16話 龍人戦争:ウィリアーノース
泣き疲れた少女を抱えて王宮へ戻る。
ボロボロな私の姿と、涙の跡と泣き腫らした跡が未だ残る少女の姿にかなり驚かれてしまい、みなが大騒ぎだった。
一先ず少女を侍女に任せて、私はヴァンの執務室へと顔を出した。
「おう、こら。何があったか一切合切残らず話せや」
目が完全に据わっている。まるで昔の戦場を転々としていた頃のヴァンだ。
「そんなに凄まずとも話す。安心しろ、お前の娘は傷一つ付いていない」
「そんなの見りゃ分かるわい。どう考えてもあれ全部お主の血じゃろうが」
ため息を吐いて、背もたれに身体を預けるヴァン。
「ウィリアーノースが、泣いておった」
ぽつりと言葉を漏らす。目はどこか遠くを見ているようだった。
「感情を失って、もう百年じゃ。その間、何をやろうと、笑うことも泣くことも無かった。その娘が泣いていたんじゃ」
「……そうか」
ヴァンの声は少し震えていた気がした。
しばし沈黙が続いたが、やがてこちらへ顔を向ける。
「で、何があったんじゃ? お主があそこまでボロクソのようになるなんぞ珍しいこともあるもんかの?」
「あぁ、たしかに。あそこまで酷いのは久しぶりだ。少しヒュドラの毒を使われてな。為す術もなくぼこぼこにされてしまった」
「ヒュドラの毒じゃと!? 本当なのか!!」
ヒュドラの毒。毒竜ヒュドラの体液から作られる、この世界に存在する毒物の中で最も強力なものである。これを浴びた生物は数日の内に死んでしまう。
解毒薬はヒュドラの血からしか作れず、そもヒュドラの個体数が少ない為に入手難度も高い、という状況だ。
「並みの毒なら直ぐに解毒出来る。それすらも許されなかったのだ。私に毒を使った者もヒュドラと言っていた」
「なんということじゃ……。この戦でそんなものが使われたらかなりの兵が死んでしまう……!」
頭を抱えるヴァン。気持ちはよく分かる。しかし、去り際の奴の様子を思い出す。
「落ち着け。奴はこの件とはおそらく無関係だ。偶然この国に寄って、偶然獲物を選んで、偶然現れただけだろう。外套を纏ってはいたが、翼はなかった。奴は龍人ではない」
「ならば良いのじゃがの……」
「大丈夫だ。奴は私に的を絞っている。今のアレは私を殺すことに全力をあげる快楽殺人鬼だよ」
そう言って笑ってやった。憐れなものを見るような目を向けられる。
「可哀想に。そんなものに好かれるとはのう」
「やかましい」
「お主のことは分かったわい。で、娘のことじゃ。何故泣いとったんじゃ」
ヴァンの言葉で感情の消えた少女が藍色の瞳を揺らし、涙が頬を流れ落ちる姿を思い出す。
「私がぼこぼこにやられるところを見ていたからかもしれんが……、何故かはさっぱり分からない。以前の彼女はもしかしたら、人が傷付くことを悲しめる優しい娘だったのかもしれないな。しかし、泣いたということは、心が動いたという証明だ。これから徐々に感情を取り戻していくだろう」
偶然とはいえ掴んだ切っ掛けだ。なんとかあの娘が感情を取り戻すことに期待するしかない。
「まあ、まずは娘が目を覚ましてからじゃな。変わっているのか、それとも元のままなのか……。良い方向へ転がるといいのじゃが」
「そこは祈るしかあるまい」
「はっ、何に祈るっていうんじゃ。神などこの世にはおらんじゃろうに」
馬鹿らしいとばかりに悪態をつくヴァン。そんな彼に呆れつつ、思ったことを述べる。
「あの娘の天運に、かな」
一瞬目をキョトンとさせたヴァンだったが、すぐに肩を震わせて大笑した。
「くくくっ、くふっ、ぶわーっはっはっは!!! だあぁーっはっははは、ひぃーはははぁは!!」
「汚い笑い声だな」
「いやあすまんすまん。しかしそうか、天運か。くくっ、なかなか夢のあることを言うもんじゃのう」
「夢が無いよりはあったほうが良いだろう?」
「たしかにそうじゃな。それなら、流れに任せるのも一興か。ほれ、そろそろ湯が沸いた頃じゃ、その汚い格好なんとかしてこい」
しっしっ、と追い払うように手を振って私を部屋から追い出す。
……まったく、我が友人は人の良いことだ。ヴァンの言葉に甘え、汚れた身体を綺麗にするために浴場へ向かった。
翌日。
少女が私を呼んでいると伝えられ彼女の部屋へ向かった。伝えに来た侍女が困惑していたのは、今まで自分から行動を起こすことが無かったからだろう。
「ホシミだ。入るぞ」
部屋の中からは返事が無かったのでそのまま扉を開けて中へ入る。
ベッドに腰掛けていた少女は、私の姿を見つけると、走り寄って来て抱きついた。
「どうした?」
声をかけるが反応はない。しかし、服を引っ張ってきた。こっちへこい、と言っているかのようだ。
力に逆らわずに動き出すと、少女のベッドへ座らされる。そして、私の太腿の上に横向きに乗って抱きついてきた。
「……」
しかも彼女の翼は私を守るかのように身体を包み込む。どうやら、この娘は私を守ろうとしているようだ。
「君の好意は嬉しいが、ここでは守ってもらわなくても大丈夫だぞ」
なるべく優しい声でそう言うのだが、少女は首を横に振った。
「君、じゃ……ない、です」
消え入りそうなほどに小さい声。
しかし、紛れもなく彼女が発した言葉。
「ウィリアー…ノース……。名前で、呼んで、ください」
そう言って彼女……ウィリアーノースは私の顔をじーっと見つめてくる。
その瞳には、まだ幾ばくかの空虚さが残っていたが、意思の光が確かに見えた。
「ああ、わかった。……ウィリアーノース。これで、良いか?」
こくこくと首を縦に振る。どこか嬉しそうな表情をしていた。
「名前……呼ばれると、何か……変。胸の奥、が……きゅってなって……ぽわーって、なるの……」
私の胸に顔を寄せて、そう呟く。
「そうか……。良かったな」
優しく頭を撫でると、目を細めてもっともっとと続きをせがむように頭を揺らす。
その日は彼女が満足するまで、ずっと側にいるのだった。
この日を境に、ウィリアーノースは感情を取り戻していった。彼女はよく笑うようになった。常に私の側に居ようとするのは最初は抵抗感もあったが、何を言っても風呂や寝台にまでついてくるのでもはや諦めた。
しかし元々頭の良かった彼女は、滞っていた教育を受け、教養・礼儀作法等を驚く速さで吸収し直ぐに修め、僅か一ヶ月で人形のような少女から淑やかで優秀な姫君へと変貌するのだった。
ーーーーーー
「え、じゃあリアってあたしと会う直前に今みたいになったってこと?」
「そういうことだな」
地力の差を見せつけられたシィナが若干落ち込む。シィナは勉学が苦手だったのだ。
「改めて過去を振り返りますと、恥ずかしいですわね」
ほんのりと頬を染めて呟くリア。
それも束の間、私の左腕に腕を回して身体を寄せてくる。
「ふふっ、でもホシミ様のお陰で今のわたくしがあるのですわ。本当に、何度感謝してもしたりません」
「私は何もしていないさ」
謙遜ではなく事実としてそう言ったのだが、リアは首を横に振る。
「いいえ。ホシミ様がいたから……。ホシミ様と出会えたからですわ。これだけは例えホシミ様でも譲れませんの」
そう言って微笑むリアは、とても可愛らしかった。
「なるほど、そうやってリアさんを落としたんですね」
「はい、落とされてしまいました。もう一生離れられないくらいにメロメロですの」
ココノハの冗談(?)に即肯定するリア。
「もしかしたら、あの時のわたくしは、一目見た瞬間からこの人のものになりたいと思ったのかもしれませんわね」
くすくすと笑う。
「だってわたくし、今……とても、とっても。幸せですもの!」
花が咲いたような笑みを浮かべるリア。人形のようだった過去にも意味があったのだと、全てを受け入れる強さを持つ彼女は。
やはり凄い娘なのだな、と改めて思い知った。
「しかし、ホシミさんをぼこぼこにした怪しい男は結局どうなったんですか? まさかそのままやられっぱなしじゃないですよね」
「それが残念ながらその後の消息を掴めなくてな。勝ち逃げされるのは別にどうでも良いのだが、生きているのか死んでいるのか……。それすらも分からん」
あの後黒い暗殺者からの接触はなかった。
生きているか死んでいるか分からないと言ったが、間違い無くまだ生きていると思われる。龍人ではない……ということは残る長命種は森精種だ。
いずれまた相見えることになるだろう。その時は確実に奴の息の根を止める。あの手の輩は執念深いのだ。一度でケリをつけておきたい。
「ヒュドラの毒の対策はあるの? 無ければあんた、昔の二の舞よ。またリアが泣いちゃうわよ?」
「ヒュドラの毒の対抗策はない。あれは神の遺物だ。人が何とかできる代物ではない、が……」
「何か秘策はあると。……ねえ、なんでびっくりした顔してるのよ」
「ああ、いやすまん。私はそんなに分かりやすいか?」
まさか思ったことを言い当てられるとは思わなかった。しかも勉強嫌いのシィナにである。驚くのも無理ないだろう。
「あのねぇ、何年一緒にいると思ってるのよ。考えてることくらいなんと無く分かるようになるわよ」
そっぽを向いて呆れたように言うシィナ。
そこにリアが食いついた。
「『大好きなホシミ様のことを見ているだけで幸せです』なんて言うことはありますわね」
「なっ! そ、そんなこと言ってない! ……というか何であんたがそれを知っているのよ!!!」
「さあ、何ででしょうか。わたくしには分かりませんわ」
顔を赤くして驚愕するシィナと、わざとらしくとぼけるリア。
「ま、まさか……。あんた、あれ読んだわね!! 誰にも見つからないように洋服の間に隠してたのに!!!」
「わたくしは何も知りませんわ〜。『どうか貴方の愛で私の寂しい心と身体を満たしてください』なんて知りませんし、その後の生々しい描写なんて見たこともありませんわ〜」
「ぎゃーーーーー!!!!!! やめろ言うなその口を閉じろ〜〜〜〜!!!!」
「きゃっ、シィナに襲われて辱められますわ〜」
「現在! 進行形で!! あたしが辱められてるわ!!!」
ドタドタと部屋を走り回り組み合う二人。シィナが鬼の形相でリアを追いかけ回している。
しかしいったい何のことを言っているのだろう。
げんなりした様子のココノハに尋ねることにした。
「なあココノハ。二人は何のことを言っているんだ?」
「女の秘密です。ホシミさんは知らなくていいんですよ、ただの手紙のことですから」
「手紙?」
「あ、いや何でもないです。それよりホシミさん、膝に座ってもいいですか」
「ああ、それは構わないが……」
「では失礼します。あの二人が落ち着くまでお菓子でも食べましょう、はいクッキーです」
そう言ってココノハは私の口の中にクッキーを食べさせる。
話を逸らされた気しかしないが、知らなくていいことらしいので聞かなかったことにしよう。私の第六感が関わらない方が良いと警鐘を鳴らしていたりなんかしない。しないのだ。