土谷智洋の母校(2024年編集)
~ 東京工業大学 ~
「警部、おはようございます。やはり、他殺ですか」
佐久間より、連絡を受けた、捜査課長の安藤が、山川を、応援に向かわせた。
「おはよう、山さん。先程、土屋知洋の部屋で、水銀が検出されてね。父親にも、捜査了承を得たばかりだ」
「東京工業大学に、何か、手がかりが?」
「ナオという女性が、在学しているかは不明だが、交友関係を調べてみよう。建築科三年だそうだ。まずは、教務課に相談してみよう」
佐久間たちは、守衛に、警察手帳を提示すると、教務課へ案内された。
「本日は、どのような、ご用件でしょうか?」
(まだ、公にしていないからな。まあ、当然だろう)
佐久間は、大学側が、過度に反応しないよう、ゆっくりと説明する事にした。
「実は、昨日、東京工業大学に在籍中の、土屋知洋さんが、他界しました。司法解剖中ですが、他殺の線で、交友関係を調べていましてね。土屋知洋さんの友人から、心当たりがないか、事情を伺ってみたいのですが」
(------!)
「土屋知洋さん、ですか。…確かに、当学の建築科三年ですね。担当教授に、至急確認を取りますので、そのまま、お掛けになって、お待ちください」
「東京工業大学の生徒が、事件だって?」
「殺人事件らしいよ」
「土谷智洋って、知っているか?」
「いや、これだけ、人数が多いんだ。分からんよ」
教務課の中で、他の職員が、動揺し始める中、受付の男性職員は、努めて冷静に、連絡を入れる。
十分後、土谷智洋の担当教授が、血相を変えて、やって来た。
「近藤研究室の土屋くんが、亡くなったって、本当ですか!先週の講義では、あんなに元気だったのに、信じられません!」
「警視庁捜査一課の、佐久間と山川です。市販の解毒鎮痛剤と、アルコール多量摂取で昏睡し、救急搬送されましたが、昨日、亡くなりました」
(------!)
(土屋くんが、飲酒を?)
「土谷智洋は、酒を飲めない。近藤研究室の飲み会でも、ジュースを飲んでいましたから。挨拶が前後して、すみません。担当教授の、近藤と申します」
(やはり、飲酒はしないか)
「近藤教授。捜査につき、憶測で申し訳ありませんが、土屋知洋さんに、付き合っている女性は、いませんでしたか?」
近藤は、首を横に振った。
「私的事項は、流石に、分かりかねます。交遊がある研究生なら、何か知っているでしょう。丁度この後、講義があります。講義後に、聞いてみたらいかがでしょうか?私から、捜査に協力する旨を、伝えてみます」
「よろしくお願いします。警察組織は、目立たないように、廊下の片隅で、待たせて頂きます」
近藤教授は、講義を開始する前に、土屋知洋の死について触れ、教室は、一時騒然となった。教室内が、落ち着きを取り戻すと、『交遊がある者は、警察への捜査に協力して欲しい』と訴え、講義後、二人の生徒が、佐久間の元へ、やって来た。
「あの、土屋が、死んだって、本当ですか?」
二人は、刑事を見るのが、初めてなのか、緊張の色を隠せない。
(殺人事件だし、刑事っていうものは、怖いというイメージがあるから、仕方が無いな)
佐久間は、口調を改める。
「君たちは、タバコは、吸うのかな?」
「はっ、はい、吸いますが」
「おっさん達もだ。一服しながら、話さないか?先程から、無性に、吸いたくてね」
喫煙所を案内されると、佐久間は、生徒が緊張しないよう、心掛ける。
「急な依頼で、すまないね。二人は、土屋くんと、よく遊んでいたのかな?」
「はい、アルバイトも一緒だし、よく買い物や、クラブで踊ったりしてました」
「クラブか、おっさん達の時は、ディスコだったな。マハラジャって、知ってるかい?」
「聞いた事あります、お立ち台で、ジュリアナですよね?」
「よく知っているね、土屋くんに、彼女は、いたのかな?一緒に、踊っていたとか?」
「ええ、いますよ。…って、あれは、彼女かな?お前、どう思う?」
「うーん、彼女と言えば、彼女だし。まだ、違うと言えば、違うし」
「何か、微妙な、言い回しだね。どうしたんだい?」
「土屋は、伊藤直美っていう、一緒にバイトしていた娘に、夢中でした。何度も口説いて、やっと、デート出来たって、言ってましたから」
(伊藤直美。…ナオミ、…ナオ。おそらく、該当だ)
「色々と、すまないね。良かったら、コーヒーも、飲むかい?」
「良いんですか!ありがとうございます」
二人は、すっかり、緊張も解けて、気さくな佐久間に、心地良さを感じていた。
「同じアルバイト先だって、言ったね。君たちは、どこで働いているんだい?」
「居酒屋です。十五時から入ると、晩ご飯が、賄いで、安く食べられるから、人気なんです」
「それは、いつの時代も一緒だね。当時、貧乏でね、飯を食うのが、一番大変だった。ちなみに、居酒屋は、どこにあるんだい?」
「自由が丘です。純連っていう、居酒屋です」
「居酒屋、純連ね。自由が丘ってことは、山さん、ここから、どのくらいだい?」
「自由が丘駅なら、東急大井町線ですから、大岡山駅から二駅ですな」
(近いな)
「君たちは、伊藤直美っていう、女性のことは、どのくらい知っているのかな?仲は良いのかい?」
「今年の初めから、一緒です。すらっと、華奢な可愛い娘ですよ。好みではないですが、土屋は、『一目惚れだ』って、言ってました」
「一目惚れか、あるあるだね。見てみたいな。伊藤直美は、今日、アルバイトの日かい?」
「はい、シフトが入ってるはずです」
「そうか、色々とありがとう。喫煙所で話したことは、四人だけの、秘密にしてくれないかな。近藤研究室でも、話さないで欲しいし、近藤教授に聞かれても、世間話しか、していないと言ってくれると、助かるよ」
「そこまで、徹底するという事は、…あの、…伊藤直美が、犯人なんですか?」
(………)
「うーん、事情を知っている、知らないは、会ってみないと、何とも言えないかな。土谷くんのように、事件に巻き込まれる、可能性だってある。それを、おっさん達が、実際に会って、確かめるんだ。だから、悪戯に、周りが騒いでしまうと、伊藤直美の、身の危険に繋がる事に、なりかねないから、決して他言しないと、約束してくれ」
「大人の世界ですね、分かりました。今日、刑事さんと話して、怖い人ばかりじゃない、って、よく分かりました。何か出来る事があれば、協力します」
「うん、ありがとう。その時は、助けてくれ」
大学の敷地から出ると、山川が、満足そうな表情を見せる。
「警部、当たりですね」
「ここまではね。一つだけ、腑に落ちない点があるんだ」
「腑に落ちない?」
「土屋知洋は、飲酒しないって言ったね。救急搬送された時、市販の解毒鎮痛剤と、多量のアルコールを摂取していた。つまり、酒を飲まされたんだ」
「水銀で、あらかじめ、身体の自由を奪われていて、飲まされたのでは?」
佐久間は、首を横に振った。
「藤田医師は、麻痺していたのは、右手だけだと言っていた。つまり、少しは、抵抗出来たはずだ。部屋を見る限り、アルコールが、溢れた形跡がなかった。無理矢理、摂取させるには、かなりの確率で、抵抗されるはずだから、到底、女性一人の力で、出来るとは思えないんだよ」
「つまり、協力者がいると?」
「おそらくね。とりあえず、伊藤直美が、居酒屋に現れたら、身柄を押さよう。念のため、日下たちには、建物の周囲で、待機するよう指示してくれ」
「分かりました、手配します」