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88話 パトラとの逢瀬

 パトラの元へと近づいていくと、足音で近くに来ているのが分かるのだろう。嬉しそうな表情でこちらを向いている。

 ここ数日、夜に抜け出しているのは彼女に会いに行く為だった。

 空中庭園の下にある部屋は盲目の王女パトラの部屋である。先の潜入の折に場所を確認してはいたが、まさかこう何度も来ることになるとは思わなかった。



 切っ掛けは些細なことが原因だった。

 エリック・ザントマーの居場所を探る為に再び王宮内へと侵入した私は、謁見の間で玉座に座りぼんやりとしているパトラを見つけたのだ。

 どうやら朝議の時間だったようで、話しているのはもっぱらパトラの隣に立つドルー・ドコロタだった。パトラのしていたことと言えばただ玉座の上で首肯するだけである。

 実際、彼女に何がしかの役割など求めていないのだろう。そもそも幼いパトラには話していることの殆どが意味不明な筈だ。

 だから決まったことを承諾して首を振るだけの人形となっている。王族として承認するだけの簡単な仕事で、ドルー・ドコロタもパトラに対してそれ以上の意味など求めてはいないのだから。


 そんな現場を見てしまった私は、朝議が終わり自室に戻ったパトラの様子を見る為に彼女の部屋へと向かった。

 扉の前には警備の衛兵は居らず、侍女が退室して彼女一人になった時にそっと音を立てないように扉を開けて忍び込む。

 音は立たなかった。それは間違いない。だが部屋の中のパトラは私がいる方向をじっと見つめてきたのだ。


 窓際の椅子に座ったパトラは、音を立てないように室内を移動する私の姿をいとも容易く追いかける。

 あまりにも簡単に居場所を見つけられてしまうのは何故だろうと思考してみたが、彼女は盲目であるが故に聴覚が普通よりも格段に発達しているのではないかという結論に達した。

 衣擦れの極々小さな音や僅かに漏れる呼気、果ては心音まで聴き取れているのかもしれない。

 パトラを相手に隠れることは不可能だと悟った私は諦めて窓際の彼女の側へと近づいていった。


「こんにちは、パトラ」


 彼女の側で膝をつき、顔の高さを合わせてから声をかける。

 声をかけられたことで誰か分かったパトラは、嬉しそうに手を伸ばしてきた。


「ホシミ! また会えたねっ!」


「約束しただろう? また君に逢いに来るって。私は約束は守る大人だからな」


 そう言ってパトラの手を取り顔に触れさせる。

 パトラは私の顔を撫で回し、頭や首、耳など様々な場所へと手を移していった。


「うん、ホシミだ……! えへへっ、えいっ!」


 手の感触でも私であると確信したパトラは、なんと大胆にも椅子から飛び込んで身体を預けてきたのだった。

 しっかりと抱きとめて、軽い彼女を抱えながら椅子に座った。するとパトラは母親に甘える幼子のように私を抱きしめて甘えてくる。


「今日は随分と甘えん坊だな」


 若干驚きながら尋ねると、パトラは寂しげな表情を浮かべながら理由を答えてくれた。


「だっておとーさまもおかーさまも、びょうきであまり会えないから寂しいの……」


 以前見たドルー・ドコロタの様子だと、恐らくは病が移るからとあまり面会させていないのだろう。

 実の両親が近くに居るのに会えないと言うのは、小さな子どもからすれば相当寂しいものに違いない。

 そんなパトラを不憫に思った私は、彼女の柔らかくて綺麗な栗毛を優しく撫でる。


「そうか……。私では君の両親の代わりにはならんが、気の済むまで甘えると良い」


「うん……。ありがと、ホシミ。ホシミはとってもやさしいね」


 胸に耳を当てて目を閉じるパトラ。私の心音を聞いているのだろう。

 人の心音には、気持ちを落ち着ける効果があると言われている。理由は胎児の時に母親の胎内でずっと聴いていた音だかららしい。

 そういえば泣いているユキミとユキノを宥めるユキユキが自分の心音を聴かせていることがあったのを思い出す。

 今のパトラも、その時と同じなのかもしれない。寂しくて泣きそうな心を落ち着けているのだろうと思った。

 私たちはまるで時間が止まったかのように、同じ体勢で座り続けたのだった。


 しばらく経ってからゆっくりとパトラが耳を離す。表情はどこかすっきりとしたような様子が浮かんでおり、彼女の心労を少しでも癒すことが出来たようだ。


「もう、良いのか?」


「うん、今はだいじょうぶ。だけど夜になったらまた寂しくなっちゃうと思うの。……だから、その、あのね?」


 少し逡巡したパトラの様子に、何を言いたいのか理解する。言おうか言うまいか悩んでいるパトラの言葉を待っていると、やがて意を決して口を開いた。


「前におかーさまがしてくれたみたいに、パトラと一緒にねむってほしいの……。だめ?」


 まだ小さなパトラに一人寝は寂しいのだろう、予想した通りの要求が来たことに少しだけ安堵する。

 その程度なら苦でもないし、夜にする作業も無かった私はパトラの望みを叶えてやろうと思った。


「ああ、良いよ。夜にまた君に逢いに来る。だから一つだけお願いがあるんだ」


「うん、なぁに?」


「この部屋の窓の鍵を開けておいてくれないか? そうすれば私は夜にパトラの側まで来ることが出来るから」


「わかった! お部屋の窓くらいならパトラにもあけられるもん! だからぜったいに来てねホシミ!」


「勿論だとも。約束だ。それと、私と会ったことは───」


「ふたりのヒミツ! でしょ?」


「そうだ。パトラは良い子だな」


 頭を撫でてあげると嬉しそうに目を細めるのだった。

 そして夜、再会した時に新しく交わした約束を守る為に私はパトラに逢いに行った。

 こういう経緯で、ここ数日は夜に外出していたのだ。




「今日も窓を開けてくれてありがとう」


 そう言って頭を撫でるとパトラは嬉しそうに笑う。


「ホシミがきてくれるからだよ、そうじゃなかったらパトラ、窓なんてあけないもん」


 パトラはそう言うとベッドの上をぽんぽんと叩いた。早く来いということだろう。

 靴を脱いでベッドの上に上がると、パトラの側で横になる。パトラは私の胸元に顔を埋めるような体勢でしがみ付いた。

 当然だが、私は透明化(ステルス)の魔術を解いていないので他の人が見ればパトラが少し浮いている場所に頭を置いているように見えるだろう。本来なら礼儀として解除するが、パトラは盲目だ。姿が見えなくても触れさえすれば問題ないし、他の人に発見される危険性も下げられる。不意の遭遇への対処がしやすいというのはそれだけで有意義だった。

 そんなことなど知らないし知ることもないパトラは、頭を擦り付けながら気持ちよさそうに目を細める。

 しばらく堪能してから、パトラは少しだけ寂しそうにぽつりと呟いた。


「朝おきたら、ホシミがいないの。でも、おふとんはあたたかくって、ギリギリまで側にいてくれたんだってわかってうれしくなるの。だから、ありがと、ホシミ。パトラのわがまま聞いてくれて」


「今日は(しお)らしいな。どうした、何かあったのか?」


 いつもは眠るまで他愛もないことを話すのだが、今日はどうやら少し違うようだ。気になって尋ねてみると、衝撃の事実を聞かされた。


「……おとーさまとおかーさまが、死んじゃったって、ドルーが言ってたの。すぐにげんきになるって……ぐすっ、言ってたのに……。おとーさま……おかーさまぁ……」


 何故気付かなかったのだろう。今日のパトラの目が赤くなっていたことに。この子は両親の死を聞いて私が来るまで泣き腫らしていたのだ。

 日中、王宮の方がざわついていたとスパロウマンから報告を受けていた。いつもの急に決まった軍事演習じゃないのか、と言っていたので詳しく調べなかったが……。

 私の診た限り、両陛下の具合は直ぐにどうこうなるものではなかったのだ。まさか、この国の両陛下が崩御していたとは思わないだろう。

 こんなことをするのは間違いなく、奴の仕業だ。ドルー・ドコロタ、幼いパトラを王座に据え、何を成すつもりなのか。

 そんなのは分かりきっている、戦争だ。只人(ヒューマン)以外の人を人と認めず排斥してきたのだ。このままでは異種族を殺し尽くし、行き着く所まで行ってしまう可能性が高い。


 翌日には民衆宛ての声明も出すことに違いない。更に異種族排斥の機運が高まってしまうのは時間の問題だ。

 それに、パトラをこんな所に一人で残していくのは忍びない。両陛下とやらがまだ生きていたのなら彼女に及ぶ危険は少なかった。だがこれからは違う。彼女は傀儡の王となり、ただ利用され、政略結婚の道具とされ、自分の意思など完全に剥奪された生を送ることになる。

 光と両親を失った少女に、それは余りにも酷なことだと思った。


「なあ、パトラ」


「……なぁに?」


 だから。せめてこの少女を連れ出してやりたいと思った。


「私と一緒に暮らさないか?」


「え……?」


 パトラは驚きに目を見開くのだった。



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