157話 西の若き女王〜其の壱〜
「ホシミ様、ただいま戻りましたわ」
「ただいま。出迎えなんていいのに……。でも、ありがとう」
まだ早朝と言って良い時間帯に北国から帰って来たリアとシィナは、二人を出迎えるために待っていた私の前に降り立った。
しかし転移ではなく、自身の翼で飛行して来たのは何故だろうか。
「おかえり、リア。シィナ。転移で帰ってくるものと思っていたが、何かあったのか?」
私が尋ねると、その質問を予期していたらしいシィナが呆れ顔でにこにこしているリアを見る。
「それはね、北国の転移魔術師はお父様を南国に送る為に術を使っちゃったから一日待たないといけなかったんだけど。リアが『一刻も早くホシミ様に会いたいですわー』って言ったからそのまま飛んで帰ってくることになったのよ。深夜の上空は寒いし、眠いし、もう疲れちゃった」
「お疲れだったな……」
ため息を吐きながら両肩を落とすシィナに同情する。見ると二人とも髪に僅かに水滴がついていた。
「二人とも疲れただろうし、まずはお風呂にでも入ってくると良い。クロースには少し早めに朝食を用意してもらうが……それとも食べずに眠るか?」
「あたしはお腹が空きすぎて眠れなさそうだから少しだけ食べようかな。リアはどうする?」
「わたくしも少しだけ頂きますわ」
「わかった。消化の良いもので作って貰えるよう話しておこう」
「はぁ〜、早くお風呂でさっぱりしたいわ。ああ、そうそう。ご飯の時に今回の呼び出しの理由を話すわね。なんか手伝ってもらいたいみたいだったし」
大浴場へ向かおうと歩き出したシィナは動きを止めてこちらに振り向きそう言った。
「そうか。わかった」
わざわざリアとシィナを呼びつけたのだから、私の手を借りようとしているのは何となく予想がついていた。
シィナは私の返答を聞くと、「おっふろおっふろ〜」と上機嫌な声をあげながら塔の中へと入っていった。
残されたのは私とリアで、リアはずっとにこにこしながら私を見つめていた。
「どうしたんだリア。シィナと一緒にお風呂に行かないのか?」
「わたくしはホシミ様も一緒がいいですわ。身体の洗いっこから始まって熱い口付けとご奉仕、そして湯船でホシミ様と一つに……! 身体の内側と外側からホシミ様を感じながら、飛行の疲れを癒したいのですけれど、駄目……ですの?」
私の腕を取り、豊満な胸の間に挟むリア。
要するに、彼女は私と会えなかった時間を取り戻したいのだろう。それが僅か一日二日であったことはさておき。
「まあ、良いか。それがリアの癒しになるのなら、幾らでも付き合おう。もちろん、シィナも一緒なのだろう?」
「はい、それでこそホシミ様ですわ! シィナもきっとよだれを垂らして大喜びしますわ!」
嬉しそうに跳ねながら言うリアに、私は心中で「よだれを垂らしては違うだろう」と思うのだった。
リアとシィナとの少し長くなってしまった入浴を終え、クロースに作ってもらった食事をしながら話に入った。
「シィナ、お顔がまだ真っ赤ですわよ? 大丈夫ですの?」
「誰のせいよ……」
スープを口に運びながら忌々しく呟くシィナは、一度だけ深い息を吐いてから私に向き直った。
「とりあえず、さっさと本題に入りましょう。あたしたちがわざわざ呼ばれた理由は、他の王族と会談するからだったの。ほとんど国に居なくても一応お姫様だからね。これが北国と南国だけならあたしたちは別に居なくても良かったんだけど……」
「今回はそうではなかったのか」
「そういうこと」
ナプキンで口元を綺麗に拭ったシィナは席から立ち上がると私に一通の手紙を差し出した。差出人の名は記載されていない。
「これは?」
「それは氷龍皇様から渡してくれって頼まれたの。あたしたちの話を聞き終わってから開けてほしいって」
「……」
一先ず手紙を脇によけ、席に戻ったシィナに目を向ける。
「それで、今回会った王族というのは?」
「南西の大陸にある龍人の国の女王様よ。名前はナナリールード・ウェストランド。あたしたちと同じか、少し若い子だったわね」
「儚げで優しく夢見がち、人の悪意には鈍感で全ての人が善人だと信じている……。そんな印象を受けましたわ。あくまでもわたくしの印象ですけれど」
「そう? あたしは別の印象だったわ。笑顔を浮かべてはいるけど、その裏で全てを嘲笑っている、みたいな……。平気で人を手にかけられるのは間違いないわね」
「二人ともまったく別の印象か」
およそ真逆と言っても良い印象を抱いたリアとシィナ。所詮はただの印象でしかないのだが、ここまで違うと少しは警戒した方が良さそうだ。
「他に何かないか?」
「そうですわね……。髪の色は黄色に近い金、瞳は綺麗な橙色、身長はわたくしとシィナのちょうど中間くらいで胸はシィナと同じか少し小さいかしら? とても可愛らしい容貌でしたので、ホシミ様もきっと気にいると思いますの!」
「いや、そういうのではなく」
別に女王の容姿はどうでも良いのだ。というか、私がまるで女に飢えた性欲全開の下半身男のように言うのはやめて欲しい。
「私が聞きたいのは何故その女王がわざわざこちらの大陸にまでやって来たのかなのだが」
まだ『南西の大陸から女王がやって来た』しか聞いていないのだ。だから私が先を促すと、シィナが説明してくれる。
「南西の大陸では幾つか問題が起こっているらしいの。女王様が来訪したのはその解決の手伝いをしてほしいからみたいね」
「その問題とやらは聞いているのか?」
そう問うと、シィナは首を横に振った。
「全然。会談はお父様たちだけで進めたからあたしたちは何にもしていないわ」
わざわざ呼びつけておいて会談には同席させないことに疑問を覚えたが、先ほどシィナは『女王との年齢は近い』と言っていたことに気付く。
「……もしかして、呼び出されたのは女王と年齢が近いから、か?」
数を増やすことの難しい龍人だ。王族の、それも同年代と出会うなんて奇跡が滅多にないのは想像するに容易い。
リアとシィナの二人の年齢が運命的とも言えるほどの近さなのだ。
「多分……ね。実際、リアとあたしと三人で話す時間も作られたし。立場的に友人なんてそういないでしょうし、ましてや同じく国の上に立つ同種族の存在なんて会ったこと無いはずよ。南西の大陸には龍人の国はもう一つしかないもの」
シィナはほぼ断言するように言い切ると、食後にとクロースが気を利かせて入れてくれたホットミルクを口に含んだ。
「シィナたちがその女王と何を話したのかは聞かない方が良いか?」
「まあ、"あたしは"当たり障りのないことしか話してないからね」
シィナはそう言うと隣に座るリアに目を向ける。
リアはというと、両手でカップを押さえながらクロースが入れてくれた何かを少しずつ嚥下していた。
……若干だが酒精の匂いがするのは間違いなくリアからだろう。彼女が酔っ払うことなど無いので何も心配はしていないが。
「その言い方だと、リアが何か言ったのか?」
会話の中で自分の名を呼ばれたリアは両手でカップを持ったまま小首を傾げる。
その様子を、ため息を吐きつつ眉間を揉みほぐしていたシィナが首肯した。
「この子がね、『あたしたちは同じ男と結ばれて、一生懸命お世継ぎを作ってます』ってさ。別に聞かれてもいないのに馬鹿正直に話しちゃってね。それからはもうずっと質問攻め」
言い終わると同時に両手をあげて再びため息を吐く。
その質問攻めとやらがよほど堪えたのだろう。シィナの様子から二人が何を聞かれたのかは知らなくても良さそうだ。
「だって事実ですもの。それに、わたくしたちには既に素敵な殿方がいると伝えておくのは重要ですわよ」
リアはほんの僅かだけ頬を膨らませてシィナに目を向けた。
「それにシィナだって、律儀に答えていたではありませんの。夜のことだって───」
「あーあーあーー!!! 聞ーこーえーなーいー!」
リアの言葉を覆い隠すようにシィナは両耳を手で押さえながら急に大声をあげた。
そして勢い良く席から立ち上がり、
「あたしもう休むから! おやすみっ!」
と言って椅子を元に戻してから部屋に向かった。
残ったリアはシィナが向かった方角へ向けてやれやれといった仕草を見せると、私の方に振り向いた。
「それではホシミ様、わたくしも少しお休みさせて頂きますわ。本当でしたらホシミ様のお側で眠りたいのですけれど、そうしてしまうとお出かけしにくくなってしまいますものね」
やや名残惜しそうにしながら席を立ったリアは、両手でドレスのスカートを持ち上げて優雅に一礼する。
「おやすみ、リア」
私の言葉に満面の笑みを浮かべると、リアも自室に向かっていった。
若干だが目蓋が重そうだったので、なんだかんだで夜間の長距離飛行は疲労が溜まっていたようだ。
「さて、と」
リアもシィナも自室に戻り、シィナから手渡された手紙を取り出す。
ヴァンからの手紙だが、中身は挨拶も何も無い、淡々とした報告書のようなものだった。
〜南西の大陸における問題点〜
・龍人族にやけに好戦的な鬼人族
・痩せた土地による慢性的な食糧不足
・謎の宗教組織による、子どもの誘拐・惨殺事件
解決策として、鬼人にはまず対話を試み、和解出来ない場合殲滅。
食糧不足は転移魔術による食糧の移動で対応。対価は南西の大陸にて採掘された燃える水。
謎の宗教組織については情報が不足、現時点では有効な解決策はなし。被害にあった子どもは、全員が只人の子であることが確認されていること以外、一切が不明。
主犯格・潜伏地の判明が急務。
驚くほどに事務的なことしか書かれていないが、何を話し合ったのか、何をやらせたいのかはこれ以上ないほどに理解出来た。
要するに私にはこの問題を解決してこいと言っているのだ。
「私は便利屋ではないのだがな」
椅子に座り直して背もたれに身体を預けると、先ほどまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたクロースが側で控えていた。
「ホシミ様、食後のコーヒーを淹れて参りました」
そう言って私の前にコーヒーの入ったカップを置くクロース。
今は既に無いが、シンという国で奴隷だった過去のある森精種の女性だ。ここに来てから、ユニステラが身に付けていた露出の多く丈のやけに短いメイド服を、スカート丈はくるぶしが隠れるくらいまで伸ばし、肩と胸元を強調するように大きく開いて改造した服を着るようになった。
来た当初から家事全般を進んでこなし、今では『家事は全部クロースがやってくれる』と周囲に思われるくらいまで色々とやってもらっている。
「ありがとうクロース。いつも助かる」
「ホシミ様の為になるのであれば、と思ってやっているだけでございます。でも、お褒めくださり、ありがとう……ございます……」
顔を背け、しかし目線は私から離さずに礼を言うクロース。
彼女は献身的に尽くしてくれるが、それだけで満足して、自分の望みを口にしないという困った癖がある。これはかつて虐げられていた経験からくるのだろう。
「もっと素直に甘えてくれても良いんだぞ。君を連れて行くと決めた時に君の全てを背負う覚悟はしてきたのだからな」
そう言うとクロースはやや困り顔になってから、床に膝をついて私の胸に顔を埋めてきた。長い耳が紅潮しているのは恥ずかしいからだろうか。
「それではお言葉に甘えさせて頂きます……。ホシミ様……。私の、ご主人様……」
クロースの髪を優しく梳いてやりながら、ココノハの騒がしい声が聞こえてくるまでそのままの姿勢で過ごすのだった。