九条大河の提案(2024年編集)
~ 都内、佐久間の自宅 ~
「お帰り、先に、やってるよ」
「お帰りなさい、遅かったわね」
友人の氏原が、嬉しそうに、出迎えてくれる。病院で、山川と別れた後、氏原に、晩酌しようと、電話を入れていた。気が滅入る捜査の後は、この明るい雰囲気が、気持ちを切り替えてくれ、何よりも、嬉しい。
「いやあ、もう少しだけ、千春ちゃんと、夫婦ごっこを、したかったなあ」
「よく言うよ、千春、ただいま」
佐久間は、軽装に着替えると、氏原が注ぐビールで、軽く喉を潤す。
「お前が、帰ってくるまで、どんな話をしていたと思う?」
(…共通する内容だと)
「大学時代のことか?」
氏原は、ほくそ笑んだ。
「残念、お前と千春ちゃんの、初対面さ」
台所から、食事を運ぶ千春は、照れ臭さそうに、笑みを浮かべる。
「氏くんがね、『どうしても、知りたい』って言うから。触りしか、話してないわよ。ほら、あなたが、部室の窓を開けて、急に入ってきて。その時、目が合ったじゃない。あれには、驚いたわ。だって、窓は、外の地面から、あなたの背丈くらいの、高さだったはずよ。普通、あんな所をジャンプして、部屋に入ろうなんて、誰も考えないはずよ。学校関係者でなかったら、不法侵入だわ」
「氏原、これで、気が済んだか?」
「いいや、まだだね。俺だったら、一目惚れした時点で、その場で口説くね。それが、女神への、礼儀ってもんだ。それを、お前は!」
佐久間は、千春の目を、恥ずかしそうに見ると、苦笑いする。
「あの時は、単純に、部室内の友達に用があったのだよ。あの場所から、茶道室に行くには、ぐるっと、校内に入って行くから、時間を掛けるのが、面倒だった。一言、用件を伝えるだけだったから、茶道室には、友達一人だけだろうと、勝手に思い込んで、窓は高かったが、ジャンプして、侵入したんだ。でも、茶道室には、千春だけが座っていて、目が合った瞬間、時間が止まったのは、本当だ。あの場で、真っ直ぐな、千春の目を見たまま、気を引く話なんか、出来ないよ。とにかく、恥ずかしくて、秒で逃げ出したかったな。舞い上がってしまって、正直、どんな話をしたか、記憶にないよ」
「千春ちゃん。こいつさ、その夜、俺の部屋にやって来てさ。今思い出しても、引く位、舞い上がってた。『氏原、一目惚れって、あるもんだ!あれは、女神だ!』とか言ってさ」
「へえー、それは、初耳ね」
「恥ずかしいから、止めてくれ、氏原」
「良いじゃないか。そんで、『そんなに可愛いのなら、見に行こう』って話になって、俺も、一目惚れして、俺たちは、恋の競争相手になった。まあ、千春ちゃんは、佐久間に、ぞっこんだったがね」
「へえぇ、じゃあ、もしかしたら、氏原のおじちゃんが、ママと結婚していたかも、しれないの?」
「こら、絢花。早く寝なさい」
「えー、滅多に聞けない話なのに」
「パパが恥ずかしいんだ、頼むよ」
「へへへ、分かった、おやすみなさい。それと、パパ、お帰りなさい!」
「ああ、ただいま。タオルケットは、お腹に掛けて、寝るんだぞ。智己の分も、見てやってくれ」
「うん、分かったよ、智己、行くよ」
「…うーん、もう少し、居たいんだけどな」
「ダメだって、パパ、困ってるよ」
絢花と智己が、中々聞けない話に、名残惜しそうに、二階へと戻っていく。
バタバタと、響く足音を聞きながら、三人で晩酌を始めた。
「そう言えば、また、物騒なことを始めたんだってな。科捜研にまで、噂話が、聞こえてきたぞ。あろうことか、板橋警察署の幹部三人が、鶴の一声で、異動させられたって、言うじゃないか?絶対、お前が噛んでいるだろう?」
「身内を庇う体制は、時には必要だが、組織全体を窮地にする。やむを得なかった」
(………)
「…そうか。今日は、何があった?」
佐久間は、広告の裏側に、簡単なメモ書きをする。
「守秘義務があるから、話せる部分だけ、説明するよ。今日、大学生が亡くなってな。他殺の疑いが出てきたんだ。去年から、自殺者の身辺を洗ってるんだが、法令の、際どい部分が目立ってな。電車に乗りながらもそうさ。法律って、何だろうって、考えてしまったよ」
氏原と千春は、苦笑いする。
「それは、また、難題だな」
「電車で、何かあったの?」
「ある自治体かな。残土置き場がないから、残土の始末に悩んでた。残土条例があるから、簡単には捨てられないらしい。地球温暖化で、水位が上昇し、地盤が沈むのなら、超法規措置で、埋め立てれば良いのに、誰も責任を負いたくないから、提案すらしないと聞いて、情け無いと思った。話が飛躍するかもしれないが、海面の上昇が、想定出来るのなら、大量の海水を、ろ過利用して、砂漠地帯を、どんどん、緑化すれば、二酸化炭素の軽減に繋がるんじゃないか?国単位で、争ってないで、世界各国で、金を出し合い、取り組んでみる価値はある。戦争している場合ではないし、環境保護法に、振り回されている気がして、ならないんだよ」
「本当に、果てしなく、飛躍したな。それで、思った事を、その電車内で、悩んでいるお役人に、進言してあげたのか?」
戸惑う二人に、苦笑いする。
「流石に、所管が違うし、話したところで、聞き流されただろう」
「まあ、そうだろうな。それで、本題の悩みは?」
「すまん、脱線した。捜査の件でな、対象をABCとしよう。対象Aは、自殺。Aは、自殺する前に、Bにセクハラ、パワハラ、ストーカーをしていた。Bは、ある復讐サイトで、Cに、Aへの復讐を依頼。Cは、依頼された通り、Aを、様々な手法で追い込み、自殺させた。これを裁くために、苦労していてな」
(------!)
これを聞いた千春は、思わず、両手を叩いた。
「あなた、それって、真澄ちゃんの、今、書きかけの小説に、載っているわよ。確か、類似話を、真澄ちゃんから、聞いたもの」
(------!)
「千春、川上真澄に、電話してくれ」
「うん、ちょっと待ってて」
千春は、川上真澄に、電話で事情を説明し、佐久間と代わった。
「とても、面白い事件を、捜査しているみたいね。私の小説、出せなくなるじゃない?」
「こっちも、驚いてるよ。九条大河としては、どんな結末を?もしかして、一事不再理に注目しているのかい?」
「察しの通りよ。でも、一事不再理は、小説の世界設定よ。現実に、あなたの捜査で、起こってるの?」
「ああ、その通りだよ。今のままでは、犯人を捕らえても、他殺の物的証拠が無い以上、起訴出来たとしても、良くて教唆、下手をすれば、幇助だから、遺族は報われない」
「あなたのことだから、それが歯痒い。…ということは、犯人は、復讐サイトの人間かしら?」
「九条大河、作品でも?」
「…ええ。復讐サイトというか、復讐軍団なんだけどね。あーあ、これじゃあ、私の小説は、お蔵入りだわさ。あなたに、自分の小説を送ってあげる。参考になるはずよ」
「ああ、楽しみにしてるよ」
電話を切った佐久間は、深い溜息をついた。
「難しい話題だな。流石の敏腕警部も、お手上げか?」
「今のところはね。氏原、今夜は、泊まっていってくれ。明日、一緒に、行って欲しい場所がある。面白い展開が、待っているかもしれないぞ」
(………)
「それは、脳天気で、阿呆な友人ではなく、科捜研の俺に対する、お誘いか?」
佐久間は、満面の笑みを浮かべた。
「鑑識知識で、氏原の右に並ぶ者は、いないからな」
(………)
「分かった。窮地の盟友に、手を貸そう。千春ちゃん、見ていてね、そして、褒めてね」
「はいはい、仲が良いんだか、悪いんだか」