一事不再理(2024年編集)
~ 千代田区 警視庁 ~
坂田利之の死から、二日後。
警視庁内では、捜査一課と捜査二課による、合同捜査会議が行われている。佐久間の要請を受けた、捜査二課が、解析を積み上げ、一定の成果を出せたからである。佐久間は、捜査二課の報告を受けたうえで、捜査方針の見直しを、図る予定である。
「…ここまでが、坂田利之が、自殺を図るまでの流れだ。債権者の取り立て、不倫、強姦容疑、痴漢容疑、離婚。時系列で整理すると、犯人の陰険さが、良く分かる」
「徹底した、追い込みですね」
「自分だったら、耐えられません。死を選ぶ方が、楽かもしれないな」
「今日の捜査会議では、これまでの捜査で、漏れが無かったかの確認と、捜査二課の成果を照合して、必要部分の見直しを行いたい。捜査二課は、状況を報告してくれ」
捜査二課の田中が、中間報告を始める。
「田中です。依頼された谷口文子、井上真奈美について、詳しく解析してみました。ネットの履歴を照会していき、何とか、共通する部分を見つけました」
(ほう?)
「点が、線になったか。詳しく、頼む」
「分かりました。この二人の共通点は、セクハラ・ストーカー被害でしたので、復讐サイトなどの、所謂、闇サイトを中心に、アクセス履歴に絞った結果、あるサイトの検索履歴が、一致しました」
(------!)
山川は、答えを急いだ。
「じゃあ、もう決まりじゃないか。そのサイトの利用者か、運営者が犯人かもしれない」
(………)
(…いや、決めつけは、いかんでしょう)
(何故、答えを急ぐのか?話は、まだ続くのだから、聞いてからで、良くない?)
(また、暴走しちゃったよ。佐久間警部から、御せられるぞ)
他の捜査員は、冷ややかな目で、静観する。捜査一課の、日常的なやり取りに、不慣れな田中は、この発言を、慌てて否定した。
「待ってください。断定は、いくら何でも、早計過ぎます。このサイトを、利用したからといって、依頼内容までは、特定出来ていません」
ここで、佐久間が、口を開いた。
「では、逆の発想で、サイトの運営側から、二人への、接触履歴を追えるか?」
(………)
「接続ログが、今のところ、発見出来ません。でも、実際に、犯行が起きているので、間違いなく、二人に対して、接触しているはずです。もしかしたら、Tor中継システムを、利用してるかもしれません」
(初めて聞く名だ)
(何だ、それ?)
(専門用語だと、いう事は分かる)
捜査一課の誰もが、首を傾げた。
「その中継システムを、詳しく教えてくれ」
田中は、ホワイトボードに、要点を書いていく。
「では、分かりやすく、解説します。普段、何気なく、使っているパソコンですが、パソコン自体に、個別番号を持っています。それが、IPアドレスです。サイト運営側は、記録を見ると、どのIPアドレスから、どの時点で、接続されたかを、確認することが出来ます。ここまでは、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だ。先に進めてくれ」
「しかし、このTor中継システムを利用すると、IPアドレスが匿名化され、さらに、海外サーバーを経由することで、完全に足取りを消して、相手の懐に入ることが出来ます。捜査二課では、このシステムに触れる事案が多く、サイバー犯罪の件数も、増加傾向にあります」
(………)
「そうなると、ネット上で、自分の個別番号を消して、谷口文子や井上真奈美と、接触を試みた、という訳だな?」
「はい、その通りです。二人のパソコンを回収すれば、誰と接触したかは、分からないまでも、依頼の内容は、確認出来るかもしれません。でも、Tor中継システムで、初回交渉だけして、具体的な手法を、対面で行っていたり、手紙や暗号など、パソコンを使用しない手段で、行っている場合は、証拠を押さえるのは、困難でしょう」
(………)
日下が、佐久間に尋ねる。
「佐久間警部、二人に対して、任意で事情を聞く事は、まずいでしょうか?」
「…今は、避けるべきだろう。世間的には、佐伯・神崎の二人は、自殺だ。この状況で、任意で事情聴取することは、『他殺の線で、警察が調べているぞ』と、宣言するに等しい。仮に、任意で事情を聞けたとしよう。二人は、『サイトを利用して、簡単な仕返しを頼んだだけで、殺害は依頼していない』、と言い逃れるだろう。例え、犯人を捕まえても、『仕返しに、追い込みを掛けただけ。死んだのは、自殺した者の、精神力が弱いだけ』、と言い逃れるだろう。それを防ぐために、立件するには、物的証拠が、絶対条件だ」
「では、指を咥えて、見ているしか、出来ないのでしょうか?」
(………)
「犯人を、復讐サイト側の人間と仮定し、中途半端ながら、逮捕出来たとしよう。だが、ここからが、肝心なのだが、大切なことだから、留意して欲しい。刑事訴訟法に、『一事不再理』というものがある。日下、説明してみろ」
(------!)
「……えーと、ですねえ」
「殺人の『故意』を認定することが、極めて困難なため、『過失致死罪』等で、有罪など、一度判決が確定したら、同じ行為について、再度、訴追することは、不可ということだ。つまり、仮に、自殺に追い込んだ犯人を、逮捕して、起訴したとしよう。でも、殺人の故意を認定出来ないから、過失致死罪で、罪を問えたとしても、収監されるのは、ほんの数年だ。もし、新事実が出てきて、当時より、重い刑罰を望んでも、追起訴は出来ない。数年間、犯罪を止めるか、確たる証拠を得て、完全に、元を断つか、慎重に判断しなければ、犯人は、逃げ得で、遺族も、故人も報われない」
「…中々、厳しいですね」
「強行犯の中には、刑事訴訟法を、熟知した者が多い。当然ながら、一事不再理の事も、把握していて、最大限、利用する者もいる。だからこそ、警察組織は、物的証拠と状況証拠を揃えて、闘うんだ」
突然、会議室の、ドアが開いた。
「会議中、失礼します。港区の東京慈恵会医大から、不審死の通報です。『司法解剖した方が、良さそうな患者がいる』と連絡が入りました!」
(------!)
「とりあえず、会議は、ここまでだ。捜査二課は、引き続き、Tor中継システムの、解析をお願いしたい。捜査一課は、もう一度、谷口文子と井上真奈美の、身辺を洗ってくれ。山さんは、東京慈恵会医大に同行。では、全員、捜査に戻れ、解散!」
(……今度は、不審死か。嫌な予感がする)