大きすぎる代償(2024年編集)
~ 都内、佐久間の自宅 ~
佐久間が、身支度を済ませて、正に出ようとした時、目の前にパトカーが到着する。
「警部、安藤課長の指示で、お迎えに。どちらの現場へ、向かいましょうか?」
「無論、府中市だ。井の頭公園の事件は、山さんに任せる」
早朝のため、パトカーは、静かに、自宅を出発する。
「井上、現場に向かう途中で、二人を拾っていこう。氏原は、下北沢駅の近く、根本くんは、三軒茶屋駅、徒歩五分の場所に住んでいる」
「了解です。二人を拾って、現地に向かいましょう。通信指令室へ、連絡を入れておきます」
井上は、無線連絡を入れた。
「こちら、三号車井上。佐久間警部と合流した。これより、科捜研の氏原氏、応援要員の根本氏と、合流しながら、府中の現場へ急行する」
「こちら、通信指令室、三号車の順路、了解。別班は現在、科捜研が、応援で向かっている。井の頭公園では、第二機動捜査隊、捜査一課合同で、検証中」
「三号車、了解」
無線状況を聞きながら、佐久間は、後部座席で、地図を広げた。
(凶報を受けた時刻は、同時だが、山さんの方が、犯行時間が早いだろう。拳銃の施状痕を照合すれば、同一犯か分かるだろう。府中市と井の頭公園は、約十キロメートル。都道十四号線を使えば、四十分以内で、移動可能。…菊池を始末する前に、小林かな子たちを、先に始末したか?浜松町駅での捜査では、二人は、吉祥寺で乗降を繰り返していた。…という事は、元々、吉祥寺に住んでいたのかも、しれない。)
「……部。…警部。根本くんです」
(------!)
考えを巡らせている間に、三軒茶屋に到着したようだ。自宅前で、連絡しておいた根本が、緊張した面持ちで、待っていた。
「乗ってくれ、説明は、車内でする」
パトカーに、乗り込んだ根本は、不安な表情を見せる。
「一昨日、僕が予想した事が、現実になったみたいで。僕を、疑う人もいますよね?」
佐久間は、根本の頭に、手を置いた。
「タイミング的には、疑う者はいるだろうな。だが、拘留中だった男が、社会に復帰して、直ぐに、何人も殺すかね?しかも、射殺だ。根本くんが、犯人なら、もっと別の方法を取るだろう。何と言っても、君は、武闘派ではないし、頭で勝負する男だ」
根本は、気さくな、佐久間の返答に、心を震わせた。
「警部さんは、自分を信じてくれるんですね、…こんな僕を?」
「当たり前だ、家で、ゆっくりしていた、それだけだろう?」
「ええ。拘留が解けて、自由を満喫していました。熱い風呂に入って、グッスリです」
「それが、普通だよ。良いかい、今日、根本くんを呼んだのは、君を探るためではない。私の補佐として、助力をお願いしたくてね。君の状況予測は、私の思考に、近いものがある。府中の捜査を終えたら、井の頭公園にも、顔を出す。その際に、根本くんのパソコンで、何かあれば、教えて欲しいんだ」
(この目は、虚言ではない。自分は、本当に助けて欲しいと、言われているんだ)
周囲からは、相手にされず、他人との接触を、避けてきた根本には、佐久間が、純粋に、自分の価値を認めて、接してくれる事が、何よりも嬉しい。
「鋭意努力します」
「うん、よろしく頼むよ、後輩」
「後輩?」
「ああ、根本くんは、まだ若い。その気があるなら、警察官になって、いつかは、私を超えてくれ。根本くんの様な若者が、将来を担ってくれたら、この国も安泰だよ」
(この人は、どこまで僕を、評価してくれるんだ。絶対に、犯人を捕まえるぞ)
根本の、熱い気持ちを乗せたパトカーは、下北沢に到着し、氏原が合流する。
「お疲れさん、今日は、一段と早い事件だな。科捜研は、井の頭公園だって?」
「ああ、井の頭公園は、山さんに任せてるよ。向こうは、被害者が二名だし、屋外だから、時間が掛かるだろう。まず、府中市で、菊池を見てもらいたい。射殺以外に、何か出てくるかもしれない。府中市と吉祥寺は、そう遠くないからね、施状痕も見て欲しい。同一犯が、時間的に、井の頭公園で、二人を射殺した後、府中市でも、犯行を行ったと、勘ぐっている」
「お前なら、そう言うだろうと思って、一通りの検査用具は、用意してきた。って、根本まで、呼んだのか?朝早くから、お前は、全く。現代の若者には、堪えるぞ」
根本は、若者らしい、元気な口調で、氏原に挨拶する。
「おはようございます、先輩」
「先輩?」
「ええ、佐久間警部の様な、刑事を目指そうと思います。なので、先輩です」
(佐久間の奴、何を、刷り込んだんだ?)
氏原は、ほくそ笑んだ。
「まあ、頑張れよ、後輩」
「はい」
氏原は、持参した食べ物を、全員へ配った。
「アンパンにコーヒー、刑事ドラマの様ですね」
根本の、微笑ましい発言で、車内が、一瞬和んだ。
「まあ、刑事ドラマでは、お馴染みだな。そんな事より、佐久間。菊池は、誰にやられたんだろうな?捜査一課に、思い当たる節は、無いのか?」
「まだ、何も分からんよ。今までの捜査線上に、拳銃を所持した人物は、見当たらなかったからな。一番怪しいのは、田所英二だが、頭脳派だし、教授陣が、そんな物騒なものを、使用するとは思えない。施状痕を検証して、使用した者が、暴力団関係者か、殺し屋なのか、見極めよう」
「警部さん、施状痕って何ですか?」
「施条痕って言うのは、銃から、発射された弾に刻まれた痕で、銃の指紋とも呼ばれるんだ。つまり、銃の特定が出来て、その型式によって、暴力団関係者に多いものか、玄人の仕業かを、見極める重要な証拠の一つなんだ」
「事件があると、機動捜査隊って言うのが、初動捜査する。その中には、鑑識官がいて、科捜研も呼ばれる。まあ、見れば分かる。まずは、現着してからが、勝負だな」
「勉強になります」
~ 府中市、菊池利浩の自宅 ~
「まずいな、規制線の前に、もうあんなに、野次馬が集まっているぞ」
菊池利浩の自宅周辺は、早朝から、物々しい雰囲気が、漂っている。パトカーが、現着すると、佐久間を見かけた、報道記者たちが、押し寄せた。
「佐久間警部、一般市民が、銃弾に巻き込まれた事について、一言お願いします」
「暴力団の抗争に、巻き込まれたんですか?」
「銃声が、何発も聞こえたと、近所の方が、言っていますが?」
予想はしていたが、人だかりで、すんなりと、規制線の中に、入ることが出来ない。
「私自身、まだ、被害者を見てないんです、申し上げる事は、出来ません。状況の整理が済み次第、記者会見で、お知らせしますので、通して頂けると、助かります」
この言葉に、殆どの記者が、道を空けたが、それでも、一人の記者が、食い下がった。
「佐久間警部、これだけは、教えてください。被害者の方は、物取りにでも、遭ったのですか?それとも、私怨による殺人事件ですか?井の頭公園の方でも、射殺死体が見つかったと聞いてます。場所も、そんなに離れてないですし、そちらとの関連は?同じ日の、同じ時間帯に、どちらも、発砲が絡んでいる。この事について、警視庁捜査一課は、どう、お考えですか?今、生中継で、全国民が、佐久間警部の発言を待っています。それだけでも、お答えください」
佐久間は、記者の奥に、視線を移した。
(どの局かと思ったが、なるほどね。相変わらず、目ざといな。二件の殺人事件を、早々に結びつけるとは、それだけ、優秀な陣営を擁している、という事か)
「…カメラは、こちらですか?少しだけ、お答えしますので、各社、マイクを向けて頂いて、結構ですよ。お答えしたら、捜査に集中させてください」
各局の記者たちは、マイクを、佐久間の前に向け、音を拾った。
「テレビを、ご覧の皆さま。警視庁捜査一課です。今、この場で、申し上げられる事は、何者かの手によって、『尊い人命が奪われた』という事です。私が立つ、この場所は、規制線の外です。奥には、被害者の自宅があり、その中では、お亡くなりの方が、います。もし、この事件が、自分の身内だったら、どうなのかを、考えて欲しい。私だったら、嫌です。親兄弟が、殺されて、静かに送りたいのに、第三者が、側で騒いでいる。知る権利は、確かにあります。報道の自由も、分かります。発砲があって、市民の方々が、不安に思う気持ちも、良く分かります。だが、この事件は、まだ発生したばかりで、究明すら出来ていません。暴力団関係者の仕業なのか、私怨によるものなのか、それも、捜査しない限り、明らかになりません。市民の方が、安心出来るのは、発生原因が、正しく特定され、犯人が逮捕されること。同じような、発砲事件が、二度と起きないこと。これに、尽きると思います。なので、報道機関は、中継するのは、仕方ありませんが、闇雲な詮索、質問は、捜査の支障となり、国民の不利益に繋がります。正しい時期に、正しい報道、真実を世に広める。そうして頂くと、捜査一課としても、幸いです。また、井の頭公園も、現在、捜査に入っていますが、そちらも、正しく捜査しないと、被害者の方が、報われません。どうか、静観をお願いいたします」
(------!)
(------!)
(------!)
報道カメラマンは、佐久間の、言葉の意味を理解し、記者の方に、カメラを向けた。
現場中継を取り付けた記者も、佐久間の意見に、『ここで、更問いすると、国民の不信感が、自分に降りかかる』と察し、方針を改めた。
「…かつてない、緊張感に包まれた現場からは、これ以上、捜査の支障をきたす、報道は出来ません。警視庁捜査一課が、全力で捜査するため、我々、報道陣も、意向に沿いたいと思います。被害に遭われた方の、ご冥福をお祈りしながら、一旦、現場中継を締めたいと思います。では、スタジオに、お返しいたします」
「皆さん、主旨を理解頂き、ありがとうございます。先程の中継で、申し上げた通り、真実が正しく、伝わるよう、まずは捜査したいと思います。事実確認が終わり次第、警視庁で時間を作って、会見しますので、記者クラブ経由でお待ちください」
こうして、佐久間たちは、規制線の中へと消えていった。
~ 菊池利浩の自宅 一階、リビング ~
「待たせたな、日下。進展はどうだ?」
(------!)
汚名を返上すべく、懸命に手がかりを探している最中、心強い声が聞こえる。
「警部、申し訳ありません。今回の件は、自分の責任です」
佐久間は、失意で項垂れる、日下の肩に、そっと手を置いた。
「先ずは、顔を上げて、歯を食いしばれ。謝る相手が違うぞ、申し訳ないと思うのならば、その言葉は、菊池に対して行え。そして、何としても、犯人の手がかりを探すんだ。それが、今の日下に出来る事であり、お前にしか出来ない事でもある。後ろ向きの感情は、強引にでも、捨てろ。落ち込むのは、捜査が済んだ後、幾らでもすれば、良いさ。付き合ってやる」
(------!)
「…そうでした、反省は後にします。今は、菊池のためにも、成果を探します」
「そうだ、それで良い。一緒に探そう」
待機していた鑑識官が、佐久間に中間報告を入れる。
「警部、お待ちしていました。まず、死因からですが、菊池利浩と妻とみられる女性が、銃弾を三発ずつ受けていて、二人とも、頭部に受けた銃弾が、致命傷となったようです。共通して、頭部、左胸、左足を撃たれています」
(徹底した殺害、……玄人の仕業なのか)
「そうか、分かった。施状痕はどうだ?」
「はい、薬莢は押さえています。詳細は省略しますが、どうも、警察組織の仕様と、似ています」
(------!)
氏原が、神妙な面持ちで、薬莢を確認する。
「ニューナンブだな、間違いなく。M360J SAKURAにも見えるが?」
「ええ、ただ、この型は、同じM360Jの中でも、特命捜査班などが、使用しているものに、似ています」
(暴力団関係者ではない。これは、警察組織のものだ)
「……日下。初動捜査は、私が引き受ける。お前は、課長にだけ、直ぐに報告しにいけ。そして、警視庁と、全国の県警本部で、紛失した拳銃がないかを、急ぎ、照会してくれ」
「はっ、分かりました」
「良いか、決して、課長以外に話すな。外に報道機関が、沢山いるが、絶対に悟られるな」
「……分かりました」
捜査一課に戻る日下を、目で送り出しながら、捜査結果に、耳を傾ける。
「拳銃については、口外禁止だ。他に、何か特異点は?」
「はい、死因は、先程申し上げた通り、射殺で間違いないですが、台所のテーブル下から、水銀が検出されました。また、ごく微量ですが、薬品の臭いが、被害者から確認できる為、司法解剖で、詳しく洗う予定で、手配済みです」
「……氏原」
「……ああ。科捜研で、見よう。水銀は、回収済みで、処理も終わっているな?」
「ええ、専門洗浄剤で、処理してあります」
「了解、ご苦労様。佐久間、被害者を確認しよう」
「変わり果てた、菊池を見るのが、忍びないがね」
ソファから、崩れ落ちるように、変わり果てた菊池が、額から血を流し、朽ち果てている。
佐久間は、しばらくの間、合掌をしてから、遺体の状況を確認する。氏原は、衣服、足元、口元の臭いを、丹念に嗅いだ。
(なるほどな)
「青酸カリに近いようだが、違う気もする。佐久間、お前の見解を、聞かせてくれ」
(………)
「水銀で、身体の動きを鈍らせておいて、薬品で毒殺しようと試みたが、菊池の抵抗が強く、射殺に至った、と考える。氏原、菊池の手首と腕に、抵抗した跡か、チョークサインは、見受けられるか?」
「ちょっと、待ってくれよ、今、確認してみる」
氏原は、衣服をまくって確認すると、僅かであるが、菊池の両腕に、第三者が掴んだ形跡が残っている。
「…鬱血してるな。間違いない、薬で弱っているところを、襲われたようだ。抵抗したから、撃たれたんだな。土屋知洋と、似たケースだ」
(………)
佐久間は、深い溜息をついた。
(何故、これ程まで、執拗に、菊池を殺したんだ?根本が、犯人の手掛かりを見つけた途端、『待ってました』と言わんばかりに、事件関係者が死んだ。事件の中心で、中核を担っていたのが、菊池で、仲間割れして、消されたのか?それとも、菊池は、中核ではなく、犯行グループの一員で、真犯人に操られていて、トカゲの尻尾切りされたのか?どちらが、正解なんだ?)
「佐久間、どうした?」
「なあ、氏原。これまでの犯行は、精神状態を操作する事件だったが、明らかに、形振り構わぬ方向に、なってきた。警察組織の捜査の、何が、一体、そうさせたのか。その点が、腑に落ちなくてな。もしかすると……」
思慮する佐久間を他所に、台所の方から、嗚咽音がする。
(…根本か?)
遺体を見るのが、初めてなのだろう。
根本は、遺体を直視するなり、台所へ直行した。
「根本くん、大丈夫か?」
「……最悪です。死体なんて、見る事なかったもので。肉片は勿論、血の臭いと言うか、鉄くさい臭いが、こうも、鼻を曲げると、知りませんでした」
「まあ、初めは、皆、そうだ。吐く物を、吐いてからで、良いから、君の力を借りたい」
左手で、口を塞ぎながら、根本が、根性を見せた。
「出来ることは、何でもします」
「パソコンは、車内から、持って来たな?」
「はい」
「この家に、盗聴器、監視カメラが無いかを、まず調べてくれないか?」
「はい、分かりました」
「では、早速、取りかかってくれ。それが終わった後、この家に、パソコンがあれば、何か残っていないかを、洗ってくれ。どのくらいで、調べられる?」
「…そうですね。盗聴器、監視カメラの有無調査に、二十分。パソコンに接続して、解析するのに、一時間って、ところでしょうか」
「分かった。私と氏原は、他の部屋を調べる。手分けして洗おう、頼んだよ」
「はい、もう少し落ち着いたら、取り掛かります」
「氏原、二階を見よう。根本くん、盗聴器を発見したら、撤去はせず、直ぐに、呼んでくれ」
~ 菊池利浩の自宅、二階 寝室 ~
近年としては、勾配が急な、階段を上がり、左手の寝室に入ると、菊池の妻と思われる女性が、視界に入った。
何とか、外に逃げようとしたのだろうか、窓を向いたまま、うつ伏せで息絶えている。
(さぞ、怖かっただろう)
佐久間は、再び、合掌をする。氏原は、衣服を捲り、身体の状態を確認する。
「…女性は、抵抗した跡がないな。一方的に、殺害されたんだろう」
「…そうか。薬品の臭いは、どうだ?」
「待ってくれ、調べてみる。…やはり、菊池と、同じ臭いがするな。……そういえば、さっき、台所で、何か考え込んでなかったか?」
「さっき?…ああ、あれか。浜松町駅で、犯人の足取りを追っただろう。小林かな子と共犯者の、身柄を確保しようと、動いた矢先、この凶行だ。どうにも、タイミングが良すぎてね。捜査内容が漏れたのか、どこかで、盗聴されているのかと、思ってね。だから、この家にも、あるかもしれない、と考えた」
「他にも、何か言いたげだな?」
「犯人は、どうやって、菊池夫妻に、薬品を使用したのだろうな。忍び込んで、嗅がせる訳でもあるまい。…顔見知りで、前の晩から、泊まっていたのか?…いや、それなら、日下が見逃さないか」
氏原は、溜息をついた。
「謎解きは、後でしようぜ。司法解剖してみなきゃ、因果関係は分からんよ。何とか、時間までは、割り出してみる」
「そうしてくれ、鬱血時間との比較も、頼むよ」
「警部、佐久間警部!」
(------!)
(------!)
「根本が、見つけたようだ。隣の部屋か?」
隣室のウォークインクローゼットで、根本が、無言のまま、指で場所を示している。
怪しげな壺脇と、コネクターの差し込み口に、仕掛けられている。
「…この分では、一階もありそうだ。全て、探してくれ」
「分かりました、撤去は、どうします?」
「勿論、撤去してくれ」
(思惑どおり、盗聴器はあった。…となると、犯人は、菊池を、何故盗聴していたのかが、気になるな。……待てよ?)
「根本くん、ちょっと」
「…はい?」
佐久間は、根本に、耳打ちする。
「良いか、返事は、頷くか、首を横に振るだけで良い。声は、極々、小さくだ」
根本は、黙って頷く。
「浜松町駅で、犯人が、どの場所で不正接続して、映像を詐取したかを、説明したね。あれから、事態は急変した。となると、駅舎にも?」
「勿論、あるでしょう」
「しかし、どうやって、駅舎に忍び込む?二十四時間、あの場所には、鉄道職員がいるはずだ」
「簡単ですよ。空調のメンテナンス社を装って、『駅舎の点検に来た』と、言えば良いんです。本社の指示で来た、と告げれば、現場の職員は、誰も確認すら、しないんじゃないですか」
「なるほどな。日本人の悪い癖だな。自分に関係しない事は、誰も気にしない」
「警部さん。それよりも、この捜査状況を、犯人は、聞いているかもしれないです。逆手に、取りますか?」
「さすがは、麒麟児。私の動きを、読むね。…少し、迷っているんだ。ここで、犯人を、誘き寄せる会話をしても、乗ってくるか、分からない。…だが、試す価値もあるな。ダメ元で、やっておこう」
佐久間は、差し込み口の盗聴器に向かい、少しだけ、大きく、ゆっくり語りかける。
「根本くん。君の手腕は、流石だね。ここの盗聴器から、製造拠点と販売店を割り出し、防犯カメラ画像を追うことで、犯人に、また一歩、近づけるかもしれないな。全国の機材販売店に、今すぐ通達し、『不正接続されないよう、防犯カメラ関係の、電源を落とせ』と指示しよう。警視庁と、各県警本部総出で、一斉回収するよう、要請する。それと、浜松町駅の駅舎にも、盗聴器が仕込んであるだろうから、撤去しないとな。犯人が勘付く前に、監視カメラを、何台か、仕込んでおこうじゃないか。犯人は、それでも、姿を現せるか、正に、見物だな」
(------!)
「警部さん。そこまで、言っちゃって、大丈夫ですか?」
根本は、思い切り、動揺を見せるが、佐久間は、ほくそ笑む。
「問題無いさ。これは、伏線だ。実際には、監視カメラなど、仕込まんよ。司法解剖で、新証拠を探る、時間稼ぎに過ぎない。それに、ここから、身元が特定出来る程、この犯人は、甘くない。盗聴器を買うだけにしても、何ヶ所も、介しているはずだ。相手が、盗聴していると想定して、吹聴したんだよ。それより、盗聴器類を撤去してから、もう一働き、頼みたい」
~ 一時間後 ~
「警部さん、回収、全て完了です」
「お疲れさま。隠しカメラは、あったかい?」
「いえ、盗聴器が、全部で八機。これで、全部だと思います」
「分かった。では、本腰を入れて、証拠を探そう。ここからが、本番だ」
佐久間は、空気を入れ換えるように、『パンッ!』と、手を叩くと、捜査員総出で、書籍、押し入れ、台所下、天井裏を探していく。
「なあ、佐久間。本棚や天井裏なんかに、何かあるのか?国税局査察部の捜査じゃ、あるまいし」
佐久間は、首を横に振った。
「菊池は、横柄に見えて、繊細かつ、慎重な男だった。私が、菊池に接触した時点で、菊池は、最悪の事態を想定して、証拠を隠す、画策をしたはずだ。もちろん、口封じで、自分が死ぬ事も想定してな。氏原、もしお前が、『誰かに、殺されるかもしれない』となったら、事件に繋がる証拠を、どこに隠す?」
「何だよ、藪から棒に」
「まあまあ、さあ、どこに隠す?」
氏原は、佐久間の、突拍子もない質問に、苦笑いしながらも、考えた。
「……そうだな。自分が犯人で、仲間に殺されると思えば、自分の仇を討って欲しいから、敵の警察に、何かを、残すかもしれないな。…隠す場所か。パソコンは、危なすぎるし、床下も、安易だな」
「そういう事だ。木を隠すなら、森だ。菊池も、そうしたに違いない。犯人は、手掛かりを得るために、菊池を脅したが、抵抗されて、やむを得ず、射殺して、逃走。となれば、まだ、この家に、物的証拠が、あるかもしれないんだ。根本くん、パソコンの解析はどうだ?」
「外付け媒体が、持ち出されたようですね。本体は、予想通り、何もありません。ネット履歴を確認していますが、Tor中継システムを、利用した形跡はありません。外付け媒体に、何が入っていたかは、不明ですが、外付け媒体を利用した、ネットシステムを駆使する事はないので、ごく普通の、ユーザーレベルかと思います」
「となると、菊池は、匿名を使って、『依頼者たちと、接触していない』と、立証する事が、出来るな。さあ、みんな。頑張って、他の物的証拠を、探しだそう」
本棚の書籍を、手分けして、全頁を確認するが、証拠が出ない。天井裏、押し入れ、床下からも、証拠が出ない。
アルバムを見ていくと、かつての婚約者と菊池が写っている。佐久間は、じっと、見つめた。
(これが、当時の、引き金となった婚約者か。…どこかで見た、面影があるな)
「なあ、佐久間、見つからんぞ。本当に、証拠はあるのかね?」
「発想を変えてみよう。泥棒が、探さない場所はどこか?…人目につきやすく、虚をつく場所。…風呂場、玄関、仏壇、屋根裏、寝室、ソファー、テーブル、食器棚、テレビ。…テレビか、探してみよう」
一階のリビングで、大型テレビを持ち上げると、テレビの底面から、一枚の手紙が見つかった。
「流石だな、おい。何が、書いてあるんだ?」
「せっかちだな、読み上げるぞ」
『 佐久間警部へ
この手紙を読んでいるという事は、俺は、仲間に殺されたか、もうこの世にいない、という事だ。旦那が、俺に会いに来たから、万が一を考えて、この手紙を書く事にする。そして、この手紙が、旦那なら、見つけられると踏んで、残す事にする。俺は、警察は大嫌いだが、旦那の事は尊敬している。七年前、俺は、婚約者を、目の前で失った。幸い、一命を取り留めた俺は、旦那の推測通り、復讐心しか無かった。婚約者を殺した二人の男は、当たり屋、恐喝、強姦、何でもやる悪党どもだった。表向きは、真っ当なサラリーマンだがな。俺は、ある教授から、知恵を借りて、復讐を果たした。もう死んでいるから、白状するがね。万が一、裁判って事になったら、流石に気が引けるから、教授の名前は明かさないよ。どうせ、旦那なら、目星は付けていると思う。後は、好きに、裁くなりしてくれ。俺の、一事不再理なんか、どうでも良い。本題に入ろう。一連の事件だが、復讐サイト経由で依頼され、俺が殺したと、旦那は、思っているはずだ。色々と名前が挙がったが、俺が、ある男から依頼されて、手を貸したのは、一件だけ、坂田利之だ。もう知っていると思うが、駅で坂田を嵌めたのは、俺ではなく、別人が担当した。俺は、債権者を装い、坂田から、金をふんだくる役だ。女を使う手口も、別人だ。俺は、復讐を果たす為にだけ、手を汚しただけだ。じゃあ、何故、俺は死んだのかって?それは、一連の黒幕が、田所英二だからだよ。田所英二は、当然、偽名だ。しかも、旦那は、知っている男だと思うよ。少なからず、旦那が、俺に事件を話した時に、ピンときた。黙っていれば、俺は、死なずに済んだかもな。でも俺は、田所に、旦那が接触してきた事を、話しちまった。それに、田所と俺は、昔から繋がりはあったからね。…これが、旦那に残す、大ヒントだ。旦那の言う通り、一連の事件は、自殺なんかじゃない。精神状態を操作による、他殺だよ。そして、それは、七年前の事件が発端で、俺と田所は、人生が、大きく変わってしまった。その結果、俺は復讐を、田所は、馬鹿な教授どもを、裏から操ったり、裏組織に入って、能力を磨き、ここまでの騒動を起こした。…どうか、田所を止めてくれ。俺は、先に、あの世にいくが、任せたぞ。最後に、里香のため、香典を持って来てくれたのに、礼を言っていなかったな。……ありがとう 』
手紙は、ここで、終わっていた。
(…菊池。お前って、奴は)
「泣かせる手紙だな。佐久間、田所英二は、お前と面識ある人物、とも書いてあるな。心当たりあるのか?」
「…思いつかん。だが、捜査は、一歩進んだ。これまでの、物的証拠をかき集め、一つずつ、潰していくしか、あるまい。大学教授たちの陰謀、百分の壁、Tor中継システム、拳銃の出所、そして、田所英二。これらを、潰していけば、真相に辿りつけるはずだ。菊池のヒントを、無駄にしない為にも、捜査を立て直そう。山さんには、施状痕を、府中市のものと照合出来るよう、頼んでおく。私は、これから、安藤課長と、記者会見の準備を行う。氏原と根本くんは、一緒に、戻ってくれ」
「分かった」
「承知しました」
菊池利浩の死が、佐久間に、物的証拠を、一つ、もたらした。だが、それは、大きすぎる代償であり、菊池利浩自身も、田所英二を止めたいと、訴えていたのである。
予想を超える展開に、手紙を握りしめ、事件現場を後にする、佐久間であった。