誰がために鐘は鳴る(2024年編集)
~ 熊本県 崇城大学 ~
佐久間は、捜査中の内容と、菊池利浩の過去、七年前の裁判記録、そして、トリカブトのアコニチンと、フグのメサコニチン配合がもたらした、『百分の壁』について説明した。
再訴追出来ないが、一連の事件を解決するためには、菊池利浩が絡んでいる以上、真相を明らかにする以外、方法がないのだ。
上妻は、事件の異常さに、ただただ、驚愕した。
「そんな異質なことが、本当に起きているのかね。もし、これらの自殺案件を、精神状態を操作して、仕向けたというのなら、脳波を調べてみたい。脳科学者ではないから、何とも言えんが、北九州の監禁事件があったじゃろう。ほら、確か、一人の男が、何世帯もの人間を、何年も精神支配し、殺害していた、凶悪事件だ。あれに、匹敵するんじゃないのか?」
「残虐性は似ていると、私も思います。ただ、今回の事件は、少々、事件の色が違います。一連の犯行全てを、菊池が、単独で起こしているとは、到底思えないのです。菊池が、婚約者を失う前、就いていた職業は、建設業です。システムエンジニアなどの、専門知識を持たない男が、Tor中継システムを駆使して、匿名化したり、依頼人たちと、接触を果たすとは、思えません」
「そのシステムは、素人には、扱い難いのかね?」
「捜査二課の話では、素人には、ハードルが高く、ある一定以上の、知識と経験が、必要らしいです」
「つまり、第三者が、菊池利浩を操っていると?」
「そこまでは、分かりませんが、利用されていることは、間違いないでしょう。その為に、危険を承知で、宣戦布告して、菊池の動向を監視しています。警察組織の圧力に屈して、共犯者を引っ張り出せれば、兆しが見えます」
「それには、『百分の壁』を崩す、しかないのだな?聞く限り、菊池利浩は、既に、不起訴処分となっている。仮に、毒性の成分を調べ直して、『百分の壁』を、覆したとしよう。一度、判決で、無罪が確定しているんだ。訴追は、出来まい。どうするつもりだ?」
「確かに、訴追は出来ません。但し、立証にあたり、虚偽の報告をしたとなれば、違う角度から、裁判のやり直しを申請できます。これにより、菊池だけでなく、共犯者の存在が浮上し、連動して、悪の根を絶つ事が、出来るやもしれません」
(………)
「事情は、理解した。……結論から言おう。トリカブトと、フグの毒性成分を再抽出し、時間配分を検証する事は、可能だ。そして、即効性ではなく、遅延性に富んだ配合に、仕立てる事も、可能だと思う」
(------!)
(------!)
(------!)
氏原は、上妻の両肩を掴んで、食いついた。
「それは、本当に、本当ですか!!」
「ああ、勿論だとも。それより、年寄りは、丁重に扱ってくれると、助かるわい」
「あっ、すみません。気をつけます、はい」
「分かってくれれば、良い。…ただ、派閥は違えど、同じ学会だ。風通しは、悪くなるな。……いや、ちょっと待て。事件は、七年前だと言ったね。その裁判は、七年前のいつかね?」
(………?)
「十二月だったと、記憶していますが」
(……十二月か)
「そうか、少し、そのまま、待ちたまえ」
上妻は、パソコンを開くと、学会専用のサイトに接続し、過去を遡って検索する。
(……そうだったのか、読めたわい)
「吉報だ、佐久間くん」
(………?)
「教授選考会と、学会の理事会選挙だよ」
「選考会と選挙、どういう事でしょうか?」
「良いかね、ちょっと、これを見てくれ。年甲斐もなく、今日は、興奮しっぱなしだよ」
上妻は、ホワイトボードに、各大学の教授名と、所属を書き出していく。
「私の思惑が正しければ、実際の裁判も、原告側・被告側は、このように、分かれたはずだ」
〇香川大学 椎原(被告:弁護側)
〇熊本大学 唐沢(被告:弁護側)
〇徳島大学 大門(原告:検察側)
〇東都大学 船尾(原告:検察側)
〇北海道工業大学 髙橋(原告:検察側)
「裁判記録に載っている供述者は、椎原教授と髙橋教授です。ただ、傍聴席に座っている配置は、上妻教授が仰る通り、合っています。これが、何を意味するのですか?」
上妻は、この上なく、ほくそ笑んだ。
「ふふふ、こればかりは、警視庁の君にも、分かるまい。これはな、選挙戦の配置でもあるんだ。七年前の十二月といえば、熊本大学では、唐沢くんが教授選考会で、教授に選出された月じゃ。唐沢くんは、当時、助教授でな。退官する教授と折り合いが悪く、前任教授は、自分の後任者に、他所の大学から、当て馬を連れてきたんだ」
「その、人物というのは?」
「東都大の、船尾教授門下生だ」
(………)
「選挙は、唐沢氏に軍配が上がった、ということですか?」
「ああ、そうだ。ただ、唐沢の当選には、裏事情があってな。奴らは、密約を結んでいたと噂があった。同時期に、学会理事会選挙があり、徳島大学の大門、東都大の船尾、それに、道工大の髙橋が立候補していた。徳島大学の大門と香川大学の椎原は、元同門で友人であり、椎原は、唐沢と旧知の仲だ。つまり、唐沢は、教授になる為に、多額の賄賂を、全員にばらまき、両選挙は、この五人に、有利に働いたんだよ。おそらく、何億もの大金が、動いたはずだ」
(------!)
(------!)
(------!)
「一大学の助教授に、そんな大金が、あるのですか?同じ公務員の、私からは、想像もつきませんが?」
「儂のような研究者や、普通の公務員は、確かに金がない。だが、妻が、良家なら話は違う。この五人の大学には、付属の医科大学があって、繋がりも深いから、潤沢な金が動く。有名な大学とは、人も、金も集まる。だから、学費も高いんだよ」
(………)
佐久間が、この配置表を眺めていると、川上真澄が、持論を持ちかけた。
「ねぇ、何とか、この結果を、逆手に取れないかしら?」
「同感だね。ぜひ、九条大河の考えを、聞かせてくれ」
「上妻教授が、トリカブトと、フグの調合結果を、覆したと仮定すると、裁判のやり直しとなり、当時、結託した五人の教授たちは、相当慌てるはずよ。選挙期間中に、裁判に巻き込まれるのは、時間的にも、不利益でしか、なかったはず。選挙戦に集中したい五人は、早期決着させようと、口裏を合わせ、争点と結論を、自分たちで操った。新事実が、明るみになれば、偽証罪が適用され、全員、現在の地位を失う。時間経過でしか、真相を問えなかった判例として、全国民が注目する、裁判になるわ」
(鬼才とは、正に、九条大河を指すのだろう。この推理通りなら、教授陣が、徒党を組んで、拒む理由も、説明がつく)
佐久間は、上妻教授に、頭を下げる。
「上妻教授。警視庁捜査一課としては、九条大河の推理を、支持します。警察組織が、上妻教授の地位が、揺らがぬよう、学会に働きかけますので、何とか、ご助力頂けないでしょうか?」
(………)
「頭を上げてくれ。そんな、小細工は不要だ。儂は、自分の信念に基づき、一研究者としての、成果を出そう。報酬は、……そうだな、『三角港の、馬刺し特上、三人前』で手を打とう」
(------!)
(------!)
(------!)
「五人前、ご馳走します。では、何とぞ、よろしくお願いします」
「しかと、承知した。但し、二ヶ月ほど、時間をくれ。それまでに、結果を出してみよう」
「二ヶ月ですね、分かりました」
「検証の期間、警視庁捜査一課は、どうするんだ?」
「菊池を監視しながら、背後関係も洗います。これまでの被害者や、依頼者の中に、見落としがあるかもしれません。もう一度、検証してみようと、思います」
氏原が、半ば、呆れた表情で、苦言を呈した。
「上妻教授、真に受けては、ダメです。佐久間の癖で、佐久間が、『検証する』と発言する時は、社交辞令なんです。左脳の、この辺りで、ほぼ犯人を特定しているか、目星をつけている時です。学生時代からの、付き合いなので、分かります」
「本当かね?」
「恐ろしい人ね、あやかりたいわ」
佐久間は、微笑する。
「三十パーセントと、いったところですよ。まだ、菊池利浩、教授陣、共犯者が、点のまま、線で結べていません。関係性を紐付けて線にして、線を面にする。包括的な解決まで導くのが、自分の役目です。『誰がために鐘は鳴る』のか。真相が明かし、被害者、遺族の心を、救いたい」
「じゃあ、私も、臨時職員として、力を貸すわ。さっさと、正義の鉄槌を食らわせて、次の作品を、早く世の中に、出すんだから。勿論、今回の事件をテーマにするわ」
「九条大河先生、ぜひ、その作品は、先に読ませてくれ」
「勿論、捜査協力してくれる、上妻教授には、最優先でお届けしますわ」
「頑張る。死に物狂いで、頑張る。佐久間警部、約束したぞ」
「ええ、私が証人です。お願いします」
こうして、ほんの僅かであるが、光明が見えたのである。




