3話 ココノハの逃避行
わたしは一人旅をしていたんです。
かれこれ三十年くらいですかね。
耳を見てもらうと分かる通り、わたしは森精種でして。しかも数の少ない純森精種なんです。
普通の森精種とは違うからあまり馴染めなくて集落から離れた所でお母様と一緒に暮らしていたんです。ですがお母様が流行り病で亡くなってしまって身寄りが無かったわたしは、生前にお父様から聞いていた外の世界に興味を持っていたので、せっかくだから旅をしてみようと思ったのが切っ掛けですね。
そんなわたしはシュメットって街から西の大国メサへと馬車で向かってました。
シュメットはこの森から南の方角にある交易都市です。大陸のほぼ中央にあるだけあってすごく栄えていました。呪いの森に一番近い、人の住む街ですね。
メサに行く理由はなんとなく久しぶりに海が見たいなーと思っただけのただの思いつきです。
相乗りの輸送車の乗客はわたしのほかに四人いて、若い男性三人と老いた女性一人でした。
最初は街道を走っていた馬車だったんですが、山沿いの道に差し掛かったとき、落石があったせいで馬車が通れなくなっていました。
復旧には時間がかかるということで仕方なく呪いの森の外周近くを通る迂回路を行くことになりました。
森には入らなければ何も起こらないのは周知の事実ですから、迂回路を行くのはいいんですけど、落石があるなんて運が悪いなあと思いながら外の景色を眺めていたんです。道の状態が悪くてとてもガタガタ揺れていたので尚更ですね。
そのとき、小さな窪みに馬車の車輪が嵌ってしまって立往生してしまいました。
今にして思えばあれはわざと作られていたんでしょうね。
このままでは野宿することになってしまうということで男性たちが嵌った車輪をなんとかしようと押していたのを眺めていたんです。
そろそろ抜けそうだーって声が聞こえてきたのと同じくらいにですね、矢の風切り音が聞こえてきて、馬車を押していた一人の背中に突き刺さったんです。
ぎゃあああーって大声が上がって倒れるのを見てマズイと思ったときにはもう七人くらいのみるからに盗賊ですって人たちに囲まれてました。
ボスと呼ばれた人がわたしを見て下品に嗤って、若い女以外全員殺して荷を奪え! なんて言ってきます。
そこからはもう必死でした。
奇声をあげながら迫ってくる盗賊から逃れるためにわたしが唯一使える風の魔術で応戦しました。
二人は足を切って動けなくしたんですけど、その頃にはもう御者さんもほかの乗客さんも殺されていて。
女のわたしが捕まったらどうなるかなんて分かりきってますからね。全力で逃げました。二人動けなくしたとはいってもやはり数が違いすぎましたね。結局、誘い込まれて回り込まれて、呪いの森の外周まで追い詰められてしまいました。
逃げられないと思ったわたしは覚悟を決めて戦いました。ですが多勢に無勢で、矢を風で払っている間にナイフで左腕を切られて。
仕返しに風の刃で喉を切り裂いたら勢いよく噴き出した返り血で怯んだところを反対側から右足を刺されて。
にやぁって気色悪い顔で嗤ったのを見て生理的嫌悪を感じて反射的に風の矢で頭を射抜いて。
矢を撃ってくる鬱陶しいのに風の刃を放って首を切って。
けっこう長い時間戦っていたと思うんですけど、逃げてるときや応戦してる間に魔術を乱発しすぎたのと、身体中が傷だらけで、とうとう体に力が入らなくなって倒れてしまいました。
でもなんとか逃げようとして、仲間を殺されて怒ったボスみたいな人にお腹を蹴り飛ばされたときに最後の力を振り絞って呪いの森の中に飛び込んだんです。……あそこで踏みつけられてたらわたしは散々弄ばれた挙句殺されていましたね。
森に入っていったとき、盗賊たちの驚愕した声が聞こえました。
そして全身に激痛が走ったのを憶えてます。
傷が心なしか拡がっていって、どんどん血が溢れてきて。
そこからはもう思い出せないですね。急いで離れなくちゃと思ってフラフラと歩いていたと思うんですけど。
朦朧とした頭で、こんなところで死ぬなんて、お父様お母様ごめんなさいといったことを考えていたような気がします。
で、いつの間にか力尽きて倒れたわたしは。
気が付けばここで目を覚ましました。
ーーーーーー
語り終えたココノハは、深く息を吐く。
思っていたよりも記憶がしっかりしていることに驚いた。
「森の外周にあった死体は五つ、そして君が斃した三つは綺麗な死体だったが、残る二つは君を追って森に入ろうとして結界に殺されていた」
敢えて『綺麗な』とつけたことで残る二人の結末を理解したのだろう。ココノハは苦い顔をしていた。
「結界に殺されたって、じゃあ、なんでわたしは無事なんですか?」
「あくまで憶測だが構わないか? 今までこんなことは一度もなかったのでな」
こくり、と頷くココノハ。
「おそらくだが、君が森に入ったとき、既に死にかけだったのではないかな。この森の結界は生命を拒絶するものだ。普通なら無理矢理入ろうとすれば君を追おうとした盗賊のように死んでしまう。しかし、君の場合、死に近すぎた。そのおかげと言うのはアレだが、結界を抜けられたのはそれが理由だろう。正直運が良かったとしか言えない」
「死にかけだったから無事だったっていうのは、ちょっと……。そうじゃなかったら死んでいたってことですよねそれ。なんというか、ギリギリの状態で生き残るくらい生命力の強い純森精種で良かったって思いました……」
ありがとうございますお母様、といいつつ頭を下げるココノハに向かって疑問に思ったことを聞く。
「しかし先ほども言っていたが良いのか、そんな気軽に純森精種だなどと言って。秘匿するのが君たちの種族だろう」
私の疑問に、ココノハは軽い調子で答えた。
「いいんですよ、どうせ只人には違いなんて分かりません。あなたは、何故か知っているみたいですけど」
じーっと見つめてくる視線に、有るはずもないのに後ろめたさを感じてしまう。
「なに、昔の知り合いに純森精種がいただけだ。君が初めてじゃなかったというだけの話だ」
「え? 私以外の純森精種に? というか昔っていったい……」
「まあなんだ、そんなことは後で話そう。それよりお腹は空いてないか? よければ粥でも作ってくるが」
自分で振った話題だが、逸らさせてもらうために食事のことを聞く。
するとココノハのお腹がくぅーと小さく鳴ったのが聞こえた。
「お、お願いします……」
顔を赤く染めて俯くココノハを尻目に、立ち上がりキッチンへと向かう。調理中ココノハの恥ずかしがる様子を思い出し、微かに笑んだ自分を感じた。