87話 クロースを受け入れて
王宮に忍び込んでから一週間が経過した。
スパロウマンの働きにより元イレネース邸に保護された者たちの数も順調に増えて、私はクロースらと共に治療を行いながら機を伺っていた。
あれから何度か王宮内で情報収集をしたことで、現在エリック・ザントマーはシン国を離れていることが判明した。何処に向かったのかは知らないが戻って来るのはおよそ三日後らしい。
このまま何事も無ければ、ザントマーが戻ってくる日に王宮を落とすよう段取りを整える手筈となっている。
「これで良し。あまり無理に動かさなければすぐに治る、利き腕が封じられて不便だとは思うが我慢してくれ」
「はい、分かりました。その……ありがとうございました」
傷付き腕を折られた獣人の女性に治癒魔術を掛けてから治療を施してやるとその女性は礼を述べてから部屋を出て行った。
「ふふっ、お疲れ様でしたセイゲン様。皆さんしっかりとした治療が受けられて喜んでいましたよ」
側で手伝ってくれていたクロースが笑顔で言ってくる。私はクロースの言葉に頷きながら椅子に深く腰掛けて足を伸ばした。
「まだあの程度だから治療しても何とかなっているがな。これが腕を落とされただの、内臓が無くなっただの言われたら私でもどうしようもない」
「セイゲン様でも出来ないのですか?」
「当然だ。切られたり無くなったりしてからあまり時間が経っていなければ戻せるかもしれないが……。基本的に、一度無くしたものは戻せないよ。治癒魔術と言えどそこまで万能じゃない」
例外は魔力量が飛び抜けているリアの治癒魔術くらいだろう。最大で一週間前に喪失した腕や臓器の再生が出来る治癒術者は、これまで長く生きてきたがリアしか見たことがない。私でも出来て一時間なのだ、それだけで彼女の凄さが分かる。
他にも人の形を留めている状態の即死(例えば心臓を貫かれたり、頭を射抜かれたり等だ)ならば直ぐに治癒魔術で蘇生させられるというのもリアにしか成し得ない芸当だろう。
当然、即死直後でなければ効果は無いので条件は厳しいのだが。
そんな私の話に「そうなんですね」と相槌を打ちながら手際良く治療道具を片付けてくれるクロース。
最初は自分でやると言ったのだがどうしても聞き入れて貰えず、今では完全に彼女に任せきりである。
何処か楽しげな様子のクロースを眺めていると、視線に気付いてにっこりと笑みを向けてくる。
「楽しそうだな」
特に意味もなく口から出た言葉だったが、クロースは律儀に返してくれる。
「楽しいですよ、とっても! 解放されて虐められたり辛い目に遭わされなくなったのもありますけど、何よりセイゲン様のお側に居られることが楽しいです!」
全て片付け終わり、治療道具の入った箱をテーブルの上に置いたクロースは、私の足下に両膝をついた。何をしているのだろうと思っていると、
「セイゲン様、これからご入浴なさいますよね? わたしがお背中を流しますね。勿論、セイゲン様がお望みでしたらお背中以外も……」
と言って膝に口付けてきたのだった。
「クロース、君はもう奴隷じゃないんだ。そんなことはしなくて良いんだぞ」
私はクロースの頭を離してからそう言うがクロースは止めようとはしなかった。
「確かにわたしは奴隷では無くなりました。だからこれはわたし自身の意思です、セイゲン様がご心配なさることはありません。ただ、もしセイゲン様がわたしを憐れむのでしたら───どうかわたしを貴方のものにしてくださいませ。以前も申しました通り、愛妾でも愛奴でも貴方の側に居たいのです」
そしてクロースは何度も私の膝に口付けをする。まるで自分はこの人に絶対服従すると示すかのように。
テコでも動かなそうなクロースの様子に彼女の本気の度合いが分かる。
だから私は彼女の手を取るのだった。
「この国でのやるべき事が終わったら私と共に来い。お前の望むだけ、私の側に居て、私の為に尽くせ。だからこれは私からの信頼の証だ」
驚くクロースを抱き寄せて彼女の長い耳に一度口付けてから本当の名を教えた。
「私の本当の名はホシミ。この国を出たら、そう呼んでくれ」
「はい……っ! 必ず! お慕いしております、ホシミ様!」
彼女の求めるままに、私は何度も口付けを交わすのだった。
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side:クロース
カミーユが死んだ。
それはわたしの人生にとって、体と魂に刻み込まれた辛い記憶を多少は晴らしてくれるものだった。
カミーユは只人で、わたしは森精種。寿命が違い過ぎるのだ、最初は彼女が死ぬまで耐えれば良いと思っていた。だけどそれが意味のないことだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
カミーユ・イレネースはわたしを気に入ってしまったのだ。自分が死んだら、一緒の墓に埋めようとするほどに。
心を凍らせながら耐えて耐えて耐え忍んで……。いつか救いの手が届くと信じて、そしてようやく彼が来た。
二人の只人が屋敷に来た時は、自分はこのまま犯されると思った。シンという国にとって、わたしたちは人ではないから。
だけど彼らは酷いことをすることは無かった。
それどころか、一人は同胞と婚姻しているのだと証拠の指環を見せてきたのだ。とても、とても驚いた。
更にその人は、カミーユを殺しに来たと言う。
彼の身に付けた指環の魔力の思念を感じ取ると、彼は同胞にとても愛されていることが分かった。
だからこの人なら何とかしてくれると信じられたのだろう。森精種の信じた彼を、わたしも信じてみることにしたのだ。
その結果は、カミーユ・イレネースの死とわたしたちの解放だった。
死ぬまで終わることのない苦しみから解き放たれたわたしは、深く感謝をし、自分を救ってくれた人物に尽くしたいと思った。
何も持たない自分が恩に報いるにはそれしか出来ないし、何より彼は優しい人だと思ったから。
既に複数の同胞に愛されている彼が同じ森精種である自分を振り払わないだろうという打算もあるが、ここ一週間ほどの様子を見て、彼がそろそろ居なくなってしまうのではないかと思うようになってきたのもある。
彼が消えてしまったら……そう思うと身体が震え出す自分に気付く。
自分の思わぬ弱さと惚れっぽさに呆れながらも、彼と共に生きたいと思う心を誤魔化すことが出来なくて、我ながらみっともない姿を晒して懇願したと思う。
でも、その甲斐はあった。彼は自分を受け入れてくれたのだ。
『この国でのやるべき事が終わったら私と共に来い。お前の望むだけ、私の側に居て、私の為に尽くせ』
そう言われた時、心の内から湧き上がる歓喜の声。そんなことを言われてしまったら、間違いなくこの命が尽きるまで彼に尽くしてしまう。
そんなわたしの心情など知らない彼は、優しい言葉で更にわたしを追い詰める。
『これは私からの信頼の証だ。私の本当の名はホシミ。この国を出たら、そう呼んでくれ』
ホシミ……ホシミ……ホシミ……ホシミ!
今まで偽名を使っていたのは何か理由があるのだろう、だけどそんなことはどうでもいい!
本当の名前を教えてくれたという事実だけがわたしの心を昂らせる。
ホシミ様、ホシミ様、ホシミ様、ホシミ様、ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様ホシミ様!
彼のことしか考えられなくなって、気付けばわたしは自分を抑えきれずホシミ様に何度も口付けをねだってしまう。それを嫌な顔一つせず全て受け止めただけでなく、わたしを離さないというように抱きしめてくれる。
ならばわたしも離しはしない。彼はわたしだけのものでは無いが、わたしは彼だけのもの。その事実だけあれば良い。わたしは彼にとっての都合の良い女でいたいのだから。
口付けが落ち着いたわたしたちは予定通り浴場へと向かったが、そこで背中だけ流してはい終わりということは無く。
わたしはホシミ様のものだと刻み込んでもらって、心身共に満たされてから気を失った。
とても満ち足りた気分だったが、一つだけ後悔があるとすれば、既にカミーユによって散らされた純潔を彼に捧げられなかったことだった。
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気を失ってしまったクロースを彼女の部屋に寝かせる。
のぼせた可能性も考慮して部屋の窓は開けて涼しげな格好をさせていた。氷も用意はしたが、とても気持ち良さそうな表情をしているので必要はないかもしれない。
「……まるで獲物を見つけた獅子のようだった」
浴場での出来事を思い返しながら呟く。
やはり鬱憤などが溜まっていたのだろうか。これで少しは楽になれば良いとは思うが。
しばらくするとクロースは目を覚ます。
視線を彷徨わせていたが私の姿を見つけると嬉しそうな笑みを浮かべてから手を伸ばした。
「ホシミ……さま、よかった……。ずっと側に居てくれたんですね……」
クロースの手を取るとさらに嬉しそうにする。
「あんな風にいきなり気絶されたら心配になるに決まってるだろう。身体は大丈夫か?」
若干呆れながら話しかけると、少しばつが悪そうな、申し訳なさそうにしてから身を起こした。
「はい、何とも無いみたいです。ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「なら良いが……。私はこれから少し出てくるからクロースは念の為しっかり休むんだぞ」
「かしこまりました。ところでこんな時間にどちらへ? もう十時を回っていますよ……そういえば昨日一昨日もどちらかへ出掛けていらっしゃいましたね」
小首を傾げて不思議そうなクロース。確かに夜から出掛けるというのはあまり無いだろう。こんな時間に開いている店なんて酒場か宿屋か、娼館くらいか。
「少し約束があってな。早朝には戻る」
「そうですか……。今夜は眠れないと覚悟していましたのに、残念です」
肩を落としてしょんぼりとするクロース。気持ちを伝えられてから、色々な表情を見せてくれるようになった気がする。
「そう残念がらなくても、時間はこれから山ほどあるんだ。必ず機会は作るから今日は勘弁してくれ」
私がそう言うとクロースは顔を上げて微笑んだ。まるで分かっているとでも言わんばかりだ。
「やっぱりお優しいですね。はい、そのお言葉を信じて今日は休みます。ホシミ様、わたしはいつでも良いですからね!」
その言葉に苦笑を漏らしてからクロースの部屋を出て外に向かった。
空には三日月が浮かび、涼しげな風が湯に浸かって上がった体温を下げていく。
透明化を使ってから飛行を行いイレネース邸からシン国の王宮へと移動した。
空中庭園の一つ下、其処が目的地である。
僅かに開いた窓を開けて中に入る。既に何度か入り込んでいるので中の様子は把握しているが、既に消灯された室内は暗く、奥の方は暗視無しでは何も見えない。そもそも、この部屋には照明の類いは少ないのだ。
何故ならば、この部屋の住人にとってはその程度は何の問題にもならないのだから。
「……ホシミ?」
ベッドの上で身体を起こしていた小さな少女は、窓の開く音と着地の足音を敏感に聞き取り声を上げる。
「ああ。『約束』通り、今日も来たよパトラ」
盲目の王女との、夜だけの逢瀬の時間の始まりである。




