礼儀正しい男(2024年編集)
~ 警視庁 捜査一課 ~
再捜査の決定から、一夜が明け、捜査一課では、早朝から、緊急会議が行われている。
「…以上が、昨夜の決定事項だ。現在判明しているのは、佐伯頼宗と神崎俊夫が、生前、加害者側で、恨まれていた、と言うことだ。自殺を図ったことで、所轄署の判断で、捜査が打ち切られたが、捜査余地を残すと判断し、捜査をやり直す。私と山さんで、佐伯頼宗の背後関係を洗う間、田島と日下は、神崎俊夫のアパート、関係先を当たってくれ」
「分かりました。…あの、警部」
「どうした?」
「所轄警察署は、どの程度、背後関係を、洗っていたんでしょうか?捜査情報があれば、助かるのですが…」
「板橋警察署のことだ。せいぜい、関係者、アパート付近の住民から、聞き込みをした程度だろう。日下、聞き込みする時は、どんな些細なことも、見過ごすな。自殺現場、住居、関係先には、必ず、何かヒントが残されている。頼んだぞ」
「はい、頑張ります」
「他の者は、配布したリスト者が、佐伯頼宗や神崎俊夫のように、生前、加害者であった事例がなかったか、全所轄警察署と、協力して、事実確認を取ってくれ。それと、自殺と断定した、現場検証の記録、自殺する直前の行動、自殺に結びついた要因を、整理して、データ分析してくれ。自殺を装った、他殺事案が、出て来るかもしれない」
捜査員が、散っていく。
~ 東京都港区 大日本帝国印刷(株) ~
佐久間は、自殺の舞台となった勤務先で、事実確認から、洗い直すことにした。
今までの捜査記録は、参考程度とし、一から、捜査をするつもりである。
東京都港区芝二丁目に位置する、大日本帝国印刷(株)は、都営三田線の、芝公園駅で下車すると、徒歩で五分圏内の、利便性に富んだところだ。
周辺には、東京タワーをはじめ、多くの観光客も集うが、神保町や大手町と並ぶ、オフィス街でもある。
現着した佐久間は、まず、十三階のビルを見上げ、状況を確認した。
「山さん。あの高さから、飛び降りたのだから、即死だったのだろうね。愛宕警察署の話では、解雇を知った直後に、衝動的に、飛び降りたんだったね?」
「そうでしたね。確か、債権者が、社長に押しかけたとか。詳しく事情を、聞いてみるしかなさそうです」
「では、早速、その社長から、事情を聞こう」
二人は、受付で、警察手帳を提示すると、十五分後に、社長室に通された。
(受付嬢は、すぐに会えます、言っていた。時間を空けたのには、何か意図が、あるのだろうか?)
「どうも、社長の高梨です」
「警視庁捜査一課の佐久間と山川です。初動捜査で、事情を聞かれたと思いますが、もう一度、お付き合いください」
(………)
高梨は、二人を、応接席に案内するが、表情は険しく、非協力的な空気を、醸し出している。あからさまに、何か、不満を言いたげだ。
(…なるほどな。何か、愛宕警察署が、下手を打ったな)
「ええ、聞かれましたよ、それも、タップリとね。確かに、佐伯頼宗は、飛び降りる直前まで、社長室に居ました。私に罵倒され、泣きべそかいて、出て行ったんです。この間、愛宕警察署は、私が、『佐伯を、自殺に追い込んだ張本人ではないか?』と、不審者を見るような、態度で根掘り葉掘り、聞いてきたんですよ。…佐伯は、死んで、当然の人間だ。これだけ、社の評価を下げたんだから。警視庁は、また、儂を、詰りに来たんだろう?」
(………)
佐久間は、敢えて、間を取った。
「高梨さん、警視庁は、あなたが、佐伯に行った行為を、確認するために、来たのではありません。愛宕警察署の態度には、さぞ、ご立腹でしょう。私が、後できちんと、お灸を据えます。このとおり、ご容赦ください」
(------!)
予想に反し、深々と頭を下げる、佐久間の態度に、高梨は、戸惑った。
「警視庁は、儂を、責めんのか?」
「責める?それは、ありません。自殺の要因の一つだったかも、知れませんが、それは、雇用する側と、雇用される側の問題であり、警察組織が、介入することはありません。高梨さんが、死ねと命じない限りは、ですが」
(この男、毛色が違うな)
「佐久間さんと、仰いましたな。…何を聞きたい?」
高梨は、佐久間の言葉を待った。
「警視庁が、知りたいのは、会社での、佐伯の評価と、解雇に至った経緯です。許容範囲で、結構ですが、債権者の取り立てがあった、と耳にしていますので、その部分は、教えて頂きたい」
「そんなことなら、幾らでも、回答しますよ。佐伯は、どうやったか知らんが、闇金に手を出して、連帯保証人に、高梨の名前を、使用していたんだ。だから、解雇した。それだけのことです」
「闇金の連帯保証人に?……おかしいですね。その口ぶりから、察するに、高梨さんは、当然、知らぬ存ぜぬ、だったはずです。もしかして、社長室に、取り立て屋が、来たのですか?」
高梨は、頷いた。
「ええ、とても、紳士な奴がね。きちんと受付を通して、礼儀正しい、所作で。確か、田所くん、…だったかな。静かな物腰で、佐伯との契約書を、提示してきましたよ」
山川は、メモを取っていく。
「年恰好は、どんな感じでしたか?」
「年齢は、…そうだな、四十代半ば、といったところでしょうか。身長は、百七十センチくらいで、中肉中背です。何より、インテリっぽいというか、賢そうな男でした」
「ほう、何故、そう感じましたか?」
「田所は、決して、私を脅さない。録音機を想定したのか、強請るなどの言葉は使わず、ただ、連帯保証人の氏名と、押印を提示してきました。佐伯頼宗に、支払い能力がなければ、雇い主が、責任を持つべきだと主張した。しかも、裁判は辞さないが、裁判にかける費用と、時間、労力が惜しいから、社員を良く教育して欲しいと、当社のことを気に掛けて、立ち去った」
(………)
「なるほど、それは、相当に、頭が切れますな」
山川は、首を傾げる。
「警部、どういうことですか?」
「田所は、本気で、金を取り戻すことが、目的では無かった気がする。社員教育を促し、居座らず、あっさり、退散したんだからね。債権者っていうのは、債務者に対して、請求する権利を有する。本気なら、複数で押し寄せて、金を支払うまで、居座ることだって、出来る。高梨さん、田所は、書類の『大事な部分だけ』提示して、高梨さんには、触れさせなかった。違いますか?」
「ええ、良く、分かりますね。『裁判になった場合の、貴重な証拠だから、提示するだけ』と、言っていましたね」
(…なるほどね)
「高梨さん、事情は良く、分かりました。田所は、社員教育を促すことで、佐伯頼宗が、自発的に解雇されるよう、仕向けたのだと。そして、高梨さんは、その思惑通りに、佐伯を解雇した。それだけです」
(………?)
「では、佐伯は、借金など、していなかったと?」
「それは、今後の捜査次第ですが、高梨さんに、非は及ばないでしょう」
「そうですか!疑われないなら、結構です」
(………)
山川は、佐久間に、小声で尋ねた。
「警部、あれは、聞かなくて、宜しいのですか?」
(------!)
高梨は、不思議そうに、首を傾げた。
「どうしましたか、あれとは?」
「いいえ、何でもありません。ところで、佐伯頼宗が所属していた部署を、見させて頂きたい。何度も、お邪魔して、ご迷惑を掛ける訳にもいきません。今日で、終わりにしたい」
(………)
「本当に、配慮ある、刑事さんですな。どこかで見かけたなと、思い出してたんだが、以前、テレビ会見で、見た刑事さんでしたな。直ぐに、案内しましょう」
高梨は、すっかり、佐久間を気に入ったようだ。率先して、営業三課に案内する。
佐久間は、案内される途中、山川に、質問を遮った理由を、小声で説明した。
「山さん、平尾交番で、谷口文子という女性社員が、セクハラ相談をした記録は、読んだ。でも、谷口文子は、相談内容を、会社には、知られたくないはずだ。だから、社長の耳に、入らないように、話を切ったのだよ」
「…そうでしたか、すみません。警部の配慮に、気が付けませんでした」
「分かってくれれば、良いさ。それよりも、谷口文子を探してみよう。我々が、刑事だと知れば、自然と、目を逸らすか、下を向くはずだ。挙動に、不審な点がなく、話掛けても、向こうから接触してきたら、潔白だ。目を逸らすようなら、何らかの事情を知っている、と考えようじゃないか」
「…了解」
高梨が、営業三課に入ると、両手を叩き、社員に声を掛けた。
「あー、皆さん、お疲れ様。実は、佐伯くんの件で、刑事さんが来られています。できる限り、協力を頼みます。隠し事は、無しで、お願いしたい。では、佐久間警部。あとは、よろしく」
「助かります」
高梨の性分なのだろう。自分に飛び火しないと、分かったのか、早々に、引き上げて行った。
後任の営業三課長が、遺留品を提示する。
「ご家族は、まだ引き取りには、来られないんですか?」
「それが、亡くなる前に、奥さんは、家を出たみたいなんです。離婚の有無は、聞いていませんが、いくら説得しても、『私は、もう関係ない。佐伯の荷物は、勝手に処分してくれ』の一点張りで。当社としても、扱いに、困ってしまって。私物も、含まれているので、破棄して良いものかと」
山川は、私物の中身を、1つずつ、確認すると、
「それなら、警視庁捜査一課宛に、郵送ください。捜査一課で、保管しますよ」
「本当ですか、助かります」
「では、荷物は、解決ですね。念のため、佐伯頼宗さんのご住所と、奥さまの連絡先を、伺いたいんですが?」
「勿論です、総務課に確認しますので、少々、お待ちください」
「助かります。私たちは、このまま、お待ちしています」
佐久間は、笑みを絶やさず、静かに、注意深く、営業三課内を見回した。殆どの人間が、仕事をしながらも、佐久間たちの動向を見ている。
ほんの一瞬、佐久間と目が合い、視線を逸らす女性が、目にとまった。
そのまま、佐久間の視界から、消えるように、静かに、部屋から出て行く。
(……谷口文子だ)