状況証拠(2024年編集)
~ 東京都 港区 ~
愛宕警察署より連絡を受けた、佐久間たちは、浜松町駅近くの、雑居ビルに駆けつけていた。
規制線の外で、鉄道職員たちが、捜査状況を、見守っている。
(何だか、様子が変だな)
「何故、事件現場に、鉄道職員が?」
「あの男は、痴漢容疑で逃走する際に、鉄道職員を、ホームに、突き飛ばしたんです。まさか、自殺を図るとは、思いませんでした」
(………)
佐久間は、捜査状況を、横目に見ながら、溜息をついた。
「…どう見ても、訳ありだな。衝動的に、自殺を図ったのか、…それとも」
「警部、介入されますか?この状況では、自殺と断定して、早々に、締めそうですが」
(………)
「裏取りが、全部、済んでからだ。自殺を図るまでの、過程を確認してから、引き上げよう。山さん、悪いが、機動捜査隊に、そう、伝えて来てくれ」
「分かりました、少々、お待ちください」
佐久間たちは、現場検証を、初動捜査メンバーに任せて、浜松町駅に向かった。道中、鉄道職員から、事情を聞いた。
「自殺の発端が、痴漢容疑だったとしても、そう易々と、自殺を選ばないでしょう。衝動的になったとしても、他の要因が、あるかもしれない。まず、確認なのですが、痴漢したのは、間違いないのですか?」
「車内からの連絡で、『痴漢容疑者が、浜松町駅で、列車の最後尾で下車するから、待機してくれ』と。鉄道職員は、鉄道警察隊と、列車の到着を待ち、構えていました。ドアが開いた瞬間に、制止を振り切り、なりふり構わず、逃走したんです」
赤信号だ。
「痴漢被害者の証言は、押さえてますか?」
「駅舎の事務室に、まだ、いるはずです」
「では、警視庁捜査一課も、立ち会わせてください」
「鉄道職員としても、助かります」
~ 浜松町駅 駅舎事務室 ~
痴漢被害者が、単身、職員用の椅子に座らされ、時間を持て余しながら、モニターを見ている。
(…誰も、相手にしていないのか?)
佐久間たちを見た、痴漢被害者は、『やっと、解放される』と言わんばかりに、
「良かった、これで、帰れるわ。あの痴漢、捕まえてくれたんですか?」
(………)
「容疑者なら、先程、自殺しました」
(------!)
被害者は、言葉を失ったようだ。
「警視庁捜査一課の、佐久間と申します。容疑者のことは、残念でしたが、あなたが、殺人を犯した訳では、ありません。警察組織としては、自殺の原因を特定し、捜査しなければなりません。事実確認に、ご協力ください」
「…分かりました」
佐久間は、事務的に、質問を始める。
「あなたの氏名と年齢は、既に聞かれたと思いますから、省略します。痴漢に気がついたのは、どの駅ですか?」
「有楽町駅…だったと思います」
「どの車両に、乗車をしましたか?先頭車両ですか?」
「最後尾です」
「痴漢に遭った時、あなたは、どのように、乗車していましたか?素振りをしながら、状況を教えてください」
(………)
「…確か、右手は、手すりを掴んで、左手で、スマホの画面を見てました。お尻の右側を、こんな感じで、撫でられたんです。サワサワって、感じで」
「それは、不快でしたね」
「ええ、とても、気持ち悪かった。というか、怖かったです」
「あなたが、『容疑者を見つけ、声を出した』で、合っていますか?」
被害者は、首を、横に振った。
「『やめてください』と声を出したのは、私ですが、誰が犯人なのかは、分かりませんでした。でも、一人の男性が、『僕は、見ていた』と、容疑者を指差しました。その途端、容疑者の周りから、人がいなくなったんです」
(………)
「人がいなくなった、つまり、その時点で、あなたは、被害者の立ち位置を、把握した。その容疑者の位置から、あなたの尻に触ることは、出来たのか。これが、まず、状況証拠としての、ポイントです。それと、犯人だと証言してくれた男性は、その後、どうしましたか?」
(------!)
(------!)
駅舎内の職員たちは、互いに、顔を見合わせる。初めて、対象者がいない事に、気がついた。
山川は、呆れた様子で、職員たちに、問いかけた。
「まさか、どさくさに紛れて、容疑者は見失う、証言者の行方は、分からない。ていう、お粗末な話じゃ、ないでしょうな?」
(------!)
(------!)
駅舎内の空気が、固まった。
「お嬢さん。やはり、氏名を教えてください」
「小林かな子、二十六歳です」
「小林かな子さん、端的に伺います。あなたは、その目で、痴漢行為を見ていない。痴漢に遭われたのは事実で、第三者の証言で、逃走した男が、犯人と思い込んだ。違いますか?」
(------!)
小林かな子は、自分の思惑とは違う、佐久間の見解に、戸惑いながらも、反論する。
「…まあ、はい。でも、皆の前で、見たと言う人がいたら、それを信じますよね?私、被害に遭ったんですよ。警察は、犯人を庇うんですか?」
(………)
佐久間の眼光が、鋭くなった。
「小林さん、感情論で、話をしていません。もし、自殺した男が、冤罪だったら、話が変わってきます。容疑なのか、嫌疑なのか、見極める必要があり、それを証明するためには、『痴漢行為だ』と、証言した男性に、協力を仰ぐことが、絶対条件です。どさくさに紛れて、いないようですが、あなたが、ホームに降りた時、その男性が、一緒に降りたか、覚えていますか?」
(………)
「ホームを降りる寸前まで、容疑者を掴んでいたような…。ドアが開いた途端に、容疑者が大暴れして、危険だから、直ぐに、ホームの奥まで、下がりました。覚えているのは、容疑者が、誰かを突き飛ばし、逃走する瞬間と、転落した人が、線路から助けられるところです。てっきり、その男性も、その場に残って、証言をしてくれると、疑いもしなかったので、確認はしませんでした」
(………)
「分かりました。では、質問を、元に戻します。位置的に、容疑者は、あなたの尻右側を、触ることが可能でしょうか?」
「…少し、位置が、遠いかもしれないです。…でも、触って、直ぐに離れたのかも。私が、悪いって言うんですか?さっきも、言いましたけど、私は、被害者なんですよ」
「良い悪いの、議論じゃない。痴漢行為は、犯罪で、許されない行為だ。しかし、冤罪で、嵌められたかもしれない、人間がいることも事実です。テレビで、弁護士が、度々、言っていますよ。『疑われたら、まず逃げろ』とね。何故なら、どんなに正当性を訴えようと、事務室に、連れていかれた時点で、社会的信用を無くす、リスクが高いからです。その点を踏まえて、事情を伺っています。痴漢という容疑は、程度に関係なく、一瞬で、その人生を、大きく狂わせてしまいます。だからこそ、慎重に、見極めます」
山川が、職員たちに促した。
「呆けてないで、証言した男性が、映っていないか、監視カメラ映像を確認した方が、良いんじゃないのかい?あんたらも、失念したんだろう?自殺した容疑者が冤罪で、証言した男が、真犯人だったら、大問題になるぞ」
(------!)
(------!)
「直ぐに、映像を確認しましょう。おい、皆、手伝ってくれ!」
こうして、手分けした、映像解析が始まった。精査すること、二十分。
(------!)
(------!)
(------!)
「なっ、そんな!…どうして?」
小林かな子が、両手で口を覆う。
「…この男性が、証言者ですね?」
「…はい。助けてくれた男性です」
カメラ映像は、ホームのドアが開いた途端、自殺した男が、鉄道職員の制止を振り切り、逃走する様子を鮮明に残している。鉄道職員、小林かな子が、呆然としている様子も、映し出された。
「……警部」
「……ああ、答えが、出たな」
「証言者は、ホームを降りることなく、不敵に笑いながら、乗車したままです。逮捕劇を楽しんでいる。…どうやら、嵌められましたね」
(………)
「山さん、直ぐに、自殺現場に戻るぞ。自殺者の身元を割り出し、これまでの経緯を洗おう。今までと同じ、嫌な予感がする。小林かな子さん、あなたには、今後も、事情を確認する事になります。証言者とは、面識が無いですね?ここからは、偽証罪が適用されるので、慎重に答えてください」
(------!)
小林かな子は、震えている。
「偽証罪ですか?…はい、めっ、…面識は、無いです」
(………)
下を向きながら、答える仕草に、違和感を覚えた佐久間は、意地悪く、もう一度尋ねた。
「小林さん、疚しくないのなら、私の目を見て、お答えください。もう一度、伺います。証言者とは、面識が無いですね?」
(------!)
「めっ、面識は、ありません。知りません」
(………)
「分かりました。では、連絡先を教えてください。何かあれば、電話します。警察組織の任意聴取は、これで終いです。後は、鉄道職員の指示で、お引き取りください。非礼、お詫びいたします」
駅舎を後にした二人は、駅舎の入口が、見える範囲の、死角に隠れた。
「警部、私が、尾行しましょうか?」
「助かるよ。小林かな子は、明らかに、嘘を付いている。証言者と共犯とみた。どこかで、合流するかもしれない。山さんは、尾行は程々にして、面が割れていない、日下たちと交代してくれ。自殺現場は、私の方で、対応しておく」
「了解です、では、後程」
事態が、動き始めた。