20話 暗躍する者たち
時刻は深夜。貴族街と呼ばれる、所謂金持ちたちの住む区画を、黒いローブを着て、フードを目深に被った男が闇に紛れるように移動する。
彼は森の奥にある山小屋からの帰り道であり、自身の邸宅に向けて歩を進めていた。
やがて、一際豪奢な意匠が施された邸宅の横を通り抜け、裏門へとたどり着く。裏門から中に入り、離れの部屋の扉を開けて中を覗き込んだ彼は室内の惨状を見て顔を顰めた。
「貴様……何をやっている?」
楽しそうに鼻歌を歌いながら、コレをやったであろう人物に声をかける。声をかけられたことでようやくこちらを認識したらしい。
「これはライゼル卿。くくっ、見て分かりませんかね?」
黒いコートに身を包み同色の円型帽子から覗く表情は喜悦に歪んでいた。
手に持った赤く染まったナイフを台の上に磔られたモノに突き刺す。既に反応は無く、事切れているようだった。
「失礼、質問が悪かったな。ソレはどうした。貴様には目立つ行為は控えろと言っていた筈だが?」
「くくっ、これは今日街を眺めていた際にとても仲睦まじい初々しいカップルがいたものでしてね。つい遊んでみたくなったのですよ」
ランプを近づけて状態を確認する。
龍人のまだ歳若い(と言っても三百歳は越えているであろうが)男女だったモノがあった。
顔は恐怖と苦痛、絶望で染まり、涙や鼻水、涎で酷いことになっている。その下の身体の部分は目も当てられない惨状になっていた。
手足を杭で貫かれ、生きたまま腹を裂かれたのだろう。臓物が漏れ出していた。
「男の方は最初は威勢が良かったですけどねえ。くくっ、女の腹を裂いたら面白いくらいに喚き出すんです。『頼む、俺には何をしてもいいから彼女は助けてくれ!』って! 可笑しくて可笑しくて、もっと歪ませてやりたくなりまして、女の腹にしか存在しない臓物を取り出して目の前で握り潰してやったらとても良い声で絶叫するのです!!! クククッ、女はそれでショック死してしまいましたが、男の方はそれはそれは生きが良くてね。何処まで耐えられるか試していたのですよ。くっくっく! 腸を潰して、胃を潰して、肺を潰してもまだ生きている! あぁ、まったく、ここまで丈夫な玩具は久し振りだとつい調子に乗って心臓を握り潰してしまいました。やはり彼以外の人間は脆弱ですね。心臓を潰されたくらいで死んでしまうのですから」
男の独白を話半分で聞き流す。とても正気では聞いていられない内容だった。昔は抜け殻のようだったと思ったが、何かこの殺人鬼を変えたモノがあったのだろう。狙われている相手には流石に同情してしまう。
「それよりも、貴方様はこんな夜分に出歩いていてもよろしいのですかね? まあ心配なんてしていませんが、計画に差し支えるのではないですかな?」
貴様の行為よりは遥かにマシだ、とは思ったが、目の前の男の倫理観はぶっ壊れている。
言っても意味はないと言葉を飲み込んだ。
「ふん、俺は俺で必要なことをしている。この国を統べるには『龍石』が必要なのだ。貴様は大人しく炎龍皇を殺すことだけ考えていろ」
「くっくっく、承知致しましたよマイロード。しかし殺すのは炎龍皇だけで良いのですかな?」
「何が言いたい?」
「いえ、炎龍皇には妻と娘がいた筈。それを殺さなくても良いのかと聞いているのですよ」
「炎龍皇の奥方はお前の好きにするといい。あれの生死は問わんが、娘は殺すな」
「ほう、何故です」
その問いに口を歪めて好色に満ちた表情を見せるライゼル卿。
「アレは、俺のモノにするのだ。二度と他の男にうつつを抜かすことのないように屈服させてからな」
「それはそれは。くくっ、やはり貴方様は面白いお人だ」
黒尽くめの二人の男が血みどろの部屋で笑い合う。その瞳には、口元には、周囲の空気には。狂気が渦巻いていた……。
ーーーーーー
翌日。
昨晩はシィナが泊まっていったため、並べてある布団が一人分多い室内。
他よりも早く目を覚ました私は、足首に装着する、赤い紐で編まれたアクセサリーに魔力を込めていた。
付与するのは、簡易の歪曲結界だ。三百年前にリアに使ったものである。性能こそ同じだが、持続時間が短いのが欠点だ。しかし一日は保つ。発動すれば私に感知出来るため、直ぐに駆け付ければ間に合うだろうという判断だ。
昨夜の炎龍皇からの言伝で、奴がいるのはほぼ間違いなく確定した。何の対策も用意せずにシィナを一人にしてはおけなかった。
「備えあれば憂いなし、と。よし、出来た。起きたら着けてやろう」
本来、こんな短時間で魔道具は作れないのだが、ホシミだけが使える裏技がある。本来ならばあり得ない全先天守護属性を持つ彼だからこそ出来る、複数属性の同時使用である。
『白』の歪曲結界と『黒』の時間加速を同時に使用して、本来ならば数ヶ月から数年かかる魔力付与を僅か数時間に凝縮させたのだ。
勿論、その分の魔力消費は増えるのでそう何度も使えないのだが、急場を凌ぐのにこれほど都合の良い技術も無かった。
「私もリアほどの魔力があれば……いや、今更無い物ねだりをした所でな。上手く運用するしかあるまい」
幸い、かなり長い年月を掛けて手に入れた智慧がある。望んで得た不老不死では無いが、その点だけは有り難かった。
「……ぅうんっ……」
声が聞こえたので、布団が敷いてある方を見る。リアの布団がもぞもぞと動いていたが、少しすると身体を起こした。まだ少し眠いのか、目をこすっている。
「おはようございます、ホシミ様」
「おはようリア」
挨拶を交わして、私の所へやってくる。
眠っている間に浴衣がはだけて、大きな胸と白くて綺麗な足がかなり露出していた。
「ほら、服装を整えないか。浴衣がはだけているぞ」
「良いではありませんか。ホシミ様のウィリアーノースですもの。それに」
そう言って右腕に抱き着く。そのまま耳元に口を寄せて、囁いた。
「わたくしはもっとホシミ様と触れ合いたいですわ」
その言葉に応えるように、頭を撫でる。
「まったく、甘えん坊だなリアは」
「ホシミ様の前でだけですわよ」
顔を見合わせて笑い合う。リアの視線が私の手元にある赤い紐に移った。
「これは……シィナにですの?」
「ああ。リアの鈴と同じく、魔力を込めてある。……少し思うところがあってな。シィナの身を守るためのものだ」
元々は自身の緊急時に使える予備魔力として保管しておこうと思っていたのだが、リアのお陰でシィナと会えたこと、あの殺人鬼がいつかの暗殺者と確定したこと、と状況が変わったことでシィナの身を優先させたのだ。
「ホシミ様からの贈り物なら、あの娘も喜びますわ」
「ああ……。だと良いな」
それきり会話は無くなった。リアに寄り添われながら、二人の目が覚めるまでのんびりとした時間を過ごすのだった。
陽が真上まで登ってから、ココノハとシィナはようやく目を覚ました。
「うう……あたまがいたいです」
「だから飲み過ぎだって言ったじゃないの……。う、あたしもちょっときもちわるい……」
絶賛二日酔いだった。
温泉から揚々と戻ってきて直ぐに寝てしまった二人だ。昨日の様子からおそらくこうなるとは予想していたが、まったくその通りになるとは思わなかった。
「自分の限界を把握していないからそうなるのですわ」
「一番飲んでた人に言われたくないです……」
「あんた、本当にザルよね……。あたしたちの倍くらい飲んでた筈なのになんでピンピンしてるのよ……」
「? 寒冷地ではお酒は必需品ですわよ。お酒を飲んで温まるのですから、飲めて当然ですわ」
「そう言うレベルじゃないと思うんですけどね」
リアのウワバミ具合に戦々恐々とする二人だった。
「そんなことよりもだ。シィナ、足を出してくれないか。どちらでも構わない」
「足? 別にいいけど、何するの?」
「ちょっとした魔道具を作ったのでな。護身用だ、着けておいてくれないか」
朝に完成させた赤い紐で編まれたアクセサリーを見せる。
「手作りなの、これ?」
「手作りだが。昔、教えて貰ったものでな」
「ふぅん、そうなんだ。……その、ありがとう、すごく嬉しい」
顔を赤らめて小声で礼を言うシィナ。
差し出された左足首に、結び着ける。
「いざという時にシィナの身を守ってくれる筈だ。発動したら切れてしまうのが難点だが、それが必要になる事態が起こらないことを祈ろう」
「やっぱりあんた……。いや、何でもないわ。ねえ、一つだけ聞いていいかしら」
「なんだ?」
何かを言いかけたが途中で言うのを止めたシィナは、私から目を逸らして質問する。
「あたしって、あんたに必要?」
「必要だ」
悩むまでも無いと即答する。
ここで即答出来なければ、三百年を共に過ごすことなど無かったろう。
「何の心配をしているかは知らんが、シィナを見捨てる筈が無いだろう」
「どうして?」
「理由が聞きたいか?」
「うん。教えてほしい」
真剣な表情で真っ直ぐ見つめてくる。まるであの告白をされた時のようだ。
安心させるようにシィナを抱き締める。
「お前は私のだ。絶対誰にも渡さない。……これでは答えにならんか?」
「ううん……最高の答えね」
声も無く、ただ涙を流すシィナ。
「やっぱりあたし、ホシミ様に着いていって、よかった」
「シィナが言うには女誑しらしいぞ?」
「それだけいい男ってことじゃない。節操が無さ過ぎるのは困るけど、器が大きいのは良いことよ」
そう言ってようやく笑った。
様子を見ていた二人も何処か安堵するような表情をしている。
「まったくシィナったら……。そんなに不安なら毎晩抱いて貰えば良いですのに」
「まだ明るい内からそういうこと言わないの。あの魔の五十年は忘れてないんだからね」
「何ですかそれは」
「リアから子どもが欲しいと言われた。あとは推して知るべし」
「うわぁ……」
「ココノハちゃんが引いているではありませんか! もう、シィナのばか!」
「言ったのあたしじゃないでしょ!?」
ひとしきりわいわい騒いで、笑い合った。
何処か晴れ晴れとしたシィナは、凜とした佇まいで私たちを見つめる。そして、普段とは違う、姫としての顔を覗かせた。
「賢者ホシミ様。南国の姫『炎龍サウズーシィナ』から、お頼みしたいことがあります」
よく通る声だった。声には力があり、凜とした佇まいには上に立つ者として教え込まれた気品が漂っている。
リアとココノハは傍観することにしたようだ。
「さて、私に何をお望みでしょうか?」
彼女が姫として相対するなら、私は賢者として相対しよう。自身がそう名乗ったことなど一度もないが、私をそう呼ぶ者の為に賢者たらんとしてきたのだから。
「助力を。この国に蔓延る闇を祓い、三百年前の戦いに終止符を打つ為に」
「私は敵を知りませぬ。私は現状を知りませぬ。それでも構わないと申すなら、全力を挙げて貴女をお助け致しましょう」
「ありがとうございます。貴方様の智慧があれば必ずや勝利の光は見えましょう。報酬は……」
シィナから唇を重ねられる。
離れた彼女は、何処かイタズラが成功した子どものような表情だった。
「報酬は、あたし。ねっ、いいでしょ?」
「最後まで姫らしくあれば良かったのに、台無しじゃないか。まったく……。ああ、最高の報酬だよ」
お互いに笑い合う。
「シィナったら。最後の最後で素に戻るんですから」
「なんというか、シィナさんらしいですよね。でもあんな風にもなれるんですね、意外でした」
「曲がりなりにもお姫様ですから。それ相応の教育は叩き込まれておりますわ」
二人も安堵した表情で笑い合っていた。
しかし、いつまでも笑ってはいられない。
「シィナ。今の状況を説明してくれるか?」
「うん。これはまだ、父様にも話していないんだけど……」
シィナは現在この国が置かれている状況を話してくれるのだった。




