静と動(2024年編集)
~ 熊本県 崇城大学 ~
佐久間たちは、崇城大学を、再訪している。
七年前の事件で、判決の争点となった、『百分の壁』を覆す、立証を得る為である。佐久間が、記者会見を開いた、数時間後に、上妻教授から、連絡が入り、喜び勇んで、氏原を誘った。
「いやぁ、よく来てくれた。…ん?今日、九条先生は?」
上妻教授は、しきりに、川上真澄を探している。
「残念ですが、警視庁だけです。九条大河には、別行動を、お願いしています」
「…ん、そうか。…残念だ。世紀の発見を、ぜひとも、見せたかったんだが」
「まあまあ、上妻教授。東京に帰ったら、ちゃんと、伝えますから。これ、宜しければ」
氏原は、持参した土産を、上妻に渡すと、袖机に置かれた、論文に目をやった。
「上妻教授。それが、研究成果ですか?」
「ああ、そうだ、二ヶ月と言ったが、結局、三ヶ月掛かった。でも、きちんと、立証出来たぞ」
上妻は、上機嫌で、ホワイトボードを使って、解説を始める。
「良いかね、簡単に説明するぞ。氏原くんは、兎も角、佐久間警部は、素人同然じゃからな。よく見て欲しい」
見慣れない化学記号と、方程式が、次々と、表されていく。
「この部分は、七年前、菊池利浩が逮捕された時、つまり、争点となった、アコニチンとメサコニチンの、成分量だ。両方を、この量で掛け合わせると、誰が検証しても、結果は、即死じゃよ。当時、致死量を、摂取したにも関わらず、『百分後に死亡した』、という事で、菊池利浩は、冤罪となった」
「はい、その通りです」
「しかし、この配合には、詭計があってな。アコニチンを、まず二十グラムと、メサコニチンを、三グラム調合し、約三十分後に、今度はアコニチンを二グラム、メサコニチンを、十グラム配合していく。このように、時間差で、配合する成分量を、微調整していくと、ある飽和点で、毒性が弱まり、毒同士の成分が喧嘩して、効果が薄れる現象が、生まれるんだ。そして、これは、企業秘密なんだが、とある成分を加えると、傍目では、アコニチンとメサコニチンしか、毒特性を示さないが、第三の成分が、擬態化して、互いの効力を弱め、時間差を作り出す事が、出来るようになるんだよ。この、第三の成分を、調合するのに、手間取った」
氏原は、ただただ、感嘆する。
「佐久間、これは、正に、神の領域だ。グラム単位の調整は、気が遠くなるし、第三の成分で、何とかしようとする、その発想にも、脱帽するよ」
「流石、科捜研の者じゃな、良き理解者で、嬉しい」
「つまり、百分の壁は、崩れると?」
「ああ、これで、証明された」
佐久間は、タバコを取り出すと、全員で、火をつけた。
「皆で、味わうタバコは、格別だな」
「上妻教授。七年前、椎原教授や唐沢教授は、この事を、知っていたのでしょうか?」
(………)
「間違いなく、知っていた。彼らは、私よりも専門だ。その知識は、並大抵ではない。毒物学に、精通した学者でないと、まず出来まい」
「つまり、徒党を組んだ教授陣は、菊池に、この配合を教えた、もしくは、毒そのものを、提供したという事でしょうか?」
「十中八九、後者だろうな。前にも言ったが、七年前は、教授陣にとっても、大事な時期だった。菊池利浩に、弱みを握られ、仕方なく手を貸したか、第三者の介入で、力を貸したのかは、分からない。でも、これだけの毒物だ。関与を疑わない、余地はないな」
「裁判の、やり直し請求を、行う予定はありませんが、学会に対しては、関係者を招集して、認否を明らかにしたい。協力して、頂けますか?」
(………)
上妻は、タバコを消すと、佐久間と、握手を交わした。
「これが、答えじゃよ。学会の緊急招集は、崇城大学の教授要請として、行おう。学会規定で、招集出来る権利は、自分にもあるし、たまには、吠えんと、舐められるしな」
(………)
(………)
佐久間たちは、深々と、頭を下げた。
(これで、まず一つ、仇を討てるぞ。菊池、見ていてくれ)
~ 一方、その頃 東京都内 ~
佐久間より、秘密裏に、依頼を受けた川上真澄は、根本を連れ、とある喫茶店で、張り込みをしている。
「川上さん、…いえ、九条さん」
「川上の性が、今は、都合が良いかな。……なあに?」
「警部さんの話は、本当なんでしょうか?」
緊張を隠せない根本を、川上真澄は、優しく諭す。
「信じて良いわ。あそこまで、断言するからには、相当、自信があるんでしょう。その為に、私たちは、今こうして、ここにいる。君は、何の密命を、受けて来たの?」
「九条、…失礼しました、川上さんと、ある人物を監視しながら、ここに書いてある、復讐サイトに接続し、IPアドレスが抜き出せるか、検証する事と、鈴木尚美という人物の、ログ解析をするよう言われました。それと、警部さんから、川上さんに連絡が入った段階で、このリストを、順に接続して、過去の捜査記録と照合するよう、言われました」
川上は、根本のリストを、上から順に、目で追っていく。
(…ふーん、なるほどね)
「君は、確か、天才ハッカーくんよね。警部が、『この順序で、検証をしてくれ』と言った時、どう思った?」
(………)
「二つの事件を、纏める。そう、解釈しました」
「うん、流石は、麒麟児ね、その通りよ。一見、これらのリストは、関係性がなく、バラバラに見えても、実は、一つになるかもしれない。そして、鍵を握るのは、勿論…」
「…今、こうして、張っている人物。…ですよね?」
川上真澄は、満面の笑みを浮かべた。
(------!)
何気なく、店の外に目をやった川上真澄だが、息をのんだ。
「ご名答。……良い事?ここからは、メールで、会話するわよ」
(………?)
川上真澄は、周囲を見回しながら、根本に、携帯を見せた。
『ここからは、声を出さないで。雑談の類いは、オッケーよ』
(------!)
根本は、静かに頷いた。
『今、対象者が、見えたわよ。写真の通りなら、奴が、田所英二』
(------!)
『たっ、田所英二?…どれです?』
『今、店内に入ってきた男よ。絶対に、目を合わせてはダメ、勘付かれるわ』
(------!)
根本は、武者震いしながら、視線を落とした。
殺人鬼かもしれない男を、正面から見る、勇気はない。
『川上さん。何故、警部さんは、田所英二を、知っているんですか?』
『どうやら、菊池の自宅で、アルバムを見ていたら、気づいたんだって。確証はない、みたいだけど、もしかしたらって、言っていたわ。だから、これはまだ、仮説の段階。…でも当確なら、慎重に、化けの皮を、剥がすのみよ』
『…いくら何でも、危険すぎますよ。何故、警部さんは、この任務を、我々に?言いたくないですが、二人とも、素人ですよ?』
(………)
『捜査一課だと、面が割れているからだって。捜査二課でも、一緒。でも、私と君なら、適任だと思うわ』
(…そんなぁ)
『確かに、面は割れてませんが、おっかないです。…でも、父の仇かもしれない』
『根本くん、おさらい。あの男が、田所英二で、復讐サイトの運営者である場合、今、この場で、君が、復讐サイトに、接続したら、どうなる?』
(------!)
『距離が、近すぎます。瞬時に、我々の挙動と、位置がバレます。この世界は、絶対に、面が割れないよう、隠れて闘うんです。でなければ、命がいくつあっても、足りませんよ』
『分かったわ。じゃあ、無理にとは、言わない。尾行するにしても、私たちでは、ボロが出る。この店に、出入りするのは、分かったから、一旦、出るわよ』
『了解です』
二人は、平常心を意識して、コーヒーを飲み干すと、田所に、気が付かない振りをして、会計を済ませた。
店を出て、安全な距離を取ったところで、二人は、深い溜息をついた。
「プハー、生きた心地が、しませんでしたよ。おっかなかった」
「そう?気配は、普通の男だと、思うけど」
(…そう、言われてみれば。気持ちで、負けていたのか?)
「根本くん、パソコンの電源は、入っているの?」
「いいえ。もし、相手が、探知システムを起動していたら、アウトなので、電源は、いつもOFFにしています。僕の手の内は、浜松町駅の捜査で、バレていますから。探知されない所まで、移動しないと」
「どのくらい、離れた方が、良いのかしら?」
「直線距離で、最低、三キロメートルです。この場所からだと、常磐線だと、三河島駅辺りまで、行かないと、逆探知されます」
(………)
「そう、仕方がないわね。三河島駅に行くのなら、いっその事、赤羽駅にしない?」
(赤羽駅?……ああ、そういう事か)
「良い考えですね、賛成です」
(………?)
「意味が、分かったの?」
「勿論ですよ。先程のリストに、学会の情報が載っていました。東京支部が、赤羽にあります。学会のパソコンに侵入して、検索履歴がないかを、検証出来るなら、一石二鳥です」
(この子、当たりだわ)
「ふふふ、切れ者ね。佐久間警部が、惚れ込むのも、頷けるな。期待してるわよ」
「まだ、震えが止まりませんが、頑張ります。川上さんは、作家とお聞きしました。怖くないんですか?」
(………)
川上真澄は、田所のいる、店の方向に、視線を向けた。
「……色々、あったからね。仲間を殺され、亭主を殺され、自分で書いた、ミステリー事件が、実際に、自分の身に降り掛かって、何度も、地獄を見たわ。私の場合、佐久間警部に、助けられたから、良かったものの、普通だったら、とっくに、死んでいるもの。だから、きっと、麻痺してるんだと思う。大抵の事には、動じなくなったわ」
(------!)
遠い目をする川上真澄が、とても、悲しそうに見えた。根本は、愚直な質問をした、自分を恥じた。
「……すみません、浅はかで、卑しい質問をして。…頑張りますよ、僕は」
「ん、気にしない、気にしない。頑張ろう」
一瞬ではあったが、田所英二と、接触した二人。
田所に、気づかれず、捜査していく事が出来るのか?
『静』の田所に対して、歯車を回し、『動』を始める、警視庁捜査一課。
菊池利浩の死は、ゆっくりと、関係者を、真相へと導いていく。




