合縁奇縁(2024年編集)
~ 東京都 府中市 ~
「あら、菊池さん。こんな所でどうしたの?帰宅にしては、早いのね?」
「ああ、奥さん、こんにちは。営業回りで、寄ったんだ。早く帰っても、女房に煙たがられるから、時間を潰しているんだよ。あっ、愚痴のことは、言わないでくれ」
「ふふふ、分かったわ。じゃあ、また」
近所の妻と、挨拶を交わした菊池利浩は、公園のベンチに腰掛け、タバコを咥えながら、公園内の遊具で遊ぶ子ども達を、眺めていた。
(黄昏れ時に、無邪気な子供たちを、見守る。…悪くない)
「お前が、営業回りとはね、菊池」
(-------!)
この声色を、忘れるはずもない。
全身の毛が、逆立つ。
逆光で、視界が遮られていても、合縁奇縁の男が、いるはずもない、この地に立っている。
「…佐久間警部が、こんな、府中市に、何の用だ。俺は、会いたくないんだが」
「私は、菊池の顔が、見たくなってね。…元気そうで、何よりだ」
(………)
「そりゃあ、どうも。営業姿の俺を、冷やかしに来たのか?言っておくけどな、俺は、今や、善良の市民だぞ?税金使って、無罪の者に付きまとう程、今の警視庁は、予算が余っているのかい?」
菊池の発言に、佐久間は苦笑いする。そして、『昔のまま、変わっていない』と思った。
「相変わらず、口が達者な男だな。分かっているさ、一事不再理だろ?その件で、会いには来ない。…もうすぐ、七回忌じゃないか。里香さんに、香典を渡したくてな」
一瞬、菊池の表情が緩む。
(………)
「覚えていて、くれたのか。…ありがたく、献花に当てる。律儀な、旦那らしいな」
公園のスピーカーから、故郷の音色が流れる。
「ほら、故郷も言っているぞ、良い子は、家に帰れってな。それで、旦那。本当は、何の用だ?ただ、香典を渡すためだけに、来たんじゃないのだろう?」
「…すっかり、日が浅くなったな。もう、夕暮れの、蒼の時間だ」
佐久間は、タバコに火をつけると、
「今、巷で、自殺者が増えているのを、知っているか?」
「何だよ、藪から棒に」
「正確には、自殺に見せかけたり、自殺するように、相手を誘導するんだ」
(………)
「現在、追っている事件なんだがね。何人もの女性が、復讐代行のサイトと関わっていて、その復讐対象者が、自殺しているんだ。完璧な手口で、痕跡を消してだ」
「…ふーん、それで?」
「被害者の女性たちは、肉体的、精神的に病んでいて、サイトに依存している。事件を追っていくうちに、少しずつ、全容が見えてきたんだ。徹底した手法が、誰かさんに、酷似していてな」
(………)
「妄言を言いに、こんな遠くまで、ご苦労なこった」
そっぽを向く菊池に、佐久間は、構わず、語りかける。
「この女性たちには、共通点がある。精神的に追い詰められて、仕方なく、復讐代行に依頼したことだ。当人たちからすれば、復讐代行は、『救いの神』なのだろう。それは、逆に、警察組織が、不甲斐ない証拠でもある」
(………)
菊池は、耳を傾けていたが、佐久間に向かって、唾を吐いた。
「…面白くないね。話を聞く限り、俺が、『復讐請負人だ』と、言いたげだな?言っておくけどな、俺は、『七年前の、あの日から、死んだまま』なんだよ。他人の復讐なんて、興味ないね」
「本当か?」
「クドいぜ、旦那。はっきり言ったら、どうだ。警視庁捜査一課を、名誉毀損で訴えてやるから」
(………)
佐久間は、ブランコに腰掛け、メモを読み上げる。
「七年前、菊池利浩は、大事な婚約者を失った。特命捜査対策室で、おさらいしたんだよ。…目撃者の話によると、お前と別れた後、婚約者は、酔っ払いの二人組に絡まれ、一人が婚約者の髪の毛を引っ張り、暴行した。悲鳴を聞いた菊池は、直ぐに助けようとしたが、酒瓶で頭部を殴られ、気を失ったまま、病院送りとなった。二人組みは、婚約者を、車道に向かって放り投げ、婚約者は、生命を落とした。目撃者の証言と、防犯カメラ映像の記録から、二人組みは、千葉隆弘と馬渕智仁である事が判明し、全国に指名手配された。だが、両名とも、三ヶ月後に、トリカブトのアコニチンと、フグのメサコニチンを配合した毒によって、死亡した。トリカブトのアコニチンは、即効性があり、直ぐに死ぬと認識されていたが、司法解剖の結果、二人とも、摂取した百分後に死亡したと判明。当時、二人が殺害された付近に、菊池利浩がいた事から、『私怨による、復讐によるもの』として、第一容疑者として、逮捕・起訴されたが、菊池利浩には、現場不在証明があり、審議が割れた。検察は、死亡要因となった毒物の、時間的な科学根拠を立証出来ず、菊池利浩の主張通り、刑事訴訟法の一事不再理が適用され、無罪となった」
「長々と、どうも。事件経緯は、合っておりますよ。それで、旦那の感想は?」
「誰もが、婚約者を殺した犯人に、復讐を果たしたのは、菊池利浩だと思うだろう。だが、当時の科学力では、立証が出来なかった。それで、今日に至っている」
「…正論だね。逃げた犯人の側に、俺がいて、犯人は死んだのだからな」
「これが、江戸時代の藩制度なら、藩によっては、誉れになっていただろう。『仇を討った、よくやった』とね。だが、残念ながら、日本国憲法では、認められない。…『婚約者の仇を討ちたい』は、感情移入してしまうのも、事実だ」
(………)
「それなら、良いさ。とにかく、この一件で、誰も、俺を裁く事は出来ない。新事実が判明して、最高裁が、裁判のやり直しを命じない限りね。だから、府中市は、平和だよ」
「被害女性を守りたいという、気概に関しては、菊池利浩の、右に出る者は、少ないだろう。それは、未だに、自責の念が、菊池利浩の中に、強くあるからだ。今日は、その事を、伝えたかった」
(………)
「何がなんでも、『俺が、犯人だ』と言いたげだな、おい。……まあ、いいや。因みに、俺は、何の容疑者だ?ここまで、一方的に疑われたんだ。ぜひ、聞かせてくれよ」
菊池利浩の目を見据え、佐久間は、ゆっくりと語る。
「佐伯頼宗、神崎俊夫、坂田利之、土屋知洋、計四名に対する、殺人教唆容疑、殺人容疑だ。戸籍の不正取得、威力業務妨害、偽計業務妨害など、様々だが、精神状態を操作した罪も、問うつもりだ」
(------!)
刹那的に、菊池が、眉根を寄せた。
(四人の名前で、僅かだが、反応したな?……誰に対してだ?)
(………)
菊池もまた、佐久間の目の奥に、『自分をどう洞察しているのか』を、感じ取るように、敢えて、戯けてみせる。
「…中々の知能犯だな、その犯人。俺ではないが、同じ臭いを、感じるな」
「私の勘が、外れていた場合には、辞表を出すつもりだ」
(------!)
「腹を括るっていうんだな?……そうかい。じゃあ、せいぜい、俺の現場不在証明と、捜査中のサイトが、俺に関与しているって、証明する事だ。俺は、逃げも隠れもしない。警視庁捜査一課の新事実と、菊池利浩の無実。どちらが正しいか、世に問おうじゃないか?」
「菊池の完璧主義は、類を見ない、天下逸品だ。だが、必ず証拠を揃えて、止めてみせる。これ以上は、菊池の好きにはさせない」
菊池利浩は、高々に笑った。
「宣戦布告、しかと承った。そろそろ、お暇するぞ、女房にどやされるからな。旦那も、早く帰れよ」
菊池は、手を振りながら、ゆっくりと去っていく。
(賽は投げられた)




