156話 静かな夜に
森精種たちの相手をしていたら、夜がすっかりと更けてしまった。
結局夕飯すら食べることもなくただひたすらに子作りをすることになってしまったが、彼女たちの満足気で幸せそうな表情を見ることが出来たので「これで良かった」のだと思う。
もう既に皆は寝静まっているだろうと思いつつ扉を開けると、微かな灯りが中から漏れてきた。
こんな夜更けにまだ誰かが起きているのだろうか? もし寝落ちていたら部屋まで運んでやらないとな。
特に足音を消したりもせず、普通に中に入りリビングへと向かう。すると暖炉が点いたままで、その前に置いてあるソファーには一人の少女が腰掛けていた。中から漏れた灯りは暖炉の火だったようだ。
やや暗いので顔までは見えないから、起きているのか寝ているのかさえ判別出来ない。
そっと近づいてみると、カップを両手で包むように持ちながら音を立てずに中身を飲む姿。
私の存在には気付いているようだが、一瞥すらくれない。その態度で誰かわかってしまった。
「随分と遅かったわね」
こちらが声をかける前にそう言ってくるのはフューリ。自他共に認める、大の男嫌いの森精種である。
私の伴侶の一人であり、私には一応心を許してくれているらしいが、素っ気ないのは変わらずである。
「フューリこそまだ起きていたのか。……ラズリーは?」
「もうぐっすり寝てるわよ。ユニが一緒に寝てるから、もし起きて泣き出したら私の所まで来てくれるわ」
「そうか」
フューリはかつてユキユキがクルルの居ない間に使っていた塔の三階の部屋を親友のユニステラと共に使用している。
今ではそこに私とフューリの娘であるラズリーも一緒に、よく三人で過ごしているのだ。
「隣……良いか?」
そう問うと、フューリは表情を一切変えぬまま「ん」とだけ言い僅かに横にずれる。
空いたスペースに腰掛けて、フューリと同じようにぼんやりと暖炉の火を眺めた。
「ねえ」
左右に揺れる橙色の灯火を目で追っていると、フューリが素っ気なく話しかけてくる。
「あんたはさ。私みたいなのと一緒で幸せなの?」
「どういう意味だ?」
暖炉から目線を切ってフューリの顔に向けると、彼女はどことなく寂し気な表情を浮かべながら暖炉の火を見つめていた。
「だって貴重な森精種の伴侶枠を私が使っちゃってるのよ。男嫌いなこの私が。もっとあんたのことが好きで好きでたまらない子とか、あんたに愛されたい子がいるのに、一時の情に流されて婚約までしてくれちゃってさ。そりゃあ私もあんたの子どもを産んだけど───」
自身の性質故だろう、フューリは自分のせいで私が幸せではないと思う節がある。
だが、そう考えること自体が、彼女の中で私の存在が特別なものになっている証なのだ。
「そんなことか。安心しろ、後悔なんか微塵もしていない。とても幸せだよ、フューリ。可愛い娘と、美人な妻。私はフューリの特別になりたいと思って、フューリも私がフューリの特別であることを受け入れてくれたんだ。幸せでない筈がない。だがそうだな……」
まだどことなく納得しきれていない様子のフューリに向けて笑みを浮かべながら、
「そんなに不安なら、また子どもを作るか? フューリが望む限り、何人でも構わないぞ? 無論、全員しっかりと養うとも」
「なッ………!!?」
沸騰したように一瞬で顔を赤らめて飛び上がるように立ち上がるフューリ。
その姿を見上げながら、私は更に言葉を続ける。
「フューリの不安を払拭する為に子どもの数を愛の証とするのも悪い案ではないだろう? そもそも森精種は子が出来にくいが、フューリはまだ若い。あと二人か三人くらいは望めるだろう。子どもは目に見える愛の結晶だ。一部の親にとってはそうでもないようだが、私はそう考えている。どうだろうか?」
「どうって……言われても……」
おずおずと座り直し、やや口籠もりながら言葉を紡ぐ。
「あ、あんたがそれでいいなら、良いんじゃないの。子どもだって、欲しいならまた───。……ホント、物好きなんだから」
そう言ってから膝を抱え、顔を埋める。紅潮した顔を見せたくないのだろう。
「物好きで結構だとも」
それきりしばらく会話が途絶える。だが不快な感じはなく、とても落ち着く時間だった。
フューリはいつの間にか顔を上げており、再び暖炉の火を眺めている。その横顔を眺めていると、微かに唇が動いた後にふとフューリの顔がこちらに向いた。
「この……ばか」
片手で私の襟元を掴み引っ張り寄せてから、頬に口づけをするフューリ。
「…………」
一瞬の出来事に呆気にとられていると、そそくさと立ち上がってソファーを後にするフューリの姿。
「おやすみ、フューリ」
声にぴたりと歩みを止めるが、こちらを振り返ることなく「……おやすみ」とだけ言ってから姿を消した。
先程の口づけは、彼女なりの精一杯の愛情表現なのだろう。
「前にユニステラが言った通りだな。優しい子だよ、フューリは」
既に聴くものは誰もいない静かなリビングで独り言ちてから暖炉の火を消す。
───明日は北の龍人国、リアの故郷である北国に向かったリアとシィナが帰ってくる日だ。
急な召集だったらしく慌ただしく出かけていったが、どうやら何かあったようだ。
詳細は二人が戻ってきたら教えてくれるだろう。
帰ってきたら出迎えてあげられるように準備をしようと思いながら自室へと向かった。
そして誰も居なくなったリビングは、暖炉にくべていた薪の火も弱くなり、やがて完全なる暗闇へと落ちていったのだった。
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side:フューリ
「……ッフゥゥゥゥ……」
三階の自室へと戻った私は、緊張から解放されたのか深く長い息を吐き出した。
恥ずかしさで顔が沸騰してしまったかのように熱いことを自覚しながら、穏やかな寝息を立てて眠る愛娘の姿を見やる。
先程まで会話していた男との、自分がお腹を痛めて産んだ可愛い娘だ。
他の子たちは私に似ているって言うけれど、私はあの男に似ていると思う。顔のことを言っているなら、確かに私にそっくりだ。でも私が言いたいのは顔の造形ではなく、どこか浮世離れした雰囲気を纏っていることだった。
他の人に言ってみても、理解されていないような困惑した表情を向けられるので、これは私にしか分からないことなのだと思う。
「それでもラズリーは……ラズは私の娘だからね」
私と、あいつの……。可愛い娘なんだから。
ホシミのことを心底惚れ込んでしまったことへの自覚はないまま、フューリはラズリーの側で眠りにつくのだった。