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接近禁止令(2024年編集)

 ~ 東京都 港区 ~


 青山学院大学に通う、井上真奈美は、半年ほど前から、ストーカーに悩んでいる。


 バイト先の書店で、本棚の整理をしていると、突然、背後から抱きしめられた。


(------!)


「ごめん、どうしても、我慢出来なくて。お願いだから、騒がないで。…何て言うか、一目惚れというか、…運命というか」


 好みの男性あれば、心もときめくが、気持ちが悪いだけ、である。


「…お気持ちだけ、頂きますね」


 客だから、無碍にも出来ず、笑顔で、やんわりと拒否するが、大声で拒絶されると、覚悟していた男は、『脈あり』と、勘違いしたまま、店を出て行った。


 翌日、井上が、本棚を整理していると、昨日の勘違い男が、井上の肩を、トントンと叩き、井上が、振り替えると、無言で、胸元のプレートを指さした。


(…ん?…これを見ろ?…神崎…俊夫?)


「えーと、神崎さんって、仰るのですか?」


 男は、自分の名前を、井上が口にしたことに、感激し、満足そうに帰っていく。井上は、ただ、呆然と、その場に立ち尽くし、今後のことを考えると、憂鬱になった。


 神崎俊夫は、それから毎日、来店するようになる。


 当初は、井上の働く姿を、離れた場所から見守っていたが、商品の位置を、わざとらしく、尋ねてみたり、井上が、会計席に立つと、他人を押しのけて、並んだりして、井上との会話を増やしていった。困り果てた井上は、店長に相談するが、『いつも、商品を買ってくれる常連客だから、我慢して』と、取り入って貰えない。


「はいはい、ごめんよ」


(また、自分の方に、来ちゃった。お願いだから、来ないで)


 井上の、苦悩が続く。



 ~ 別の日、東京都港区 ~


 自宅が近い点でも、神崎のストーカー行為に、拍車がかかる要因となっていた。自宅までの帰り道、誰かの視線を感じ、振り返ると、十メートル後ろを、ぴったりと、ついてくる。


(……もう、いい加減にして)


 あまりにも、不快なので、意を決して、釘を刺すことにした。井上が、振り替えって、立ち止まると、意表を突かれた神崎は、視線を反らして、通り過ぎようとする。そんな神崎を、井上が、呼び止めた。


「あの、もしかして、私をつけてます?…それなら、困るんですが」


(------!)


 神崎は、狼狽しながらも、言い訳をする。


「おっ、俺の自宅は、神宮前四丁目だから、この方向だよ。君も、同じなの?」


(…そうなの?私は、二丁目だから、一緒なだけだったのか)


 流石に、露骨過ぎたか。井上は、神崎に謝罪する。


「本当に、ごめんなさい。このところ、疲れていて。背後に、誰かが、いるだけで、用心してしまうんです。失言でした、謝ります」


 神崎は、謝罪を受け、気をよくしながら、井上の胸に目をやった。


(困った顔も、良いなあ。その胸も、舐めてみたいな)


「気にしないで。そんなことより、…あの、もし良かったら、お茶でもどう?それか、夜道は、危険だから、近くまで、送ろうか?」


(…どうしよう。嫌だけど、私の勘違いもあるし、今日は付き合うべきか。…いや、ダメだ。万が一ということも、ある。距離を置くべきだわ)


 井上は、色々、迷った挙げ句、『レポートの期限が、迫っているから、今日は、早く帰宅しなければならない』と、遠回しに、断りを入れ、社交辞令の一言を、添えた。


「今日は、無理だけど、機会があったら、その時は、甘えます」


神崎(あんた)なんかと、行く訳ないじゃん、察してよ)


 井上は、心の中で、悪態をついても、笑みを忘れず、挨拶を済ますと、家路を急いだ。神崎が、どのような、受取をしたのか、表情を確認する、余力はない。


 二丁目と、四丁目の分岐点は、五メートル先の、路地だ。


(もし、路地を曲がらないで、ついて来たら、どうしよう)


 歩を進めながら、スマートフォンを取り出し、自撮りの要領で、背後を映す。


(ちょっと、ついて来てるじゃん。…もう一度、釘を刺すか?…でも、自宅近くに、用があるって、言われたら、困るし、どうしよう)


 井上は、困った様子で、辺りを見回す。


(------!)


(助かった!)


 先日、開店したばかりの、ネイルサロンに、飛び込んで、やり過ごすことにした。


『決して、後ろを振り向くな』と、自分に言い聞かせ、あたかも自然体で、その店に、用事があったかのように、二階のネイルサロンに飛び込んだ。


「いらっしゃいませ」


「…ごめんなさい、助けてください」


(………?)


 店員に、大まかな事情を説明すると、事情を察した店員が、隣の倉庫部屋に通してくれる。


「そこの、ブラインドの隙間から、こっそり、見ると良いわ。この暗さなら、外からでは、店内が見えないはずよ」


「……ありがとうございます」


 おそるおそる、路地を確認すると、危惧した通り、神崎は、店の階段前で、立ち止まって、様子を窺っている。


(……どうしよう。このままじゃ、帰れない)


 心配そうに、店員が、声を掛けてきた。


「あの男が、ストーカーなの?心配なら、警察を呼ぶ?」


(……警察は、まだ、可哀相か)


「いえ、()()、大丈夫です。それより、このビルに、非常口は、ありますか?」


「ええ、レジの後ろにあるわ」


(良かった)


「その非常口から、ビルの裏側に、出られますか?」


(そうまでして、逃げたいのね)


「察したわ。気をつけて、帰りなさい。神崎(あの男)は、私の方で、上手く、引き留めてあげる」


(------!)


「…ご厚意、感謝します。今度は、きちんと、客で来ます」


「待ってるわ、気をつけて」


 井上は、深々と、お辞儀をすると、裏口から、脱出を試みる。


 店員が、井上の、脱出するタイミングに合わせ、神崎に、声を掛けた。


「お兄さん、こんにちわ。ネイルサロンに興味があるの?良かったら、無料体験してみない?あなたの爪、とても、綺麗で、塗りやすそうね?」


(------!)


 虚を突かれた神崎は、大量の汗をかき、口をゴニョ、ゴニョする。


「いや、自分は、ネイルサロンに……」


「興味があるのね?良かった、じゃあ、寄っていかない?」


「いっ、いや、だから、自分は……」


「良いじゃない、ちょっとだけ。ちょっとだけだから」


「い、いや、……そういえば、背がこのくらいの、綺麗な女の子、来ていますよね?」


(こいつ、堂々と。……それなら♪)


「ああ、黒髪の子ね。あなたの彼女?青春って、良いわねえ。いるわよ、上がって待ってれば」


 神崎は、店員に、半ば強引に、店内に通された。


「…あの、さっきの、女の子は?」


「ああ、今、お手洗いみたいね。まあ、そこに、腰掛けて、待っていてね♪」


(十分は、足止めしてやるわ。…あの子も、変な奴に、関わっちゃたみたいね)


(…ハア、ハア、ハア) 


 店員の機転で、脱出できた井上は、人混みに紛れ、細い路地を、何度も曲がり、気がつけば、夢中で、走り抜けていた。


 アパートの近くで、背後を、何度も確認してから、部屋に入り、溜息をついた。


(…もうやだ、怖い。…いつかは、ばれる、どうしよう)


 何とか振り切った井上だが、危惧した通り、たったの二日で、自宅を割り出されてしまい、この日を境に、身辺で、不可解な事象が、発生していく。


 洋服ダンスの下着が、日毎、少なくなり、郵便物が、あからさまに減った。家族からの手紙や、公共料金の、引き落とし通知が、届かないため、不審に思い、各所に問い合わせて、事態が、明らかになったのだ。


 帰宅すると、アルバムの写真が、何枚か抜かれ、洗面所には、見たことのないコップと、歯ブラシが、無造作に置いてある。何より、自分の歯ブラシが、新品に変わっているのだ。


(………気持ち悪い)


 顔面蒼白で、友達にメールしようと、携帯を開くと、連絡者一覧に、いつの間にか、神崎が登録されている。


(……もう、限界)


 身の危険を感じた井上は、実家とは、距離を取っていたが、背に腹を変えられないので、両親に相談し、事情を知った両親が、その日のうちに、上京。その足で、原宿警察署に駆け込むと、事態を重く見た、原宿警察署が、アパート近くで、神崎を発見すると、その場で身柄を確保した。警察署では、神崎の任意聴取が行われ、神崎の両親の前で、接近禁止の忠告が行われた。


「初犯なので、今日は、注意勧告に留めますが、次はないですよ。男なら、正々堂々と、交際を申し込み、振られたら、潔く引きなさい。それが、この世のルールです。過剰な行動は、ストーカー行為と見なされますから、親御さんも、きちんと、お子さんの教育を頼みます」


 神崎の両親は、額を床に擦りつけて、何度も謝罪する。


「ご迷惑を、お掛けしました。家で、バカ息子に、きちんと教育します。被害者の方にも、くれぐれも、よろしくお伝えください」


 神崎俊夫は、両親に付き添われ、警察署を後にした。


 マジックミラー越しに、接近禁止命令が出される様を、見ていた井上たちは、ストーカー心理について、指導を受けた。


「良いですか?ストーカーってのは、初めのうちは、警察組織(我々)の忠告を遵守しますが、数ヶ月も過ぎれば、再犯することが多いんです。油断が出るのも、その頃です。ストーカーに遭い始めたら、直ぐに、連絡をしてください。本人と両親に、『次はないぞ』と、忠告しましたが、決して、気を抜かないように。出来れば、住居を変えるとか、故郷に帰るとか、物理的に、相手の目に入らないように、逃げるのが、一番の安心なんですがね」


「仰るとおりですが、何分、学生なので、そこまでは、中々。でも、油断しないよう、注意します。今回は、本当に、ありがとうございました。真奈美、それで、良いな?」


「……うん。ありがとう、父さん」


 原宿警察署の説明通り、接近禁止命令が出てから、数ヶ月、神崎は、姿を見せなかった。


 神崎の影に、悩まされた井上は、この期間、半信半疑で、用心深く過ごした。平穏な時間が続くと、ストーカー行為など、無かったかのように、徐々に、記憶が薄れていく。


 平穏な学生生活、平穏なバイト、平穏な日常。


 書店の新人バイトに、一目惚れし、井上から、猛アタックし、交際が始まった。



 ~ それから、数日後 ~


(……ん。誰か、いる。……タカくん?)


 彼氏が、夜中、やって来たのか。合鍵で、開けたのだろう。


 視力の弱い井上は、枕元の眼鏡を掛けた。洗面所に目をやると、神崎が、歯を磨いている。


(------!)


「やあ、おはよう。君が、困っていると思って、例の彼氏には、別れるように、脅しておいたよ。俺が、側にいると知って、あいつ、半べそかいて、逃げ出したよ。別れて正解さ、あんな奴。それより、朝ご飯出来てるよ、一緒に食べよ」


(------!)


 井上の心が、音を立て、崩れた。


「はあ------?」


 井上は、台所の包丁を、神崎に向ける。


「なんで、神崎(あんた)が、アパートにいるのよ!何、人の彼氏に、会ってるのよ!」


「なっ、何でって。…これ、合い鍵」


(------!)


 井上は、激高する。


「誰が、神崎(あんた)なんかに、合い鍵を渡すのよ。ちょっと、それ、どうやって作ったのよ。説明しなさいよ!神崎(あんた)、もしかして、タカくんから、奪ったんじゃ、ないでしょうね?本気で、刺すんだけど!」


 侵入された恐怖よりも、恋人を失った怒りで、我を忘れる。


(こっ、殺される)


 井上の気迫に、怖じ気づいた神崎は、逃げるように、部屋から退散する。


「がっ、学校に遅れるよ、じゃあ」


(------!)


「じゃあ、じゃねえ。死ね!!」


 勢いよく、包丁を投げつけるが、神崎の姿は、ない。


 ドアに刺さった、包丁を、井上は、恨めしく見つめた。


(…また、神崎のせいで、人生が、滅茶苦茶に。タカくんに、…何て言えば)

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