6話 龍人の少女
一階へ上ると、そこには一人の少女がいた。
薄青の腰まで届く、波のような長い髪。目元にかからないように切り揃えられた前髪から覗く理知的な藍色の瞳。
背はココノハよりもわずかに高い程度だが、その下の胸部の成長具合は全然違った。大きい。髪色に近い薄青のドレスの上からもよく分かる。わずかに開いた胸元からは形が崩れないギリギリの大きさを保っている胸の一部が垣間見える。
口元には笑みが浮かび、編んだ左の横髪を撫でる手つきは妖艶だ。髪留めに鈴を付けているせいか、動かすたびに鈴の音が響く。
「おかえり、リア」
「はい、ホシミ様」
そんな彼女には、普通ではない特徴があった。
頭には角、そして背中には青い翼。空を統べる龍種の証。
「『氷龍ウィリアーノース』、只今戻りました」
ドレスの裾を摘み、優雅に一礼する彼女こそ。
世界最強の種族、龍人。その姫君である。
「逢いたかったですわホシミ様〜!」
私に向かって飛び込み抱きついてくる。
先程までの神聖で荘厳な雰囲気はどこへやら、いまでは飼い主に甘える仔犬のようだ。
「ホシミ様、ホシミ様ぁ。すんすん、あぁっ素敵っ頭が蕩けちゃいそうな匂いです……!」
仔犬というのは訂正する。ただの変態だこれは。
「みっともないぞお姫様。君の品位が疑われる」
「構いませんわ、だって今はわたくしとホシミ様の二人きり。蕩けるように甘く、激しく求め合いたいのです……」
上目遣いで身体をさらに密着させるリア。大きな胸が当たって形を変えるのが分かる。
が、彼女は一つ間違えている。気づいていないようなのでそれを教えてやることにした。
「残念だが二人きりではない。私の背後を見てみろ」
頭に疑問符を浮かべながら小首を傾げ、顔だけを私の背後に向ける。
引きつった表情で若干引いているココノハを目撃して、リアは固まった。
「うわぁ……。殿方に豊満な乳を押し付けてこんな真昼間から誘惑するとか痴女ですか……」
ココノハの声がこんなに低く冷たくなるのは初めてだ。
リアの身体がぷるぷると震えだす。
顔は耳まで赤面して頭から湯気が出そうなくらい熱くなっていた。
「穴があったら引きこもりたいくらいはずかしいですわ……」
リアの小さな呟きが、静寂に満ちる室内にやけに大きく響いた。
ーーーーーー
フリーズしてしまったリアを正気に戻し、立ち話もなんだからというわけでリビングでお菓子を摘みながら話の続きをすることにした。
「先程はその、お見苦しいところをお見せ致しました……。改めまして、わたくしは『氷龍ウィリアーノース』と申します。お気軽に、リアとお呼びくださいまし」
「わたしは純森精種のココノハです。それでえっと、リアさん?」
「なんでしょう?」
「わたしの記憶違いでないなら、あなたの名前は北の天災として伝わっていたと思うんですけど」
「ああ、そういえばそんなこともありましたわね」
軽い調子で答えるリアに、ココノハの頬が若干引きつる。
『氷龍ウィリアーノース』は北国で最も恐れられる天災の名だ。大陸北部を雪の降り止まない永久凍土の地に変えたのは他ならぬ彼女だ。
気象を無理矢理変えるほどの膨大な魔力量を有する、最強種の名に恥じぬ大いなる力の持ち主。
「今もなお北の龍人の国を守護しているといわれるそんなあなたがどうしてこんなところにいるんです?」
「それは……」
俯くリア。本来なら彼女はこんなところにいるべき人物ではない。そう問い質すココノハだったが。
「『愛』ですわ!!!」
リアは勢いよく顔を上げ、両手を胸元で合わせる。
表情はどこか恍惚としていた。
椅子から転げ落ちるココノハ。
「わたくしのすべてはホシミ様に捧げましたの。この肉体も、心も、魂も、純潔も、髪の一本から血の一滴に至るまで! 全部ぜーんぶ、ホシミ様のものなのです。だからわたくしは此処にいるのですよ。愛しの君に尽くすために」
私に熱い視線を注いで言い切るリア。
とても幸せそうだった。
ココノハは立ち上がって椅子に座り直す。
「えっと、つまり、ホシミさんのためにすべてを投げ出してきたと」
「そういうことになりますわね。国はお父上が治めていますから問題はありません。まぁ、姫としてのわたくしが最低限果たさねばならないことは世継ぎとなるホシミ様との子を産むことだけですし」
リアの発言にココノハが赤くなった。
「こ、こここここ子ども!?」
「はい! ホシミ様との愛の結晶ですわ! わたくしも早く授かりたいのですけど、長命種の定めとして子が生まれにくいのです……」
けっこう頑張ってるんですけどね、なんて言いながら頬に手を当てて悲しげな雰囲気を纏う。
彼女の言葉通り、長命種は子が生まれにくい。これに該当するのは龍人と森精種のみである。
逆に寿命の短い只人や獣人はどんどん増えていく。
「まあ、長命種の悩みはわたしもわかりますけど……。ねえホシミさん」
「なんだ?」
「私たちって夫婦ですよね?」
「そうだな」
お互いの指に嵌る指環を見る。私の右手薬指には、ココノハの先天守護属性である『緑』の指環が煌めいていた。
「じゃあリアさんは?」
「リアは……」
「わたくしもホシミ様の妻ですわ」
私が答えるよりはやくリアが答えた。
「契りの品も此処に」
そう言って彼女は髪留めの鈴に触れる。
以前、あなたのものである証が欲しいという彼女に手渡した、手作りの特別製だ。
護身用の障壁魔術が編まれている魔道具である。
「ホシミ様のように素晴らしい殿方は、多くの美女・美少女をその手に収め、愛し、支配するものです。わたくしたちが愛したお方はただ一人だけを愛するなんて器の小さな方ではありませんわ」
言いながらリアは立ち上がり、ゆらゆらとココノハの元へ近寄っていく。
ココノハは揺れるリアの胸元に目線が固定されていた。
「ココノハちゃん、同じ殿方を愛する者同士です。共に尽くし、共に愛され、共に幸せになりましょう」
言い終わると同時にココノハへと抱きついた。
ココノハの顔がリアの胸に沈む。
しばらく嵌まっていたが、呼吸が辛くなってきたのか、ココノハの手が必死にバタバタと動いてリアを押し剥がそうとしていた。
「リア。そのままだとココノハが窒息死してしまう」
「あ、あら。あらあらあら」
あまりにも苦しそうだったので助け船を出した。ようやく解放されたココノハは、空気を求めて激しい呼吸をしている。
「大丈夫か?」
「はぁっ、ふぅーっ。し、死ぬかと思いました……。あ、感触は素晴らしかったです」
聞いてもいない感想を伝えてくる。
この娘、そのうち胸に挟まって窒息死とかするんじゃなかろうか。
「それに、そもそもわたしは結構無理矢理言って契りを交わしましたし。リアさんがわたしを受け入れてくれるなら文句も問題もないですよ」
「わたくしは大歓迎ですわ。これからよろしくお願い致しますわね。ふふっ、では今夜にでも、親交を深めるために一緒に夜這いでも……」
「わーっ! あーっ!」
握手をしたと思ったら急に大声をあげるココノハ。
リアはそんな様子を見てくすくすと笑っていた。
最後に何か耳打ちしていたので、リアが何かを言ったのだろう。ココノハの顔が赤いのでなんとなく予想は出来るが。
初対面の二人が険悪にならないか心配していたが、これなら大丈夫そうだ。
時間が経ち過ぎて温くなったお茶を口に運ぶ。
わーきゃー騒ぐココノハの愉快な悲鳴を聞きながらひと息つくのだった。