爪痕(2024年編集)
~ 東京都、港区 ~
石川県の査問会議で、船尾教授たちの、身柄を確保した足で、東京都に戻っている。
どこで、犯人が、盗聴器を使用し、監視しているか、分からない為だ。
都営三田線の車内で、佐久間は、小型マイクで、指令を出した。
「そろそろ、御成門駅だ。各自、手筈通り、配置につけ。準備が出来次第、対峙するぞ」
予め、安藤の指示で、待機していた捜査員たちは、指令を受け、集結し始める。
芝公園の、ベンチに座っている者、書店で、立ち読みしている者、増上寺で、参拝している者、喫煙スペースで、タバコを吸っている者、全てが、一斉に動き出した。
~ 一時間前、飛行機の機内 ~
「田所英二の確保は、上手くいきますかね?」
眼下の富士山を見ながら、根本が心配そうに、呟いた。
「なるように、なるさ。今のところ、川上真澄から、何の報告も、来ていないからな。いつも通り、勤務しているよ」
「…僕は、前回、田所と聞いて、怖くて、顔を見る事すら、出来ませんでした。父を嵌めた、犯人かもしれないのに」
(………)
「根本くん。それは、まだ早計だ。主犯格が、田所英二でも、君の父を、嵌めた犯人は、別の者かも、しれないんだ。警察官たる者、先入観で、ものを考え、囚われてはダメだ。目に映るものだけが、真実だと、決めつけてもダメだ。君もいつか、警察官になるのなら、今日の出来事を、よく心に刻んでおけ。どの様な展開になるかは、分からんが、決着は、つくはずだ」
(------!)
「…心に刻むか。目に焼き付けます」
「見ろ、相模湖を通過する。もう少しで、羽田に着くぞ」
「……はい」
「それと、例のあれは、準備出来ているな?」
「はい、こちらの動きが、察知されないように、ファイアウォールを、三重に掛けてあります。不正な通信は、これで、制御出来るので、安心してください」
「良し、十分だ」
~ 再び、東京都 港区 ~
「はい、もう大丈夫ですよ。痛み止めを、出しておきますから、来週の火曜日、もう一度、診せてください」
「医師、最近、動悸も酷いんですが…」
「うーん。レントゲンを見る限り、狭窄はなさそうですが、心配なら、カテーテル検査をしてみますか?絶対安全とは言えませんが、三日程度で、退院出来ますし、今より具体的に、心臓の様子は、分かりますよ。造影剤で、血流を確認して、どこが悪いのか、判別も出来ますし」
「そうですか。なら、予約しても?」
「分かりました。では、今からですと、再来週の火曜日、午前中に入院、水曜日の午後から検査で、木曜日の午前中に、退院です。この流れで、予定を入れておきます。お大事にしてください」
「ほんに、ありがとう。また、来ます」
一連の診察が終わり、今日も、無事に終わった。
(急患もないし、屋上で、一服するか)
健康のため、エレベーターを使用せず、階段で、屋上に上がる。
ちょうど、夕日が、きれいに見えるところだ。
ベンチに腰掛け、夕日を眺めながら、タバコに火をつける。
ビルの隙間風が、何とも心地良い。
「夕日を見ながら、吸うタバコは、格別ですね」
(------!)
西陽に遮られ、顔の影しか見えないが、誰かが、隣に腰掛け、上手そうに、タバコを吸っている。
「藤田医師、しばらくです」
(この声は?)
「佐久間警部ですか!びっくりしましたよ。今日は、どこか具合が悪いところでも?」
佐久間は、微笑する。
「いいえ、野暮用でね。それにしても、きれいな夕日ですな」
(………)
「今日は、朝から、バタバタしましてね、先程、飛行機で、戻ってきたばかりなんです」
「それは、多忙そうですね、どちらに、行かれたのですか?」
「金沢市です、石川県の」
「そうですか、それはまた、随分と、遠くだ」
「ええ、遠かったです。船尾教授たち、五人を逮捕しましたからね」
(------!)
「いやぁ、まさか、あなたが、昔、船尾教授の下で、働いていたなど、夢にも思いませんでした。その点を、詳しく聞きたくてね。……田所英二さん?」
(------!)
(………)
「……どこまで?」
「ん?それは、どこまで調べた?の意味でしょうか?あなたが、船尾教授を、貶める為に、打った方策は、あらかた、立証が出来ました。椎原、唐沢、大門と、被害者の接点、七年前の確執、そして、菊池利浩の元婚約者、『里香さんの兄』である、という点もね」
(------!)
田所英二は、平静を装いながら、二本目のタバコに、火をつける。
「船尾教授と、私の確執は、どのように調べたんですか?そこだけ、腑に落ちませんが?」
「あなたの職歴を、徹底的に洗いました。大学院へ移る時に、船尾教授に見染められ、論文が引き上げられた。博士号を取得したあなたは、講師となり、直ぐに、助教授になる。船尾教授の為に、数々の論文を提供し、順調に、二人三脚で歩んでいった。ところが、遺伝子と毒物の論文が、世界的な評価を、受ける事になると、報道機関が、騒ぎ始めた時に、船尾教授は、一人で研究したと話し、共同研究者のあなたを、排除して、名誉を独占した。そして、この日を境に、二人の間で、大きな溝が生じた」
(………)
「その様子では、大学にも?」
「勿論、行かせて頂きました。船尾教授以外の方からも、当時の話を、伺いました。あなたが、いかに、学会に貢献したかをね」
「…話したのは、池田ですね。全く、人の気持ちも知らないで、ペラペラ、話したんでしょうね」
「あなたに、伺いたい事があります。黙って、我慢さえしていたら、あなたは、教授になれた。学会の世界では、部下の、手柄を横取りして、自分の研究だと、主張する教授は、山程いると、聞いたことがあります。何故、我慢しなかったんですか?」
(………)
「あの研究だけは、世に出しては、ダメなんです。今、巷で、ips細胞が目立っていますが、それに匹敵するくらいの、爆弾なんです。教授には、何度も直訴しました。他の論文なら、喜んで提供するから、これだけは、絶対に発表しないでくれと。…でも、理事会の席しか見ない、船尾教授には、通じませんでした。それどころか、私の事を、疎ましく思った船尾教授は、濡れ衣で、助教授から外し、左遷したんです」
(………)
親身に話を聞く、佐久間の姿に、藤田は、溜息をついた。
「いやぁ、完敗です。話を聞く限り、本当に、詳細に調べたのですね。まさか、ここまで的確に、洗ってみせるとはね。いつから、気付いたのですか?」
「土屋知洋の事件からです。それまでの犯行は、敵ながら完璧すぎて、正直、葛藤しました。復讐サイトの人間は、ここまで、鬼になれるのかと、取り締まる、警察組織が、恐怖を覚える程です。だが、土屋知洋の犯行は、そうではなかった。明らかに、証拠を残してくれましたから。近年、稀に見る、難事件でしたよ。情報提供者も、藤田医師でしたし、私は、遊ばれていたのかも、しれません」
「遊ぶだなんて、とんでもない。完全犯罪を行うと、『ギリギリで気づくかな?』と、わざと爪痕を遺したくなるんです。…でも、それだけで、勘付くなんて、本当に、佐久間警部は、優秀なんですね。それに、佐久間警部は、とても、正直な人だ。犯人の私が、横に座っているのに、あなたは、堂々としていて、友達の様に、接してくれている。そんな、佐久間警部の配慮が、何よりも、救われます」
(………)
「ここまで、来られたのは、自分が優秀だからでは、ありません。菊池に、助けて貰ったからです。この手紙を、藤田医師は、絶対に読まなければならない。これを、どうぞ」
佐久間は、左胸のポケットに、忍ばせておいた手紙を、藤田に渡した。
(手紙?菊池が?)
渡された手紙を、黙って読む、藤田の隣で、佐久間は、二本目のタバコに、火をつけた。
藤田は、手紙を読み終えると、大粒の涙を、流した。
(…自分の事より、私の事を、心配するなんて。お前は、優しすぎるんだよ)
「利浩は、私に、自首をしようと、せがみました。義弟として、面倒も見てきたし、本当の弟のような、情もあった。でも、船尾への、復讐を果たすまでは、自首など出来ない。その事で、口論となりましてね。つい、喧嘩別れしてしまったんです。それが、今生の別れとは、知らずにです」
(喧嘩別れ?)
「菊池を、殺したのでは?」
藤田は、明確に、否定した。
「義弟を殺すなんて、あり得ません。里香の恋人で、可愛い弟ですよ」
「水銀が見つかりましたが、あなたでは、ないんですか?」
(水銀?……だからか)
藤田は、首を横に振った。
「それは、偽物の仕業ですね。似たような手口ですが、神に誓って、私ではない。…今の言葉で、誰の犯行かは、想像がつきましたけど」
(------!)
(そうか、やはり…)
藤田は、姿勢を直した。
「佐久間警部。いつかは、罪を償おうと、覚悟を決めていましたから、全てお話しますが、見ての通り、私は、ヤサ男です。喧嘩も強くない。相手の心理を利用したり、虚を突く事が、得意なだけです。それに、何度も、同じ手段で、犯行の形跡を残す程、愚かではありません」
嘘を言っている、気配はない。
「…確かに、一連の事件と、今回の件は、繋がってはいても、犯行手段が、全く違う」
「自分で言うのも変ですが、その通りです」
「七年前の真相は、明らかになりました。過去の悲劇は、船尾教授たちを裁く事で、解決するでしょう。今更、菊池を、裁きたくないし、このまま、静かに、送ってあげたい。だから、藤田医師には、復讐サイトで、関わった事の、全てを自供して欲しい。…どうか、このとおりだ。純粋に、真相究明に、力を貸して欲しい」
(------!)
形振り構わず、頭を下げる、佐久間の姿勢に、本心からの言葉だと、藤田の、胸の奥が熱くなる。
「頭を上げてください。礼を言うのは、私の方ですよ。予想以上に、あなたは動いてくれ、あの船尾を、裁いてくれた。…もう、十分です。私の気は、晴れました。洗いざらい、全てを、お話します」
「…十六時、五十七分。一連の、殺人教唆容疑で、藤田敬吾、お前を逮捕する」
(………)
藤田は、静かに、両手を差し出す。
佐久間が、手錠を掛けるところで、配置についていた、山川たちも合流した。
「警部、やりましたね!」
「佐久間警部。最後に、もう一服だけ良いですか?」
「構いませんよ。吸いながらで、結構です。これだけは、教えてください。拳銃使用は、藤田医師では、ないですね?」
(………?)
「ええ、僕では、ありませ…」
『バキュ------ン!』
(------!)
(------!)
それが、藤田敬吾の、最期であった。
迎えのビルから、狙撃された弾道は、真っ直ぐ、藤田の眉間を貫き、瞬時に、絶命させた。
「伏せろ!」
二発目を想定し、その場にいる全員が、屋上の床に伏せる。
山川は、無線で、病院の一階に、待機している日下に、連絡を入れる。
「日下、向かいのビルから、狙撃された!こっちは、もうダメだ。一階にいる全員で、向かいのビル、出入り口を包囲。狙撃犯を、確保するんだ!」
「了解!どんな、風貌か、分かりますか?」
「それが、西陽で、全く分からん。かなり、離れた距離から、正確に撃たれた。警察組織のような、拳銃じゃないかもしれん。ライフルが入るような、リュックを背負った人物を、見かけたら、有無を言わさず、中身を検めろ、何としても、捕まえるんだ!」
「了解!」
(………)
佐久間は、絶命した藤田に、合掌する。
佐久間は、藤田の側で、腰を抜かす根本に、告げた。
「根本くん。…これが、刑事の宿命だ。手錠を掛け、逮捕したと思っても、無慈悲な結果に、終わる事もある。予想もしない事が起こる。犯人が、その気なら、ここにいる、全員を、射殺出来たのかもしれないが、私を殺さなかった事を、絶対に、後悔させてやる」
(根本の助力で、盗聴は阻止していた。となると、やはり、監視をされていて、私が、藤田を逮捕する事を、想定し、あの場所で、機会を窺っていたのだろう。であれば、逃走経路を、予め、確保した犯行だろうから、日下が、どんなに頑張っても、足取りは掴めない。だが、これで、お前の事が、分かった気がするぞ。もう少しで、お前に届く、待っていろ)
難攻不落だと思われた、田所英二は、藤田敬吾として、死んだ。
菊池利浩の件と合わせ、事件の完全決着を図ろうとした、矢先での犯行。
だが、佐久間の脳裏には、最終決着をつける人物像が、ハッキリと浮かんでいた。