5話 あなたのことが知りたくて
ココノハが目を覚ましてから二週間ほどが過ぎた。
傷は痕も残らず消え、眠っていて落ちた体力も戻り、今では私の支えも要らず走り回れるくらいまで回復していた。
先ほどまで外を散歩してきたようで、今は塔の二階に用意した彼女の部屋でゆっくりしていることだろう。
私が住んでいる塔には『星見の塔』という名が付けられている。五百年ほど前にある人物より贈られた名前だ。それまではただの塔としか呼んでいなかった。
塔は円柱形で、上は六階、地下は二階建て。上の階への移動方法は転移魔法陣のみで階段などはない。一階はキッチンやリビングといった共有スペースだ。転移はここから行える。
三階から五階は今は居ないがそれぞれの住人の部屋で、六階は大浴場になっている。なお、私の私室は地下一階で、地下二階には塔の名付け親のとある人物の棺が納められているのだが今は関係ないので省略。
しかもこの塔、全部屋にトイレ・風呂がついているのだ。今でこそ一般的になってはいるが、当時は革新的だったものだ。これを建てた人物は時代を数世代先に生きていたに違いない。
それはさておき。
今、私の手元には両手で持てる程度の大きさの鏡がある。
遥か昔に与えられた私の役割、それは世界を眺め、人々の歴史を記録すること。
この鏡は世界を俯瞰するための触媒だ。
過去も未来も見通せないが、現在だけを映し出す鏡。
その鏡の中には、黒い鎧を纏った兵たちが武器を携え、一糸乱れず行進している場面が映っていた。
「東のシン国の軍事パレードか……。どうやら近いうちに戦争を仕掛けるつもりのようだな」
シン国は大陸東に位置する中規模の国家である。只人至上主義を掲げて他種族を貶し、殺し、犯し、奪う、と極悪の限りを平然と行い領土を増やすことから、只人以外の種族からは良い感情を持たれていない。
数年前も獣人の生活区域に侵略戦争を仕掛けたりと活発に活動している。
奴隷の数も世界一多い、問題国だった。
「今度はどこを狙っているのやら。ある程度の予測は出来るが……そろそろ、これ以上世界を荒らされることを避けるために楔でも打ち込んでおく必要があるか」
歴史を記録する役割こそ持っているものの、干渉することへの制限は一切ない。
昔は冒険と称して様々な場所へ出向いたものだ。やろうと思えば世界征服すら可能だったろうが、そんな面倒なことを好んでするつもりはなかった。
今は腰を落ち着けて、人々がやり過ぎた事象へのみ介入するようにしている。
シン国への対応を考えていたとき、部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。
「ホシミさーん、いますかー?」
ココノハが訪ねてきたようだ。
「ああ。鍵は開いてるから入るといい」
「失礼しまーす」
扉を開けて部屋へ入ってくる。白いブラウスと長めの紫色のスカートを纏っていた。少しだけ背伸びをした上品なお嬢様のように見える。散歩に行く前は動きやすいワンピースを着ていたから、帰ってから着替えたらしい。
「あれっ鏡なんて見てどうしたんですか? まさか『ふっ、今宵の俺はいつもより美しい』とかやってたんですか?」
前髪を搔き上げる動作を含めながら似ていない声真似をするココノハに、軽くため息を吐く。
「そんなことをしたことはないし、今後もする予定はない」
「ですよねー。それで、結局なに見てたんですか?」
ぐいぐいと身を寄せて鏡を覗き込んでくる。
見やすいように少しだけ傾けてやった。
「世界情勢とやらを少しな。また戦争が起きる可能性が高いことが分かったよ」
鏡の中には黒い鎧の兵隊が相も変わらず行進していた。
その様子を見てココノハが顔を顰める。
「こいつら蛮族のシンの連中じゃないですか。この国に一回だけ行ったことあるんですよ。もちろん、たっかい魔道具を買って姿を誤魔化してですよ? このままの姿で行ったら捕らえられて奴隷として売り飛ばされてますもん。いやー酷い国でしたね。只人じゃないってだけで遊びで殺されるようなとこですよ。なんでこんな国あるんですかね、滅びてしまえばいいのに」
そう憎々しげに言葉を漏らす。
「いずれ何とかするさ。流石に彼等はやり過ぎだ。このまま見過ごすことは出来ない」
シンの横暴を許せば、只人以外の種族は遠からず絶滅してしまうだろう。
そして外敵を失った彼等は、今度は同族同士で殺し合いを始めることになる。
そんな血と憎悪で作られた世界を見るのは嫌だった。
「ところで、何か用があったのではないか?」
話を切り替えるためにここへ訪れた用件を尋ねると、そうそう、と言って手をぽんと叩く。
「ホシミさんのこと、知りたいなって思いまして。具体的には今の年齢とかなんで長生きなのかとか過去の女性関係とか!」
ずずいっと身を乗り出してくる。
年齢とかはともかく、最後のはなんだ。ただの興味本位かそれとも意外と独占欲とか強いのか? まあ特に詰まる問いでもなし、答えられる範囲で答えておこう。
「歳は、たしか1000と25だったような気がする」
「うわっ、わたしの三倍近い! わたしは358歳です。身体はちょっといろいろ小さいですけど、これから育ちます。たぶん千年くらいかけて!」
そう言って慎ましやかな胸を張る。
彼女は自分の知ってる森精種の中で、特に成長が残念だと思う。これからもあまり期待は出来ないだろうが、口にはしない。
世には希望も必要なのだ。
「それと長生き……と言うのは、少し語弊があるな。私は長く生きられるのではなく、何をやっても『死ねない』のだ。不老不死と言えば聞こえは良いが、なんてことはないただの呪いだ」
「不老不死とかこの世に存在してたんですか。夢物語の中の産物だと思ってましたよ。でも……不老長生の純森精種よりも長生きするっていうのは、きっと、孤独なんでしょうね」
そんなの、辛すぎるじゃないですか。
小さな呟き。
病で母親に先立たれ独り残される哀しみを知る彼女は、泣きそうな表情で上を見上げていた。
少し経って落ち着いたのか顔をこちらへ向き直す。
「その呪いって解けたりしないんですか?」
「無理だな。既にいろいろ試したが、どれも効果はなかった」
「じゃあ呪いをかけた相手に解呪してもらうってのは……」
首を横に振る。
「出来ないんだ。その相手は、もうこの世界から消えてしまったから」
そう、消えたんだ。私の目の前で。
死すらも生温い、その存在自体の消滅。死した後に残る肉体も、世界を巡る魂も、もう存在しない。二度と出会う事は出来ないのだ。
───それが例え奇跡と呼ばれるものであろうとも。
「気に病んでくれるのはありがたいが、もうこれには折り合いをつけたよ。心配してくれてありがとう」
そう言って頭を撫でる。細く柔らかい金色の髪。とても触り心地がよかった。
ココノハは私が撫でやすいように頭を向けてくれる。
「ホシミさんが納得してるならそれでいいです。それよりどうですか、わたしの髪。さらさらでしょう。お母様譲りの自慢の髪なんですからね」
「素晴らしい感触だ。ずっと触っていたくなる」
「ふっふー、いつでも触っていいですからね。あ、でもこんなこと許すのはホシミさんだけですよ。誰にでも触らせるわけじゃないんですからね」
何度も念を押すように言葉を紡ぐココノハに頭を軽くぽんぽんと叩いて了解の意を示す。
しばらく同じようなやり取りが続いたが、ふと思い出したように最後の問いを投げてきた。
「そろそろホシミさんの過去の女性関係が聞きたいなーなんて。千年ちょっと生きてるってことはけっこう色んな女の人泣かせてるんじゃないんですか?」
悪い笑みを浮かべてこちらを見る。
少しイラっとしたので額にデコピンした。
「いったー! ……く、ない? あ、加減してくれたの? ありがとう!」
「暴力を振るって悦に浸る性格ではないからな。まあ、あんまりオイタが過ぎるようなら考え直さねばならんが」
「はい、もうしません」
額を押さえながら首を横に振るココノハ。
「それで、実際のところ、どうだったんですか? 教えられる範囲だけでいいので教えてくださいお願いします」
どうやら相当興味があるらしい。
女性というのは昔から色恋の話が好きだったな、と半ば諦めの境地で口を開きかけたとき。
カラカラと鈴の鳴る音が響いた。
「済まんなココノハ。その話はいずれ」
ゆっくりと立ち上がり、一階へ向かう。
「どうかしたんですか? なんか鈴の音が聞こえましたけど」
後ろからココノハが付いてきて尋ねる。
「なに、五階の部屋の主が戻ってきたようなのでな。出迎えだよ」