162話 ウェストランド〜其の参〜
私たちがウェストランドに到着した翌日。思ったより行動の早かったナナリーから使者が遣わされ、王宮へと招かれることとなった。
内容は目下急務となっている鬼人のことである。
市街の煉瓦造りの建物とは異なり、王宮は大理石などの石材や鋼材をふんだんに使用した高級感溢れる建物は、頭上から照らされる太陽の光によって灼熱と化している。不用意に触れれば火傷は必至だろう。
しかし外から一歩室内へと踏み入れれば、魔道具によって空調の効いた涼しい空気へと変わる。リアを除いたココノハ、シィナ、ユニステラの三人は暑さから解放されたことによる安堵の息を漏らしていた。リアは自前で冷気を出していたので大した影響はなさそうである。
内装は華美ではないが格調高く整えられており、持ち主の品の良さを感じさせた。床に敷かれた絨毯の上を使者に先導されながら続くと、横幅の広い階段と、その上にそびえる大きな扉のある広間へとたどり着く。この先が謁見の間なのだろう。
「私は此処までで御座います。ホシミ様、ウィリアーノース様、サウズーシィナ様、森精種のお二方、女王様はこの先でお待ちです」
白を基調とした綺麗な軍服を着た使者が一礼をしてこの先を示す。
「分かった、案内感謝する」
手短かに礼を述べると見事な敬礼を返す使者を一瞥してから、私たちは階段を登り、扉を開け放った。
扉の先には、扉から玉座へと続く一本の真紅の絨毯と玉座に座りこちらを見つめる女王の姿。左右には護衛らしき赤と黒の女性が待機している。
「よく来てくれました」
ナナリールードはそう言って立ち上がると、玉座の奥を指し示す。
「卿との間で堅苦しい挨拶は必要ないでしょう。こちらへどうぞ、お茶の用意があります」
「ご配慮痛み入る」
ナナリーが護衛を伴って奥へと進み私たちはその後を続く。王族の私的空間である道を進み一つの部屋へと通された。
「ここは私の書斎です。大したものもありませんが、どうぞお掛けください」
壁に並ぶ本棚や地図に囲まれて部屋の中央に円卓が配置されていた。書斎と言っているが、側近との会議等にも使用されているようだ。
ナナリーの言葉に従って椅子に腰掛ける。私の右側にリアとシィナ、左側にココノハとユニステラが座った。私と向かい合う位置にナナリーも座り、その横に護衛が立つ。二人のうち一人は全員にお茶の配膳を始めた。
「率直に、動きが早くて驚いた。呼び出されるのはもう少し遅くなると思っていたのだが」
一枚岩でない限り組織も国も大きくなればなるほど動くのに時間がかかる傾向がある。真偽の確認、責任の所在、派閥争い等が原因だが、それ抜きにしても行動が早かったことに少なからず驚いていた。
「本来でしたらそうなったでしょうね。ですが国の危機とあって、この娘たちがよく働いてくれたのです」
私の感想にナナリーは二人の護衛を誇らしげに紹介した。
「私の隣で澄ました顔をしているのがエク。今お茶を淹れているのがネムというの」
エクは赤髪赤目の龍人、ネムは黒髪黒目の龍人だ。紹介された二人は軽く一礼だけする。礼だけなのは主から発言を許可されていないからだろう。
全員に飲み物が行き渡り、初対面のココノハとユニステラもいたことで簡単に名乗りあってから、ナナリーはリアとシィナに話を向ける。
「リアとシィナもお久しぶり……というほど時は経っていませんけれど、また会えて嬉しく思います」
「あたしもよ。今日はよろしくね」
「わたくしもナナリーちゃんにまた会えて嬉しいですわ」
「ち……ちゃんって……」
決して子供扱いしているわけではなかろうが、リアの言葉に若干の気恥ずかしさを感じている様子のナナリーだった。しかしそこは流石女王、一度咳払いをしてすぐに取り繕い真面目な表情に変わる。
「本日ご足労いただいたのは、鬼人のことです。エク、地図を」
「はっ」
ナナリーの指示でエクは壁に貼られていた地図の複写を円卓の上に広げる。
「この地図は我が国周辺を記したものです。この国から北には荒れ果てた山地が存在します。木々も僅かながらありますが、山々のほとんどが地肌が剥き出しになっています。以前卿から聞いた鬼人の生息地の情報から、この一帯のどこかに集落が存在しているものと思われます。そして……」
ナナリーが山地と国のちょうど中間点に印を付けた。
「ここには大渓谷があります。まだ神々のいた遥か昔には水が流れていたと伝わっていますが、今では砂と岩しかありません。現在はこの地点まで鬼人が近づいてきています」
「相手の数は判明しているんですか?」
ココノハがナナリーに問うと、ナナリーは首肯する。
「ええ。鬼人の精鋭が百人と斥候から報告が入っています。全員女性なのは彼女たちの生態を考えれば当然と言えますが、相当に鍛えられた一団のようで生半な者では戦えば命を落としてしまうとのことです。我が国の兵も五百しかおらず、徴兵でもしなければ数を揃えることは叶いません。龍人の国で屈強な兵を数多く揃えているのは世界中を見渡してもリアとシィナの国しかありませんから、これでも多い方なのです。ですが魔獣が闊歩していて、さらに厄介な事件まで起きているのにこれ以上防備を割くわけにはいかないのですよ」
同時に複数の事件が起きて自国だけでは手が回らなくなってしまった。だからこそ彼女は自ら救援を求めて北国へと向かったのだろう。
そして鬼人の対処は私の仕事になったのだ。
「現状は把握した。私も渓谷が怪しいと思い昨夜のうちに影を向かわせていたから、情報通りなら翌日には会敵するだろう。こちらは報告を待ってくれとしか言えない」
私がそう言うとナナリーと護衛の二人が息を飲む。
「もう、行動されていたのですか……?」
「勝手だったかな?」
「いえ、そんなことは! 氷龍皇が卿に信頼を寄せる理由が分かったような気がします」
ぽつりと呟いたナナリーの言葉にリアが嬉しそうにほほ笑んだ。
これで鬼人の件は終わり、次の議題に移る。
「では次はわたくしから。わたくしの国から派遣される人材が確定致しましたので名簿を持ってきましたわ。これをどうぞ」
「ネム、お願い」
「はい~」
ネムがリアから名簿を受け取ると、そのままナナリーに手渡す。
「わたくしの国で騎士団の副長を務めるダーラストを筆頭に百五十名を用意いたしましたわ。お父上から、『事態の早期解決に向けて全力で支援する』という言葉も預かっておりますの。国難を乗り越えてこの国が更なる発展を遂げられるよう祈っておりますわ」
「まさかここまで多大なる援助を頂くなんて……。この国を代表して礼を述べさせていただきます、ありがとうございます。本当に……ありがとうございます……」
声が震えているナナリーが落ち着くのを待ってから話し合いは終了した。
その後は雑談をして残りの時間を過ごし、ナナリーが執務を始めるころにお暇して宿に戻ることになったのだった。
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ウェストランド北部、大渓谷。
日が暮れる時間になり、野営の準備を整えていた鬼人の一団は、一際騒がしい声に意識を持っていかれた。
「だーーーーーかーーーーーらーーーーー!!!!! ちょっとその辺見てくるだけって言ってるじゃん!!!」
「ちょっとで済んだコトないのがアンタなんだよこのバカ娘!!! 昨日は魔獣の群れを呼び込んで、一昨日はアンタがこの道って言った場所を進んだら地面が抜けて穴に埋もれかける!! 今日は何をしでかすか分かったもんじゃない!!」
「それボクには関係ないじゃん!! おかあが重いのが悪いんでしょ!!」
「なんだとぉ!」
言い合いしているのは褐色の肌に黒い髪、額の二本角、真紅の瞳と、容姿のよく似た二人だった。会話の内容から母娘だと思われる。
周囲の鬼人たちは「いつものことか」と言わんばかりで、せっせと自分の仕事をこなしていた。
「おかあのでか乳!! ごりら!! もう知らないっ!!」
「だ~~れがゴリラじゃ!!! まてこんの……でか乳はお前もだろうがこのバカ娘ええええぇぇぇ!!!!」
娘はあかんべえをして逃げ出し、母親は全力で追いかける。騒ぎの主が居なくなり静かになった野営地で、鬼人たちはため息を吐いた。
「見つかると思う? サリアのお婿さん」
「無理でしょ、あの娘をおとなしくさせられる相手なんて見つかるはずないよ」
「だよねー。グラナダ様も大変よね」
「あたしが娘を産んだら、サリアみたいにならないようにって言うわね」
「あ、わたしも言うと思う。あーどっかに強い男いないかなあ」
「弱くても可愛かったら玩具として飼ってもいいけどね」
「わたしは弱い男はいくら可愛くても無理だなー。もし見つけたらあんたにあげるよ」
「やったね」
しばらくして母親が苛々しながら一人で戻ってきたのを見て、「また娘に逃げられたんだな」と思う鬼人たちだった。