呟く。「今日の取材。あの記者あれで納得したと思う?」ああ、その話か。「それはないと思う。」即答する那緒都。「だよね~」苦笑いする麗子。

 「麗子さんの怒鳴り声は外でも良く聞こえてたし。」怒鳴ってなんかないわよという声を無視して那緒都は続ける。「何かチームクルーとトラブルがあってそれを隠そうとした。とは思ったんじゃないかな。」「そうよねぇ~」あーもう。髪をくしゃくしゃと掻き上げる麗子。

 「えー?」由香里が不満の声を上げる。「嬉しそうにお菓子持って帰ったわよ、あの人。」いや由香里、それはいいから。

 「まぁでも、ウチの様な弱小チーム、ニュースバリューなんてないっしょ。」大丈夫ですよと那緒都は言った。実際カールなんてメンバーはいない訳だし。そうだ。

 「カールさん、大丈夫ですかね?」例の御守りはサーキットの車の中に置いてきていた。由香里はカールさんも来たがっていると言ったが、麗子の猛反対で却下となった。万が一でも姿が見られて変な噂がたったら旅館に大変な迷惑がかかる。確かにそれはその通りで那緒都には依存はなかった。

 「大丈夫じゃない?あの人はサーキットが住処みたいなものだろうし。」なんて言うの?地縛霊ってやつかしらと麗子。サーキットを彷徨い続ける幽霊。今はキャップが依り代になっているみたいだけれど。2年もの間サーキットに縛り付けられてただレースの様子を見ていた魂。うちのチームが優勝すればカールさんの魂は浄化されるのだろうか?那緒都の顔に不安がよぎる。

 ポンポン。「だいじょーぶ。」那緒都の頭を由香里が優しくたたく。「カールさん事情を説明したら納得してくれたよ?」メガネの奥の瞳が微笑む。「それにいざとなれば、ひいおばあちゃん譲りの巫女の力でなだめるから。」「いや、ひいひいおばあちゃんかな?えっと、おばあちゃんのお母さんのお母さんだから。」指を降り数え始める由香里。何処まで本気なんだこいつ。でも一番危険な事をやっているのは由香里なんだよな。俺に出来ることはあるだろうか? 那緒都の手が由香里の結んだ髪に優しく触れる。ヘルメットに挟まれた跡が少し痛々しい。「その時は俺にも何か手伝わせてくれよ。」二人の目が合う。由香里のほおに少し赤みがさしたように見えるのはロビーの照明のせいだろうか。と、咳き込む声。麗子の視線に気づいて慌てて手を放す那緒都。「いーい雰囲気の所、大変申し訳ございませんが。」麗子がもったいを付けて言う。「そいうのはレースが終わった後にしてくれない?」言いながら立ち上がり大きくのびをする。「ま、なんにせよ。結果よね。」「残さなきゃねぇ、レースで。」最後のセリフには実感がこもっていた。

 「よし。」言うなり麗子が由香里の腕をとる。「お風呂行こう!」「ドライバーには明日の予選に備えてもらわないと。」由香里を引きずるようにして部屋に向かう麗子。残された那緒都もバッグを手に持ち部屋に向かう。廊下の脇の窓から月の光が差し込んでいる。明日の予選は晴れそうだ。タイヤの選択についてあれこれ思い巡らす那緒都であった。


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