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茫然自失(2024年編集)

 ~ 東京都港区 ~


 捜査二課に、佐久間が、捜査協力を求めている頃、坂田利之は、浜松町駅で鉄道職員と揉め、駅から、二百メートルほど離れた、雑居ビルの隙間に、逃げ込んでいる。


(はあ、はあ。……何で、こうなった?あの日から、俺の人生は、急転直下だ。誰か、教えてくれよ)


「どっちに、行った?」

「まだ、近くにいるはずだ」

「警察の応援部隊は、まだか?」


 迫る脅威に、胸が張り裂けそうだ。坂田は、呪うように、回想する。


 四ヶ月前の、()()()を。



 ~ 一月八日、坂田利之の職場 ~


「坂田さん、二番に、お電話です」


「あいよ。…もしもし、坂田ですが?」


「坂田利之さん、(わたくし)、タイユウクレジットの、田所と申します」


(タイユウクレジット?…知らない名だ)


「あの、勧誘の類は、結構ですから。勤務中なんで、切りますよ」


「勧誘ではなく、負債のことで、電話した次第です。あんたの奥さん、ウチの会社から、多額の借金をしてましてね。利息が、焦げ付き始めたんですわ。『亭主には、内緒で』と、今まで、ウチも、散々待ってやったんですがね。慈善事業しとる訳じゃないから、限界ですわ。会社のロビーに来てるから、今から、伺います。きっちり、話をつけましょうや?」


(------!)


「困るよ、君!!」


 坂田の声が、職場内に響き、周囲の目が、坂田に向けられる。


(まずい!)


 坂田は、縮こまって、受話器を覆いながら、会話を続けた。


「こっ、会社(ここ)じゃ、まずいから、外で話しましょう。会社の近くに、喫茶店があるから、そこで、伺いましょう。…ええ、直ぐに、行きますよ」


 慌ただしく受話器を置き、外出ボードに、得意先回りの札を掛け、コートに手を掛けた。


「坂田さん、どちらへ?」


「中村商事だ。一時間程で戻る、年始挨拶を忘れて、叱られたんだ」


「あらら、それは大変。いってらっしゃい」


 ロビーから、外を窺い、債権者がいないことを、確認した坂田は、まず、妻に電話を入れた。


「お掛けになった電話番号は、只今、電源が入っておりません」


(------!)


(……今日に限って、あの野郎)


 坂田は、債権者に会う前に、事実確認をしたかったが、妻とは、連絡がつかない。相手を、これ以上、待たせられないので、仕方なく喫茶店に向かった。



 ~ 会社近くの喫茶店 ~


(………)


 店内の様子を窺うが、どの男が、田所なのか、分からない。声色から、その筋の人間だろうとは、思うが、怖くて、一歩が踏み出せない。躊躇している背後から、先手を打たれてしまった。


「ここですよ、坂田さん、田所です」


(------!)


「逃げられては、困るからね。さあ、今すぐ、金を返してくれ」


「…妻は、いくら借金を?」


「三百万円」


「さっ、三百万!…冗談だろう?」


 田所と名乗る社員は、借用書を、ピラピラと、広げて見せる。


(イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン。……サンビャクマン)


 何度、見直しても、三百万円。間違いない。


(そんなあ、マジかよ)


 落胆の坂田に、田所は、追い打ちを掛けた。


「払えない場合は、…そうだねえ。会社に乗り込み、大声で、叫んでみようか?」


(------!)


「わっ、分かったから。直ぐに、そこの銀行で、用意する。用が済んだら、借用書を貰うぞ」


 坂田は、怒り心頭で、老後のためにと、蓄えた貯金を崩して、田所に叩きつけた。


「きっちり、三百万円。払ったから、借用書を寄こせ」


(………)


 田所の態度が、変わった。


「…おい、坂田さんよ。何、偉そうに、上から目線で話してるんだ?ウチは、慈善事業じゃないって、言ったよな?金を借してくれって、お願いしたのは、あんたの奥さん。泣きついたのも、あんたの奥さん。ウチは、待ってやったの。借りたものを返すのは、当たり前。感謝なら分かるが、何だ、その態度?ウチが、待ってやった分の、利息を上乗せしても、良いんだぜ?あっ?」


(------!)


「悪かった」


「はあ?悪かった?」


「……勘違いして、すみませんでした。それと、妻がご迷惑を掛けて、すみませんでした。以後、借金を作らないよう、言い聞かせますので、今日は、この三百万円で、どうか、勘弁してください」


(………)


「分かってくれて、嬉しいよ、坂田さん。じゃあ、約束の借用書だ」


 田所の機嫌が良くなり、何とか、借用書を受け取った。


(…老後の、三百万が)


「また、いつでも貸しますよ。でも、ご利用は、()()()に」


 田所は、札束を数え終わると、坂田の肩を軽く叩いて、愛想よく引き上げていった。


 坂田は、下唇を巻き込んで、噛むような仕草で、田所の背を見送る。


 居ても、立っても、居られない。


 仕事の事など、どうでも良くなった坂田は、『体調不良になったので、直帰する』と、一報を入れると、妻を問いただすため、急いで帰宅した。やってしまった事は、仕方がないが、まずは、冷静に事情を聞いてから、叱ろうと、電車の中で、何度も、自分に冷静になるよう、言い聞かせた。


「ただいま、……あれ、いないのか?」


 借金で、負い目を感じたのか、夜になっても、一向に、妻が、帰宅しない。


(……和子め。折角、話合おうって、待ってやったのに。帰ってきたら、ぶん殴ってやる!)


 怒りの矛先が、妻に向くなか、原因の妻は、とうとう、帰宅しなかった。


(……どこかのホテルか、実家に泊まったのかな。まあ、明日、ちょくちょく、様子を見よう)


 仕事の合間に、自宅に顔を出すが、戻った形跡はなく、あっという間に、七日が過ぎた。


 ここまで、時間が空いてしまうと、裏切られた怒りよりも、喪失感を覚えてしまう。


 妻とは、もう会えないのか?


 帰宅しても、自宅には、誰もいないだろう。寂しい夕食は、避けたい。坂田は、何気なく、活気のある、ファミレスに立ち寄った。


(良いね、この活気。寂しさが、紛れるぞ。一品ずつ、頼もう。まずは、……)


「ご一緒しても?」


 不意な声に、視線を上げた坂田は、心を打たれた。


(------!)


 自分好みの、三十代後半であろうか、黒髪が綺麗な女性が、微笑んでいる。


「どっ、どうぞ、空いてますよ」


 黒髪が綺麗な女性は、髪を軽くかき上げ、席を共にする。一連の所作に、見とれてしまった。


「イメージ通りの人で、良かった」


(………?)


「一人で食事するのが、寂しい夜って、あるじゃないですか。困って、歩いていたら、あなたが、視界に飛び込んで来たの。何となく、私と同じなのかなって」


(------!)


(捨てる神があれば、拾う神ありって、本当なんだ)


「僕も、今日は、何となく、帰りたくなかったので。これも、何かの縁だ。良かったら、ご馳走しますよ、何たって、美人だ」


「まっ、お上手ね。…あの、私は、名取雅代って、言います」


(可愛い名前だな)


「僕は、坂田利之と申します。ささ、何でも、食べたい物を頼んで」


「本当に、良いんですか?」


「勿論です。時間を持て余していたし、何よりも、楽しく過ごせますから」


 こうして、二人だけの、長い夜が始まった。


 意気投合した二人は、互いの家庭状況を話した。


「まあ、そんなことが。じゃあ、奥さんとは、連絡がつかないの?」


「残念ながらね。実家に電話しても、いないと言われ、どこで、何をしてるのやら。君は?」


「私ですか?…私も、似たようなものかな。旦那が、凄い亭主関白で。それが、嫌で、飛び出しちゃった」


「ふーん、そうなんだ。お子さんは?」


「子供は、いないわ。あなたは?」


「僕も、いないよ」


「…何だか、似てるね、私たち。ねえ、もう少し時間ある?私、お酒を飲みたいな」


(------!)


(これは、あれか?…誘われてるのか?今日、会ったばかりだぞ。…でも、こんな好機、二度とないよな?)


「そうだね、お酒を飲みに行こうか。カクテルは、好きかい?テキーラ・サンライズなんて、どう?」


「素敵な名前ね、美味しいの?」


「お勧めだよ。洒落ていて、小さな花火が、パチパチって、演出で付いてくるんだ」


「じゃあ、それが、良いな」


 坂田は、得意げな気分で、行きつけのバーに、名取を誘った。バーに向かう道中、名取は、坂田と腕を組み、もたれ掛かる。


(この感覚、久しぶりだ。昔、和子とデートした時も、こうだったな)


 酒が入った二人の距離は、急速に近くなり、三次会は、自然と、ホテルとなった。


(神様、今日という日を、ありがとうございます)


 一期一会の出会いと、大人の夜が、ゆっくりと過ぎていく。



 ~ 翌朝、都内のホテル ~


「んー、良い朝だ。……雅代?」


 目を覚ますと、名取雅代の姿は、既に無く、枕元に、置き手紙を見つけた。


(素敵な一夜をありがとうか。…こちらこそ、良い思い出を、ありがとう。また、会えるかな)


 人生、甘いことは、続かない。



 ~ 二日後、坂田利之の職場 ~


 坂田は、人事部長から、突然、呼び出しを受けた。それも、人事部室でなく、人目が付かない、屋上である。


(…転勤にしては、おかしいな。この時期に、何だろう。妻のことか?)


 腑に落ちぬまま、屋上に行くと、既に人事部長が、待っていた。


「すまないな、屋上(こんな所)に、呼び出して」


「いえ、大丈夫です。それで、お話というのは?」


「…用件というのは、これだ」


 人事部長は、胸元から、封筒を取り出すと、無言で、坂田へ手渡した。


「……何だろう」


(------!)


「こっ、これは!」


 二日前の、一夜の恋が、禁断の写真として、人事部宛に、届いたのである。


「君に、強姦されたから、君と、我が社を、訴えるそうだ。組織としては、到底、承認出来ない」


「ちょ、ちょっと、待ってください。確かに。…あああ、確かに、この女性とは、一線を越えましたよ。でも、それは、大人の出会いで、合意形成があった。強姦だなんて、とんでもない!!」


「不貞を、働いたことには、変わりあるまい。奥さんからは、会社宛てに、これが、届いたぞ。…全く、家庭の事情まで、会社に持ち込むなんて、君は、どこまで、自分勝手なんだ」


(------!)


 ……何が、起こっている?


(愛しの雅代()からは、提訴され、妻からは、このタイミングで、離婚届?…理解が追いつかない)


 坂田は、人事部長の胸にすがった。


「これから、私は、どうなるんでしょうか?」


(………)


 人事部長は、冷ややかだ。


「人事部宛てに、全裸写真と、行為の写真が、送られてきて、訴訟を起こすと、言っているんだ。言わずとも、分かるだろうが?」


「そんなあ。こんな、あっさりと、解雇(クビ)ですか?」


 人事部長は、首を横に振った。


「解雇だけではない。裁判になった場合は、裁判費用は勿論、起訴になってみろ、会社に対する、名誉毀損で、君を訴える事になる。それは、はっきり伝えておくぞ」


 坂田は、観念した。


「……お世話になりました」


 会社を去り、二ヶ月が過ぎた頃、離婚裁判で、妻に敗訴した。


 妻の不祥事で、三百万円を失ってから、一度も、妻とは会っていない。


 当事者同士の話合いは、叶わず、手続きの全てを、代理人弁護士で、対処してくる妻の、性根が、心底気に入らず、家庭裁判所の法廷で、暴言を吐いたことが、裁判官の心証を悪くし、それが、敗訴の引き金となった。さらに、日頃から、妻の尊厳を蔑ろにしたこと、精神的苦痛を受けていたと、代理人弁護士の訴えを、裁判官が認めたことで、慰謝料が、倍に跳ね上がったのである。


 即日控訴も辞さなかったが、『勝ち目がない』と、担当する弁護士に逃げられ、何より、金が尽きていた。


 会社を解雇され、妻には敗訴し、弁護士には見放され、途方にくれたまま、山手線に乗り、もう何周したかも、分からない。


 有楽町駅を過ぎたところで、突然、若い女性が、悲鳴をあげた。


「やめてください!」


(騒がしいな、静かにしろよ)


 横目で、傍観していると、近くの男性が、自分を指差している。


「痴漢は、こいつだ!僕は、こいつが、触るのを見た!」


(------!)


 坂田の周りから、人間が遠ざかる。そして、周囲の人間が、包囲する素振りを見せている。


 (………マジか)


(確か、こういう時は、事務室に行ったら、人生お終いと、テレビで見たな。…濡れ衣だと、言っても、誰も信じないだろう。ともあれ、逃げないと)


 坂田は、呼吸を整え、逃げる準備をした。想定とおり、浜松町駅のホームに降りた途端、押し問答が始まり、一目散に逃げ出した。


 駅ホームには、連絡を受けた駅員と、鉄道警察らしき人間がいたが、逃げる際に、突き飛ばした為、ホームに、転落するのを、横目で確認した。


(はあ、はあ。……何で、こうなった?あの日から、俺の人生は、急転直下だ。誰か、教えてくれよ)


「どっちに、行った?」

「まだ、近くにいるはずだ」

「警察の応援部隊は、まだか?」


(………)


 雑居ビルの隙間から、空を見上げ、自分の人生を呪った回想が、終わった。


(…もう、電車に乗れない。電車を止めたから、何千万円と、請求が来る。監視カメラに、自分の映像が残っているだろうし、きっと、逮捕される。冤罪を主張しても、刑務所行き、確定だろうな。…全く、最低な人生になっちまった。……何だか、もう、どうでも良いな。…疲れたし、楽になりたい)


(………)


(………)


(………行くか)


 坂田は、これまでの半生を振り返り、今後の生を諦めた。


 雑居ビル屋上から、身を投げ、四十五年の人生に、終止符を打ったのである。

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