氏原の躍動と葛藤2(2024年編集)
~ 警視庁 捜査一課 ~
氏原の報告を受けた佐久間は、川上真澄を、臨時職員として、雇用する手続きを済ませてから、特命捜査対策室に招き入れた。
「待たせて、申し訳なかったね。公職を担う事になるから、みなし公務員にならないと、特命捜査対策室には、入室出来ないんだ。守秘義務が発生するからね」
「なるほど、分かった。でも、私は小説家よ。副業は、大丈夫なのかしら?」
「その点なら、問題ない。公務員の中には、小説を書く人間もいて、審議されるんだ。公共性に適していると判断されれば、特別に許可される。九条大河は、一発でOKだったよ」
「なら、安心ね。これで、堂々と、捜査に協力出来るわね」
「ああ、助かるよ。まずは、当時の裁判記録から、読み返そうじゃないか」
二人は、菊池利浩の裁判記録を、懸命に読み返した。七年前の記録だが、当時のことが、細かく載っている。
事件背景、逮捕の経緯、逮捕直後の記録、取り調べ、検察調書、裁判結果など、時系列で整理され、いつでも、再捜査出来るように、整理されている。
「ねえ、氏原さんが、言っていた事は、本当なの?」
「ああ、電話を切った後、氏原からメールで、詳細報告が届いたんだ。椎名って教授は、随分と、菊池利浩に、執着しているようだった。毒物の検証も、形式だけ行って、体裁を取り繕ったみたいだ。業を煮やした氏原は、わざと、更なる検証を求めたが、予算が掛かるなどの理由で、体よく断わられたようだ。私の勘が正しければ、被告側の人物かもしれない」
川上真澄は、首を傾げる。
「変ね、被告側なら、検察の敵じゃない。何故、氏原さんは、この人物を訪ねたのかしら?科捜研の、捜査協力者ではないのかしら?」
「そうか、となると、被告側ではなく、原告側かもしれないな。えーと、裁判の出席者リストは、……これか?香川大学の、椎原…香川…かがわ。……あったぞ。やはり、被告側だ」
「被告側に、椎原教授がいるということは、他にもいる。そう思うべきね」
「その通りだね、直ぐに、氏原に確認しよう」
「…プルルルルルルル」
「はい、氏原」
「何度もすまない、もう、ホテルか?」
「ああ、一杯やっている。お前は、まだ帰らんのか?残業はいかん、千春ちゃんが、寂しがるぞ」
「茶化すなよ、氏原が言っていた、『妙な空気』の、正体が分かったぞ」
(------!)
「聞かせてくれ」
「香川大学の椎原教授は、菊池利浩の被告側で、証人を受けた人物だ。科捜研で、どうやって探し当てたんだ?」
「いや、科捜研の部署が、保管している学会資料から、毒物学の権威者を、リスト順に選別しただけだ。どの裁判に、誰が関わっているかなんて、科捜研じゃ分からんよ。あの野郎、裁判の事は、知らん存ぜぬ、だったんだぞ。もろ当事者じゃないか。だから、捜査の進捗を知りたがったんだな。俺も、舐められたもんだぜ」
「文句を言いにいくか?付き合うぞ?」
「いや、行かん。顔を見るのも、不愉快だ」
「明日、どこを訪問する予定だったかな?」
「徳島大学の大門教授、東都大学の船尾教授。明後日は、熊本大学の唐沢教授。明明後日は、北海道工業大学の髙橋教授だ」
「良いか、氏原。今後、訪問する者たちは、椎原教授の息が掛かっているはずだ。十中八九、毒物の検証には、否定的だろう。裁判しても、『判決は覆らない』と、言われるのが落ちだ。それでも、行くか?」
(………)
「行かねば、なるまい。椎原教授が、既に、手を回しているはずだ。ここで中止したら、椎原教授の行為を、無にする事になる。例え、『捜査協力を得られない』としてもだ。個人じゃなく、科捜研として、仁義だけは、切っておきたいんだ」
氏原の男気が、良く分かる。佐久間は、氏原の意向を汲むことにした。
「まあ、仁義は必要だな。行くのは構わないが、菊池利浩のことを、根掘り葉掘り聞かれても、知らぬ存ぜぬで、惚けてくれ。敵の中に、飛び込むんだ。心中、穏やかでいられないと察するが、とにかく、熊本で、合流するまで頼んだぞ」
「分かったよ。それにしても、答えが無いと分かって行くのは、辛いな。でも仕事だ、我慢するよ」
「よろしくな」
真相を知った二人は、残りの教授が、該当しないかを確認してみる。
「これを見て。原告側に、北海道工業大学の髙橋教授が載っているわ」
「…他の教授名は、載っていないな。傍聴席に、座っていた可能性も、否定できまい」
(どういうことだ?被告側・原告側の両方に、教授たちが関わっている?)
~ 一時間後、丸の内線の車内 ~
帰宅中、思考を巡らす佐久間に、川上真澄が、小説家としての、見解を述べた。
「原告・被告の両方に、教授名があるということは、全員が『共犯』と、考えるべきよ。同じ学会に、所属していて、『裁判では、敵味方に分かれるけど、勝たせたい方に、勝つ証言をしようぜ』って、裏取引したんじゃないかしら。もしかしたら、検察側の教授たちは、『立証する筈だったが、金か名誉に目が眩み、裁判を諦めた』のかもしれない」
「九条大河の作品には?」
「あるわ、悠久の彼方という作品に」
「九条大河の意見には、賛同出来るね。教授陣が対立していたら、意地でも、検察側についた教授たちが、根拠を提示したはず。そこから、思考を前に進めようじゃないか。…両陣営にとっての、重要な要素は、菊池利浩で、間違いない。でも、全員が、何故そこまで、菊池利浩に肩入れをするのか。全員が、菊池利浩に、助けて貰った構図なら、分かりやすいが、そうではあるまい」
「家族の弱みを、握られているとか?」
「いや、違うな。弱みを握られているのなら、検察と手を組み、菊池利浩を抹殺するはず。菊池利浩を助ける方が、利があるからと、考えた方が良いだろう」
「真相が、読めないわね」
開札を出て、大通りを、二人並んで歩く。吐く息が少しだけ、白くなる。
川上真澄は、店頭の陳列を見ながら、『はっ』と、ある考えが浮かんだ。
「菊池利浩の仇討ちに、賛同したんじゃないかしら?だって、同情の余地は、十分にあるし、心情的に『助けてあげたい』って、感情が芽生えた。まず、それを教授の誰かが思って、協力者を集い、組織化した。辻褄が合うわ」
「一理あるね。婚約者を、目の前で助けられなかった、菊池の絶望は、計り知れない。世の中全てを、敵にしても、仇を討つ心情は、十分に共感出来る」
(------!)
この時、佐久間の脳裏にも、ある考えが横切った。
(菊池利浩は、婚約者を失い、婚約者を殺した犯人たちを、粛清した。教授たちは、毒殺の解明に消極的だった。警察組織が、菊池を訴追する事を警戒している。何故、今、菊池を逮捕する事に、警戒する必要がある?…菊池が困る。教授たちも困る。全員が困る。…それは、何故だ?この事件を究明すると、誰が一番困る事になる?)
(………?)
「どうしたの?何か、浮かんだの?」
立ち止まって、思案する佐久間を、川上真澄は、不思議そうに見つめる。
「……今、色々なことが、脳裏に浮かんでね。無風だったところに、強風が来て、全てを飛ばす感じがしたんだ。本来、所轄署の采配で、捜査を締めていた自殺案件を、捜査一課で、洗い直したことで、発覚した新事実。再捜査から、全てが始まったんだよ。捜査線上で浮上した、復讐サイトに関わっていると、思われる菊池利浩。菊池利浩に追従して、捜査の壁に、なりそうな教授たち。関係者を、大勢巻き込んで、この事件の終着点は、どこに行くのかと思ってね」
「あら?この前の、プランBは?」
「プランBは、少し、改変が必要かもしれない。逮捕と訴追を行い、かつ、菊池利浩が、復讐サイトの運営者で、サイト自体を消滅させて、被害者たちを、全員救う。ここまでは、良かったんだがね。…菊池を逮捕し、訴追まで出来ても、背後に、教授陣が関わっているのなら、事件の闇は深いし、根本的な決着には、ならないだろう」
「完全決着は、まだ遠いってことかしら?」
「どう導けば、本当の完全決着になるのか。それは、復讐サイトの撲滅だし、相談者の心が晴れること、被害者の心が解放されること、二度と、被害者や加害者が出ないことだ。つまり、菊池利浩の罪を問うだけでは、収束出来ないと、気がついたよ。七年の時を経て、犯人が、菊池以外にも、存在するとしたら、厄介だ」
「拗れるばかりだわ。気を付けないと、泥沼に填まるわよ」
(………)
「捜査の方向だけは、間違わないようにしよう。さあ、もう家だ。晩ご飯を食べて、早く寝て、明日に備えよう。千春が、待っているしね」
「そうね、とりあえず、今日は、この話はお終い。千春さんだって、困るし。世間話をしましょう。お父さんの、話でもするわ」
「和尚の?楽しみだ」
(とりあえず、氏原と合流して、熊本大学教授の出方次第だな。まずは、そこから展開しよう)
~ 翌日、東都大学 ~
(やはり、午前中の徳島大学教授と、一緒の反応か。しっかり、裏で組んでやがる)
佐久間の読み通り、香川大学の椎原教授が、自分が対応した内容を、情報共有した様で、紹介を受けた教授たちも、同じ見解を示し、捜査の引き延ばしが目的だと、真意が、見え隠れする。
重々、承知している事だが、何の成果もなく、引き上げざるを得ない。
氏原は、後ろ髪を引かれる思いで、正門を後にすると、瀬戸内の風に、背中を押されながら、バス待合場に向かった。
(田舎だから、次のバスまで、四十分も、あるじゃないか。…しんどいな)
溜息をつく氏原の足元に、自分以外の影が映る。
(------!)
「君は、…確か、船尾研究室の?」
「大平と言います。客人を、このまま帰しては、失礼に当たります。送りますよ、どうぞ、車へ」
(送る?大平とは、話をしてないぞ。研究室で、視線は、感じていたが)
状況が見えぬまま、大平の車内へ同乗すると、波止場方面へと発進した。
「突然すみません。バス停で、あなたに話しかけているところを、万が一、船尾教授に見つかったら、私は解雇です。でも、どうしても、話をしなきゃ、そう思いまして」
「…トリカブトと、フグ成分のことかい?」
大平は、ハンドルを握りしめ、黙って頷いた。
「船尾教授は、あなたに嘘をつきました。詳細は分かりませんが、先日、船尾教授が、誰かと話している内容を、ドア越しに、聞いてしまったんです」
(…おそらく、椎原だろうな)
「どんな内容か、聞かせてくれ」
「相手の声は、分かりません。内容も、分かりません。ただ、船尾教授が言ったことは、覚えています。『科捜研が来たら、丁重にお断りしておく』って言っていました。それと、『今更、裁判の事を、蒸し返されても、困る』と」
(------!)
「大平くんと言ったね。船尾教授は、実際、この配合について、詳しいのかい?」
大平は、力強く、頷いた。
「右に出る者は、いません。砒素、フッ素、その他の毒物学に精通していて、学会では、最上位に位置します」
「では、その気になれば、再検証は可能か。…それが、君が言う『嘘』なんだな?」
「……はい。船尾教授を売るようで、心が痛いんですが、警察や科捜研に、嘘をつくこと自体、自分の良心が『それで、本当に良いのか?言わないと、後悔するぞ』と葛藤が。…どうか、この事は、内密にお願いします」
(良心の呵責という奴だよ、大平くん)
「勿論だよ。警視庁捜査一課にも、内密に伝えよう。決して、君の名前は、表に出さない配慮もする」
「それを聞き、安心しました」
大平の車は、波止場を通過し、寂れた商店街を過ぎた、路地で停車した。
「ここから、真っ直ぐ歩けば、JR線の駅です。道中、お気を付けて。話すうちに、船尾教授は、何かの犯罪に、加担しているのだと、確信しました。今のうちに、研究成果を纏めようと思います。研究室が無くなれば、私も、死活問題ですし、何とか、そうならない様、祈ってますがね」
「大平くんの考えは、正しいと思う。近々ではないと思うけど、近い将来、警視庁の手が、東都大学に及ぶだろう。今のうちから、準備をしておく事を、強く勧める」
氏原は、大学に戻る大平の車を、姿が見えなくなるまで、見送った。
(やはり、嘘をつかれていたか。疑惑が、確信に変わったよ。椎原に船尾、それに、徳島の大門。全員、共犯で間違いない。これだけでも、来た甲斐があった。…大平くん、情報をありがとう。おそらく、君の勇気ある告発が、事件を救う鍵となる。そんな気がするよ)




